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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第4章 君を忘れないために
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119.神様は夢を見るか

 ジェロディたちが少し遅れて砦に着くと、すっかり着替えを済ませたブレナンが待っていた。

 淡い亜麻色の髪は相変わらずハーフアップのままだが、服が変わると印象がだいぶ違う。どうやらさっきまで身にまとっていたあの長衣ローブは、あくまで農作業用の作業着だったようだ。


 砦でジェロディたちを迎えた彼女はコルセット型のピナフォアドレスに身を包み、腰のくびれが際立つ淑女のいでたちでそこにいた。

 ドレスの下には清潔感漂う白のブラウスを着用しており、飾りひだのついた立ち襟が彼女の整った顔立ちを引き立てている。

 ドレスの色はやや渋い胡桃色で、スカートの丈も長く、地味だがどこか気品も感じさせた。先程は土で汚れていた手足もしっかりと洗われ、今は女性らしく白い肌が覗くばかりだ。


「ようやくいらっしゃいましたね。あなた方をこの島に留める件ですが、ライリーさんよりお許しをいただきました。あなた方との戦闘で砦の一部が崩壊しているとのことですが、まあ、ライリーさんたちの部屋がある上階のみですので問題ありません。一応二階にあなた方のための客間をご用意しました。本日はそちらでお休み下さい。では、また明日」


 六人がジョルジョに連れられてやってきたと見るや、ブレナンはそれだけ伝えてあとはさっさと歩き去った。こちらに呼び止める暇も与えない、あまりにも一方的な通達である。

 しかしジェロディたちはもはや、そんな彼女の態度に憤る気力すら失っていた。ただ徒労感にも似た何かが体中を満たしているだけで、一部おかしなブレナンの言い分につっこむ気も起きない。

 もうあの人に何を言っても無駄だ。なるようになれ。ジェロディでさえ半ば投げやりな気分でそう思うのだから、皆の脱力もきっと相当なものだろう。


「ったく、一体何なんだあの女は。変人は変人でも、変人にすら変人と言われるレベルの群を抜いた変人だぞ」


 と、ウォルドが悪態を零したのは砦に用意された客間に落ち着いてからのこと。灰色の石積みによって築かれた砦の二階にあるその部屋は、広々とした――とまでは言えないが、二段重ねの寝台を三つ並べられる程度には広さのある一室だった。

 元々客間として準備された部屋ではないだろうから、恐らくは湖賊たちが普段寝起きしている部屋を無理矢理一つ空けたのだろう。ブレナンならそれくらいのことはしそうだし、衣類や雑貨の類が無理矢理詰め込まれた隅の衣裳箱チェストが事の顛末を物語っている。


 とても清潔とは呼べないものの、あんないざこざがあったあとで泊めてもらえるだけ幸運と言うべきか。ジェロディたちは現在、部屋の真ん中にぽつねんと置かれた六人がけの卓に集まり、これまで起きた出来事を整理しているところだった。

 あれからブレナンはちらりとも姿を見せないし、ライリーがどうしているのかも分からない。彼の居室がある三階はカミラの神術で崩壊したと言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか。

 ジェロディは今でもあれを正当防衛と思っているものの、逆恨みされていそうで落ち着かなかった。砦にいる湖賊たちは、決闘でライリーを打ち負かした自分たちを快く思ってはいないだろうし。


「肝心な話はすべて煙に巻かれてしまったしな。あのブレナンとかいう女、とても一筋縄ではいきそうにないよ」

「こ、こんな言い方は失礼ですけれど……フィロメーナさんはどうしてあの方を頼るようおっしゃったのでしょうか。少なくとも協力的な方には見えませんし、フィロメーナさんのこともあまり好意的には思っていないご様子でしたけど……」


 屋内に入り、いつものメイド服姿に戻ったマリステアは、背凭れつきの椅子の上で小さく肩を竦めていた。隣ではカミラが体を横に向けたまま、卓に片肘を預けて何事か考え込んでいる。

