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155.予言と預言


 世に『預言者』と呼ばれる者がいる。


 百年に一度、いや、あるいは数百年に一度エマニュエルに現れると言われている〝神の声を聴く者〟だ。


 預言者は生まれつき備わった不思議の力で、文字どおり神の声を聴くことができる。これは比喩でも何でもない。彼らは本当に眠れる神々と対話し、御言葉に従い、神子のごとく人々を導くのだ。

 モルゲンリック教の教主ラムシアは、そうした預言者の一人だとヴィルヘルムが言っていた。彼の知る噂が事実なら、ラムシアは幾度も預言によって未来を言い当て、その奇跡でもって民衆を惹きつけているらしい。


(だけど預言者とは言え人間は人間だ。神ではなく人間を崇める宗教なんて……)


 そんなものは神々に対する冒涜ではないのか。ジェロディはわずかな痺れにも似た緊張を感じながら、マリステアと共にアラッゾ織物店の軒下へ出た。

 黄砂色の石畳が敷き詰められた円形の広場には、どよめきが広がっている。この時間帯はどの町も礼拝帰りの人々で通りが賑わうものだから、モルゲンリック教の使徒とやらは、敢えてそこを狙ったのかもしれない。


 町民たちが足を止めて見やる先には、いかにも怪しげな風貌の者どもがいた。人数は全部で四人。身長は様々だが一見しただけでは男か女が分からない。全員が深い臙脂色の長衣ローブを着てフードを被り、顔も体格もすっぽりと覆い隠しているからだ。


 彼らは広場のちょうど中央付近にいて、各々が別の方向を向いていた。互いに背中を向け合い、小さな方陣を組んでいる様は、自分たちの存在を印象づけようとしているようにも、何かを警戒しているようにも見える。そのうちの一人がふと顔を上げて、不意にこちらを見た──ような気がした。


「ピヌイスの町の皆様、ようこそお集まり下さいました! それでは改めまして自己紹介をば。我々は教主ラムシアの名の下に、エマニュエルの未来を守るべく集ったモルゲンリック教徒でございます。皆様は偉大なる預言者ラムシアをご存知でしょうか? ラムシア様は神々に選ばれし稀代の聖女、エマニュエルを滅びの運命から救うべく立ち上がられた救世主メシアでございます。我々はそのラムシア様より重大な使命を授けられ、本日ここへ参りました。そう、皆様を世界の終焉からお守りするために!」


 やがて大仰な身振り手振りで話し出したのは、ジェロディたちに背を向けた中肉中背の男だった。声の調子からそこそこ年嵩の男性と推測できるが、口振りはまるで舞台の上の役者のようだ。

 老成した声はどこまでも伸び、広場の外まで響き渡ってさらなる聴衆を呼び寄せる。〝預言者〟や〝世界の終焉〟などという興味深い単語もまた、群衆の関心を誘うには最上の謳い文句だった。


「聖女ラムシアは予言されました。そう遠くない未来、エマニュエルは滅びの危機に瀕すると。古代、かのハノーク大帝国を滅ぼした《大穿界》にも匹敵する脅威が、刻一刻と迫っているのです。皆様も感じておられることでしょう、混沌とした世界の淀みを……!」

「ここトラモント黄皇国でも今まさに、王権の腐敗や内乱といった数々の変事が取り沙汰されています。ですが世相の乱れは何も黄皇国に限ったことではないのです。近年、エマニュエルの各地で魔物の増加と凶暴化が騒がれ、大陸の北ではエレツエル神領国の侵略戦争が加速しています。さらにアビエス連合国を築いた神子ユニウスは行方不明、南東大陸のパルヴァネフ豊王国もアッバース首長連邦との諍いが絶えず、不穏な情勢が続いています」

「このように今、世界のあらゆる土地で争いが起き、それに乗じた魔物の暴走もあとを絶ちません。こうした混沌のうねりが肥大化し、今にもエマニュエルを呑み込もうとしているのです」

「聖女ラムシアの予言は絶対にして不可避。彼女の口から紡がれる未来は一度たりとも外れたことがありません。あの方の予言によって救われた命は数知れず──されどラムシア様の力をもってしても避けられぬ滅亡の危機が、もうそこまで迫っているのです!」