 ……だけど確かにマリステアの言うとおりだ。ブレナンはフィロメーナが反乱軍の首魁であることを知っていたようだが、それについては否定的で批判めいたことばかり言っていた。自分たちに協力してくれるのか、という問いの答えもはぐらかされてしまったし、果たして本当に頼りになるのか現状では定かでない。


 なのにどうしてフィロメーナはあの女を頼れと言ったのか。

 さっきの会話から推測するに、こうなる前からブレナンとフィロメーナの関係は決裂していたのではないかと思えた。


 ただブレナンが非常に見識豊かで頭の回る人物だということは確かだ。彼女はついこの間まで閑村に引っ込んでいたと言いながら時勢をよく知り、冷徹に分析する力を持っていた。

 あるいはフィロメーナは、彼女のその智略に賭けたのか。協力を取りつけるのは望み薄だと知りながら、味方にできれば心強い相手としてブレナンの名を挙げたとか?


 だとしてもフィロメーナ亡き今、ブレナンを説得するのはかなりの難行に思える。もしそうならジェロディたちはもっと別の方法を探さなくてはならない。ブレナンの協力を取りつけることが叶わなくとも、新しい拠点と資金を手に入れられる方法を。


「――おーいお前ら、メシの時間だぞっと」


 何も進展がないまま日が暮れ始めた。一度は集まって状況を話し合っていた仲間たちも、今は銘々横になって休んだり、武器の手入れをしたり、窓辺で物思いに耽ったりしている。

 レナードとジョルジョが両手に大皿を乗せて現れたのはそんなときだった。途端に油と調味料の香りが部屋へと吹き込んでくる。

 二人がずかずかと上がり込んできて卓に並べたのは、いかにも湖賊らしい豪快な料理の数々だった。具体的には骨ごとぶつ切りにされた魚のスープと、ごろごろと大きな根菜の煮つけ、それから茶色く炒められた山盛りの米に、ところどころ赤みの残る骨つき肉だ。


「これはまた、ずいぶんと豪勢な夕飯が出てきたものだな。どういう風の吹き回しだ?」

「ブレナンの野郎がお前らを客人としてもてなせって言うんでな。オレらとしても不本意だが、アイツに逆らうとロクなことがない。というわけでウチの料理人に腕を振るわせた。米以外は全部この島で獲れたモンだ、存分に味わえ」

「おお、こりゃいいな。何か食って気を紛らわさねえとやってられねえ気分だったんだ。酒はあるか?」

「濁り酒でよけりゃある。ほらよ」

「濁り酒?」

「倭王国産の米から作った酒だ。文字どおり濁っちゃいるが味は悪くねえ。ウチの大将は酒と言やこれしか飲まないんでね」


 と、言いながらレナードがどんと卓に置いたのは、透明な酒瓶に入った奇妙な酒だった。レナードの言うとおり中身は白濁していて、澄んだ葡萄酒や果実酒にしか馴染みのないジェロディは「腐ってるんじゃないか?」と不安になる。

 そもそも米から作られた酒なんて何とも面妖だ。寝台から下りてきたウォルドが早速一杯引っかけて「へえ、これはなかなか」と上機嫌なところを見るとまずくはないようだけど、ジェロディは食指が動かなかった。……それを言うなら、スープに乱暴にぶち込まれた魚の頭も食欲をそそるとは言い難いけど。


「まあ、食べろって言うなら有り難くいただくけど……これ、妙なものが盛られてたりはしないだろうね?」

「さっきの決闘で誓ったろ、負けたら今後お前らには一切手出ししねえってな。オレたち湖賊ってのは何よりメンツを大事にする生きモンだ。一度交わした約束は破らねえ」

「と言うわりにはお前ら、ものの見事にあのブレナンとかいう女の尻に敷かれてるみてえだが? 攫ってきた女にシマで好き勝手されるなんざ、既に面目丸潰れなんじゃねえのか」

「いや……それとこれとは話が別というかだな……できることならオレたちだってさっさと追い出してえんだよ。だがあの野郎はアレコレ理由をつけて、まったく出ていきやがらねえ。おまけに気づけばこっちの弱みを握られてるし、ちょっとでも口答えすると十倍の小言になって返ってくるしで……困ってんだよ、ほんと……」