 広場を包むどよめきが大きくなった。気づけばモルゲンリック教の教徒たちを囲む群衆は垣根のようになり、あとから来た人々も話を聞こうと押し合いへし合いしている。

 幸いジェロディたちは演説が始まったときから広場にいたから、最前列で彼らの主張を聞くことができた。店の方から自分を探すマシューの声が聞こえたような気もするが、背後を人垣に塞がれているため居場所を知らせることができない。


「め、滅亡の危機って……そんな話、初耳だぞ。だいたいそのラムシアとかいうやつは信用できるのか? 預言者を騙るペテン師なんていくらでもいるし……」

「お説ごもっとも。ですが聖女ラムシアが真の預言者であることは、我々が保証致します。かく言う私は北のミシュティア尊主国の出身ですが、祖国は今から七年前、エレツエル神領国によって滅ぼされました。しかし私の故郷の住民は、ほとんどが無傷で隣国へ逃げ伸びることができたのです。何故か? 言わずもがな、聖女ラムシアが我々を救いに現れて下さったからです!」

「わたしの故郷も同じです。本来なら二年前の晩、魔物の群に襲われるはずだった小さな町から、ラムシア様はわたしたちを救い出して下さいました。彼女は自らが従える戦士たちを励まして、恐ろしい魔物の大群を打ち払って下さったのです。あの日のことは、たとえ忘れろと言われても忘れられません」

「し、しかし、滅びの予言というのはあまりにも……まさかまた《大穿界》が起きて、地上が瘴気で満たされるとでも言うのか?」

「いいえ。次に訪れる滅亡の危機は、そんなものでは済みません。世界を巻き込む大戦が起き、大地はしかばねに覆われて、エマニュエルは今度こそ完全な死の荒野と化す──と、ラムシア様の口を通して神々が仰せなのです」

「た、大戦だって……?」

「だ、だったらこの国も、これ以上ひどいことになるっていうの……?」


 モルゲンリック教徒が振り撒く不安の種が、次々と聴衆の心に根づいて芽を出していくのが分かった。

 彼らの話を聞いた人々は皆一様に青ざめ、あるいは眉をひそめながら、顔を見合わせたり小声で囁き合ったりしている。もちろん中には話半分に聞いている者もいるようだが、大半は教徒たちが生み出す異様な空気に呑み込まれているようだ。


「ですが皆様、どうぞご安心下さいませ! 聖女ラムシアは滅びの運命を知りつつも、未だ人類の存続を諦めてはおられません。彼女はきたる大戦に備え、着々と準備を進めておられます。すなわちエマニュエルの未来を担って戦う、聖戦士を募っておられるのです!」

「せ、聖戦士……?」

「さよう。ラムシア様はいずれ訪れる大戦を、人類存亡を懸けた〝聖戦〟と位置づけ、その陣列に加わる勇敢な戦士を求めておられます。モルゲンリック教には既に十万を超える勇士が集っておりますが、世界を救うためにはまだまだ人手が足りません。ゆくゆくはエレツエル神領国にも匹敵する大軍を育てねばならないと、ラムシア様はあらゆる手を尽くしておいでです」

「え、エレツエル神領国にも匹敵するって……つまり最低でも百万の軍勢を作るということか? そんな大それた話が……」

「だ、だいたい、戦士になるって言ってもねえ……あたしら女は武器をもらっても戦えないし……」

「いいえ、ラムシア様は老若男女、いかなる人物をも差別しません。男性には男性の、女性には女性の役割があり、武器を取って前線に立つことだけが戦いではない。ときに戦士たちを励まし、彼らの血肉となる食糧を運び、また戦いで綻びた衣服を繕う者もまた立派な聖戦士である──とラムシア様は仰せです」

「ならば兵役の経験がない者でも受け入れる、と……?」

「はい。すべての人間には得手不得手があり、互いの足りない部分を補って支え合うのが人類の在り方だと、ラムシア様は常々そうおっしゃっておられます。ですからわたしたちの誰も、仲間を差別したり虐げたり致しません。ラムシア様はこの大地の上に、人類の人類による人類のための楽園を築こうとされているのです。来るべき《神々の目覚めエル・シャハル》へ向けて……」


 最初に語り出した年嵩の男とは別の、小柄な女性が身を乗り出して訴える。彼女はまだこういった場に慣れていないのか、口調はどこかたどたどしかったが、それでも必死に教主の教えを広めようとしているのは伝わってきた。


「ちなみに、聖戦士とやらに選ばれる条件は? 聖戦に加わりたい者はどうすればいい?」

「聖戦に集う戦士となるのに、特別な条件はありません。必要なものは未来を憂う心とどんな困難にも折れぬ覚悟だけ。我らと共にエマニュエルの未来を拓こうという勇士は、どうぞソルレカランテへおいで下さい。モルゲンリック教のトラモント支部はそちらにあります。我らのまとう長衣と同じ、赤色の布を左腕に巻いて道を歩いていただければ、あの街にいる仲間が皆様を見つけて拠点へご案内するでしょう」


 大小様々な人の声が、ざわざわと膨れ上がった。神の耳を持つジェロディは、そのざわめきの中で交わされる言葉の一つ一つを正確に聞き取ることができる。

 教徒たちの主張を訝しむ者、嘲笑う者、真偽を問いかける者、懸念する者、相談する者、復唱する者、互いの意思を確かめ合う者……。

 思惑は人それぞれなれど、広場を包んでいるのは戸惑いと不安だ。かく言うジェロディの隣でも、怯えた様子のマリステアが、先程からジェロディの衣服の裾をぎゅっと握り締めている。


「ティ……ティノさま……あの方々のおっしゃっていることは、本当なのでしょうか……?」

「……現状では何とも言えないね。仮に真実だとすれば大変なことだし、嘘だとすればかなり口の達者な詐欺師の集まりってことになるけど」


 実際彼らの言葉は、この場にいる人々の心に大きく揺さぶりをかけていた。教徒たちの話には確かに説得力があるし、一見嘘をついているようにも見えない。

 とは言えそれだけの理由でアレが真実であると断定してしまうのは早計だ。たとえ彼らの言葉に偽りがないとしても、ラムシアなる人物が信者を欺き、己の発言を巧みに信じ込ませている可能性だってある。


 だがもしも後者であるならば、ラムシアは神領国にも匹敵する軍事力を蓄えて何をするつもりなのだろうか?

 人々を煽動し、自らを元首に据えた新国家を築こうとしているとか、洗脳した群衆を使って何か良からぬことを企んでいるとか……?


(そうだとすれば、彼らを野放しにしておくのは危険だ)


 国は彼らの存在や目論みに気がついているのだろうか? ライリーやヴィルヘルムが知っていたくらいだから、当然国も彼らの動向くらい掴んでいると思いたいが、正直なところ今の黄皇国にはあまり期待できそうにない。


「今度、ソルレカランテにいる親戚に話を聞いてみようかな……」


 という誰かの囁きが聞こえて、危機感はますます募った。

 彼らをこのままにはしておけない。何故だか切に、そう思う。


「……マリーはここにいて」

「えっ? あ、ティ、ティノさま……!?」


 謎の焦燥に突き動かされるがまま、ジェロディは人垣の中から進み出た。取り残されたマリステアが慌てふためいている気配がするが、今はあれこれ議論している時間も惜しい。


「すみません。いくつか質問をしてもよろしいでしょうか」


 広場を覆っていたざわめきが色を変えた。円形に築かれた人山のあちこちから、「ジェロディ様」「ジェロディ様だ」「ジェロディさま? あのお方が……?」と、口々に自分の名を唱える声がする。


「少年、君は? 見たところ剣術の心得があるようだが」

「僕はジェロディ・ヴィンツェンツィオ。救世軍の総帥代理を任されている者です」


 金糸で縁取られた長衣の下から、驚きの気配が伝わってきた。人々のどよめきははちきれんばかりに膨張し、もはや声を張らないと、まともに会話もできそうにない。


「ジェロディ・ヴィンツェンツィオ……そうか、君が噂の……」

「僕のことをご存知のようですね」

「ああ、もちろん知っているとも。黄帝暗殺をもくろみ黄都を追われたとは聞いていたが、まさか反乱軍にくみしていたとはな」


 答えたのは一番最初に演説を始めたあの男だった。彼はそれまでの立ち位置を後ろにいた仲間に譲るや、ジェロディと向かい合うような形を取る。


「しかし驚いた。君は今〝総帥代理〟と言ったようだが、現総帥のフィロメーナ・オーロリーはどこにいる?」

「彼女の居場所は教えられません。救世軍内でもごく一部の者にしか知らされていない、機密事項ですから」

「ふむ。つまり彼女は今も生きていると?」

「はい。フィロメーナさんは現在、先の掃討作戦を受けて散り散りになった仲間を結集させるため、黄皇国のあちこちを秘密裏に巡っておられます。僕はその間の統括を任された臨時の総帥です」