「し、心中お察しします……」


 大きな手で目元を押さえながらうなだれたレナードに、さすがのマリステアも同情の眼差しを注いでいた。レナードはブレナンの舌鋒がよほどこたえているのか巨体に似合わず震えているし、彼女がライリー一味にもたらしている心労はかなりのもののようだ。

 実際島の畑で出会った湖賊たちも、ブレナンについてはとんだ変人だとかできれば関わり合いになりたくないとか散々に言っていた。だったらどうして彼女を攫ってきたりしたんだ――とジェロディはそう尋ねたかったが、その問いを口にするより早く、席に着いたケリーがふと眉をひそめる。


「……ところでこの肉、妙に臭うね。何の肉だい?」

「あ? ああ、そりゃウチで飼ってる牛の肉だよ。今朝めたばかりの新鮮な肉だ。味つけはシンプルだがうまいぞ」

「う、牛の肉……!?」


 と、ときに腰を下ろしかけていたマリステアがガタッと椅子を鳴らしてあとずさった。同じくジェロディとケリーも驚愕し、大皿に盛られた肉の山を凝視する。


「う、牛の肉って……まさか島で放し飼いにされてたあの牛って……!?」

「ああ、もちろん食用だ。マウロの伯父貴がわざわざ西から取り寄せて繁殖させた、血統書つきのイイ牛だぜ」

「で、ですがそれは太陽神シェメッシュさまへの冒涜ですよ!? 牛を殺すことも食べることも、法律で禁止されているのを知らないんですか!?」

「いや、そりゃもちろん知ってるが……お前ら反乱軍のくせに、まだそんなくだらねえ法律にこだわってんのか?」


 いかにも不可解といった様子で尋ねてきたレナードの言葉に、ジェロディはサッと血の気が引くのを感じた。

 そうだ。自分はもうれっきとした反逆者。なのに今更黄皇国の法を持ち出して彼らを非難するのか? そんな滑稽な話はない……。


 牛を食すことを禁ず、というのは黄皇国で最も古い法律だった。国神である太陽神シェメッシュの神璽みしるしが《太陽を戴く雄牛レーム》であることから、この国では牛が神聖視され、殺すことも食べることも固く禁じられたのだ。

 だから生まれてこの方十四年、ジェロディは牛の肉というものを食べたことがない。牛乳くらいなら普通に飲むし乳製品の類にも抵抗はないが、牛肉を食べるという発想だけはそもそもなかった。


 生まれたときから黄皇国で育ったジェロディにはそれが当たり前であり、常識だったのだ。ところが湖賊たちはそんな常識など早々に打ち壊し、日常的に牛の肉を貪っている……。

 そのときジェロディは、自分の考えと現実の齟齬そごを見せつけられたような気がした。もしかして自分は〝黄皇国を打倒する〟という言葉の意味を、本当には理解していなかったんじゃないか?


 救世軍がこれから創ろうとしている国は、トラモント黄皇国とはまったく別の国だ。当然ながら国神がシェメッシュである必要はないし、そうなれば法律だってガラリと変わる。町には豚の肉や羊の肉に紛れて牛の肉も出回るようになる。誰もがそれを平然と食す日が来る。三百年もの間、この地で〝常識〟とされてきたことが覆される……。


 その事実の途方もなさに気がついたとき、ジェロディは眩暈がした。

 山盛りの牛肉を見ているだけで動悸がする。

 この国の歴史も、法律も、常識も。

 それらすべてを自分は破壊しようとしているのだ。

 そう考えると、足が竦む。


 今まで当然のように信じてきたものをこの手で壊すなんて勇気が、果たして自分にあるのだろうか。この国に育まれた常識や倫理観を破壊するということは、自分の足場を打ち砕くことと同義ではないのか。

 足場が崩れればあとは真っ逆さまに落ちていくだけ。

 秩序も何もない混沌の中へ。


 いや、もちろんそうならないよう、自分たちで新しい秩序を創っていけばいい。国を創るというのはそういうことだ。混沌ゼロからもう一度秩序ことわりを築く。頭では分かっている。分かっている、けれど……。