 と、事前にトリエステと打ち合わせていたとおりの嘘を並べた。神子が民衆を欺くなんてもってのほかだが、今だけは仕方がない。

 ──再び救世軍が立ち上がるまで、フィロメーナの死は世間から隠すこと。

 それが仲間たちとの約束であり、フィロメーナの遺言だからだ。先のロカンダ陥落で深手を負った救世軍が傷を癒やすには、これ以外に道がない。


「ところで今のお話を伺った上で、お尋ねしたいことがあります。まず、あなた方モルゲンリック教徒の本拠はどこにあるのですか? 少なくともこの国でないことだけは確かなようですが……」

「その質問には答えられない。意趣返しではないが、我らの拠点の在処は君たちの総帥の行方同様、組織の機密事項なのでね」

「では教主ラムシアの居場所についても?」

「無論。我々モルゲンリック教は危険思想を持つカルト集団として、エレツエル神領国の標的にされている。とりわけラムシア様を狙う輩の多さときたら、枚挙に暇がないほどだ。神領国は恐れているのさ、我らがいずれ彼らを脅かすほどの一大勢力となることを」

「ですがあなた方の活動の実態がはっきりしないことには、モルゲンリック教の教義を鵜呑みにすることはできません。そもそも教主ラムシアという人物が、本当に存在しているのかどうかも分からない。あなた方は本人と面識があるようですが、僕たちは今日初めて彼女の名を聞かされたのですから」


 ジェロディがきっぱりそう告げると、フードの男がぴくりと反応したのが分かった。一方、あたりを囲む群衆からは「そうだ、確かにジェロディ様の言うとおりだ」という同調の声が上がっている。


「無礼な。いかな貴族の子弟と言えど、我らが教主を侮辱するような発言は許さんぞ。聖女ラムシアは確かに実在する。お姿を現さぬのは今が雌伏のときであるからで、運命の日が訪れれば、必ずや民衆の前にご光臨されることであろう」

「なるほど。つまり当面の間、あなた方の言葉の真偽が証明されることはないというわけですね。ちなみに教主ラムシアは、今から何年後に大戦が起きると予言されているのですか?」

「それについても答えられぬ。我らが動き出す時期を知られれば、エレツエル神領国は間違いなく攻勢をかけてくるであろう。敬虔な教徒たちを守るためには、あらゆる秘密を身にまとうしかないのだ」

「僕も組織を守る立場にいる者ですから、その主張については同感です。ですが教主の存在も予言の真偽もあやふやなままで、本当に人がついてくるのですか? あなた方の現在の主な活動は?」

「なるほど。とことんまで我らの言葉を疑うか。救世軍というのは存外頭が堅く、懐疑的で排他的な組織なのだな」

「こんな質問をするのは、あなた方を排斥するためではありません。僕が生命神ハイムに選ばれた神子だからです」


 ジェロディはそう宣言すると、迷わず右手の手套を外した。そうして《命神刻ハイム・エンブレム》が見えるよう手を掲げれば、ついにどよめきが破裂する。

 広場に集った町民たちが驚愕し、口々に何か叫ぶのが聞こえた。郷庁で正体を明かしたときもそうだったが、やはり市井には、ジェロディが神子である事実はまだ広まっていないようだ。


「ま、まさか、ジェロディ・ヴィンツェンツィオがハイムの神子だと……!? そ、そのような話は……!」

「誰も聞いていない、でしょうね。反乱軍に神子がいると知れ渡れば、人心が国から離れてしまう。だから僕が神子であることは、公には伏せられています。黄皇国は隙あらば僕を殺して《命神刻》を強奪しようとしていますし……」

「で……では、本当に……」

「ええ。あなた方の教主とは違い、僕は今、確かにここに存在する神子です。あなた方は誓えますか。このハイムの魂に懸けて、自分たちの言葉に嘘偽りはないと」

「そ、それは……」


 こちらがガルテリオの身内と知っても高圧的な態度を崩さなかった男が、露骨にうろたえ出した。もしかしたら彼らも長い間、ラムシアとは対面していないのかもしれない。彼女の存在は信じているが生死は知れず、ただ人伝に〝預言〟と称された伝達事項を聞いているだけ。恐らくそんなところだろうと、ジェロディは男の反応から推測した。

 だとすればやはりラムシアは存在していないかもしれないし、彼女の名を騙る別の誰かが組織を利用している可能性だってある。ジェロディはわずか目を細めた──こんな得体の知れない連中に、この国の民を利用されるわけにはいかない。


「僕は預言者のようにあらゆる神と対話することはできませんが、ハイムの声は聴くことができます。そのハイムが言っている。あなた方の言葉を鵜呑みにしてはいけないと」

「……!」

「教主の予言が本当に正しいと言うのなら、きちんと証明してほしい。確かな約束もできないのに、ここにいる人々を煽動するのはやめて下さい。それでなくとも我が国は今、腐敗と混乱が広がり、多くの民が不安に揺れ動いているんです。彼らから日常と平穏を奪うような行為は、救世軍の総帥代理として見過ごせません」


 そうだ、そうだ、とジェロディに同調する声がさらに高まった。

 群衆はモルゲンリック教の教徒たちが生み出したまやかしを振り払い、次々に目を覚まし始めている。

 他方、頑なにラムシアの存在を主張していた男は口を閉ざし、返答に窮していた。フードから覗く口元が赤黒く変色しているように見えるのは怒りのためか、それとも。


「ば……馬鹿な……我々は……!」


 乾いた唇をわななかせ、男が何か喚こうとした。

 ところがそのとき、横からすっと彼を制した腕がある。

 四人のモルゲンリック教徒の中で唯一、これまで一言も言葉を発していない人物だった。相変わらず顔は隠れて見えないが、フードの下にある双眸がじっとこちらを見据えていることは、分かる。


「せ、セレネ様……!? 何故止めるのです、我々は──」

「ここでの問答は無意味。ハイムの神子の言うとおり、今の私たちにはラムシア様の言葉が真実であると証明する術がない」

「し、しかし……!」


 フードの下から零れたのは、無機質で平坦な若い女の声だった。

 セレネと呼ばれた彼女はこの騒ぎにもまったく動じていないようで、一人だけ別世界にいるみたいに超然としている。

 そう言えば演説が始まる前、こちらに視線を投げかけてきたのも彼女だった。

 ジェロディがそう回想した刹那、セレネが一歩、音もなく歩み寄ってくる。


「少年」

「はい」

「信じるか信じないかはあなた次第。でも一つだけ忠告を」

「何でしょう?」

「──カミラ・バルサミナを追ってはならない」


 え、と聞き返した声が、喧騒に掻き消された。淡々と紡がれるセレネの言葉は喚声に揉まれて、恐らくジェロディにしか届いていない。されど彼女は初めからそのつもりだとでも言うように、ただジェロディだけを見つめている。


「か……カミラ・バルサミナ、って……」

「正確には、カミラ・シュトライト・バルサミナ・ルミジャフタ。これが彼女の名前。本人も知らない、真実の名前」

「……!」

「彼女を追ってはならない。狂わせてはいけない。私はそれを告げにきた」

「ま……まさか、僕が今日、ここへ来ることを──?」


 知っていたというのか。これもすべて聖女ラムシアの予言だと?

 教徒の男から「セレネ」と呼ばれているあたり、彼女もまた教団内で重要な立場にいる人物だということは推測できた。ならば彼女は、ラムシアと直接やりとりできる立場の人間なのだろうか。


 しかし仮にそうだとして、何故、ラムシアは……。


「……任務完了。さあ、帰りましょう」

「せ、セレネ様? しかし、あの少年は……」

「今はまだそのときじゃない。私たちの道が交わるのは、遠い遠い未来さきの話」


 セレネは最後まで淡白にそう言うと、あとは身を翻して歩き出した。他の教徒たちはまだ何か言いたげにしているが、立場的に逆らえないのか、渋々と彼女についていく。


(カミラ・シュトライト・バルサミナ・ルミジャフタ……どういうことなんだ? 『シュトライト』って、まさか──)


 背中を冷たい汗が流れた。気づけば口の中がカラカラに乾いている。

 あの女はそれがカミラの真名だと言った。

 そしてジェロディの知り合いに、カミラという名の女性は彼女しかいない。


(でたらめか? いや、だけど……)


 どよめく群衆を割り、悠然と歩き去るセレネの背中を、穴が開くほど凝視した。

 できれば呼び止めて問い質したいが、足が竦んで動かない。

 セレネを始めとするモルゲンリック教の教徒たちは、やがて人混みの向こうへ消えた。


 どこからか飛んできた赤い花びらが鼻先を掠めて、空へと吸い込まれていく。



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