「で、ですが、たとえシェメッシュさまが国神であろうとなかろうと、牛肉を食べることがシェメッシュさまに対する冒涜であることは変わりません! これは法律云々というより信仰心の問題で……!」

「あのなあ、そんな寝ぼけたこと抜かしてるのはエマニュエル広しと言えどトラモント人だけだぜ? 同じようにシェメッシュを信仰してたって、他の国の人間は牛を食う。牛はあくまで牛であってシェメッシュじゃねえからだ。だったらそいつを食ったって、別にシェメッシュを冒涜することにゃならねえだろ?」

「ですから、それは信仰心の問題だと……! フラヴィオさまに神託を下した太陽の村だって、牛の肉は食べたりしないですよね、カミラさん!?」

「……え? あ、いや、うちの郷、そもそも牛を飼ってないんで何とも……」

「ほら! 太陽の村では牛を家畜として扱うことすら避けているんですよ! あなた方もその信仰心を少しは見習ったらどうですか!」

「いや、と言うより半島に牛がいないだけなんですけど……」


 カミラが戸惑いがちに付け足した注釈は、憤慨したマリステアによってなかったことにされた。彼女の故郷であるグアテマヤン半島には牛がいない――というのは初耳だが、それは元々いなかったのか、はたまた何らかの理由で絶滅したのか。

 どちらであれ太陽の村にも牛肉を食べる習慣はないということだ。おかげでマリステアは鬼の首を取ったようになっている。太陽の村に牛がいないこととシェメッシュ信仰の間に関係があるとは限らないのに。


「まあ、俺は普通に食うけどな、牛の肉。お前らがどうしても食わないってんなら代わりに俺が……」

「ダメです! この国で牛肉を食べるなんて神をも恐れぬ蛮行です! ウォルドさん、あなたそれでもトラモント人ですか!?」

「いや、俺はトラモント人じゃなくて列侯国の……」

「いいえ! 我が国には『水を飲んだら礼に従え』という言葉があるんです! 黄皇国のお水を飲んで暮らしているなら、たとえ異国の方でも実態はトラモント人なのです! なおお水じゃなくてお酒でもです!」

「おいヴィルヘルム、出身は知らねえがあんたも牛肉くらい食うだろ。こいつらに何とか言ってやれよ」

「俺はマリステアが食うなと言うのなら食わん。牛にはあまりいい思い出もないしな」

「なんだそれ」


 結局、マリステアの全身全霊を賭した抗議のおかげで、牛肉の皿だけは食卓から取り除かれることになった。せっかくの酒の肴が、とウォルドは不満そうだったが正直ジェロディはホッとする。ケリーが言っていたとおり、初めて目にする牛の肉は何だか臭くて食欲が湧かなかったし。

 かくして一行は味つけまで豪快な湖賊料理を食べ終えると、日没と共に眠りに就いた。結局ブレナンは日が暮れても姿を見せなかったが、探しに行くのも億劫だ。湖賊たちがうろついている砦を歩き回る気にもなれなかったので、部屋の外の様子は分からない。


 湖に面する湖賊の砦は、夜になると細波の音がよく聞こえた。

 その音色が心地良く、ここは敵地だと分かっていても自然と眠りへいざなわれる。

 疲れていたのだろうか。ロカンダを出てからまたしばらく眠れない夜が続いていたはずなのに。


 そして、ジェロディは夢を見た。



              ◯   ●   ◯



「――フェイレス。我々は世界の真実を知った。このまま座して死を待つわけにはゆかぬ。私たちには守るべき国があり、民がいる。そうであろう?」


 その日、我が王は威厳と気品とが深い皺となって刻まれたかんばせに苦渋を滲ませ、振り絞るような声音でそうおっしゃった。

 壁一面を覆う水晶のタイルの向こうから、斜陽の光が差し込んでいる。我が王はかの光を全身に浴び、黄金をまとうシェメッシュのごとき神々しさで眼下の街を見下ろしている。


 王の視線の先には、夕暮れ時の大路を賑わす民の姿。この世界の真の姿など知る由もない彼らは今日も今日とて夕餉ゆうげの支度に追われ、客呼びの声を張り上げ、人混みの中を走り回る子らに叱声と笑顔を投げかけている。

 平和だった。たとえこれがかりそめの平和であったとしても、歴代の王たちが築き上げ守り抜いてきた帝国は今、史上稀に見る繁栄の中にあった。

 民の笑顔はその証左だ。それを王宮から見下ろす我が王の眼差しの、何と慈愛に満ちたことか。


 私はこの方に一生の忠誠を誓った。

 永遠にこの方を傍らで支え、守りゆくために《命神刻ハイム・エンブレム》をも刻んだ。

 たとえこの身が人ならざるものに変わり果てようと、王のためならば何も恐ろしくはなかったのだ。

 その想いは今も変わらない。このお方の声を聞くだけで私の心には震えが走る。気高さを湛えた瞳と目が合うだけで、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。


 そして全身が叫ぶのだ。

 私はこの方を愛し、かしずくために生まれてきたのだと。

 だから私は今日も王の前に跪き、深々と臣下の礼を取った。

 心優しき我が王が、少しでも苦しまずに済むように。


「おっしゃるとおりです、陛下。歴代の王たちは、この××××大帝国を永遠のものとし、恒久の平和と民の幸福を約束するべく戦われました。そのために流された多くの血を、汗を、涙を、今更なかったことにはできません。我々には義務があります。この国の礎となった人々の想いを、未来へとつなぐ義務が」


 水晶の窓へ目を向けたまま、我が王はゆっくりと頷いた。

 同時に腰の後ろで組まれた彼の手がわずか震えていることを知っていたが、私は気づかぬふりをして続ける。


「私は魂を導き、生命いのちを紡ぐ生命神ハイムの神子。ならば喜んでつなぎましょう、人類たみ生命みらいを」

「人柱となってくれるか、フェイレス。エマニュエルのために」

「王よ。我が愛しき王よ。そこはお尋ねになるのではなく、どうかいつものようにお命じ下さい。ただ一言、行け、と」


 ――それが私の至上の喜びなのです、陛下。


 そう告げて微笑んだとき、私は見た。


 こちらを振り向き、同じく微笑んで下さった王の目に、黄金の涙が光っているのを。



              ◯   ●   ◯



 ザザン、と船が波を割って進む音を聞きながら、おれは甲板に寝転んでいた。

 天気は快晴。風向き良好。もちろんこの船は風がなくたって怯まず海を突っ切れるが、おれはやはり風のある海が好きだ。

 主帆檣メインマストの天辺、見張り台の上で黒い《墜角の牡牛ヴィック》の旗が翻るのを眺めていると、ああ、やっぱおれにゃあ海賊コレが一番向いてるみてえだな、と再認識する。


 おかに上がった数年間は確かに学ぶことも多かったが、親父も海賊、爺さんも海賊、そのまた爺さんも海賊と、代々海賊稼業に精を出してきた我がライモンド家の血はどうも潮の匂いを求めるらしかった。

 かと言ってクソつまらねえ海軍の兵隊なんぞになろうとは思わない。おれたちが愛するものはお宝と海。少々の酒とイイ女。そして、自由。


 今日も今日とて我が愛しのクストーデ・デル・ヴォロ号は、海賊島を目指して風を切る。宝物庫には貿易船から奪ったお宝が満載。それを知ってか知らずか帆檣のすぐ上で、カモメの群がご機嫌に歌っている。

 けれど一緒に口笛でも鳴らそうか、なんて童心に還るには、現実は非情すぎた。

 年が明ければ、おれは五十歳になる。肉体は若かりし頃のままだが。


 今は甲板に誰もいないのをいいことに、いつもしている黒い手套を外してみる。

 そこに輝くは青銀色の《星樹ラハツォート》。

 ××××大帝国時代から続く由緒正しきライモンド家の跡継ぎは、この《星樹》を五十年間身に宿し、ひた隠し、守り抜いてそして死ぬ。

 いや、少なくとも《暗黒期》まではそんなことはなかったらしいのだが、秩序のトーに操られたエレツエル神領国が世に現れて事情が変わった。五十年で死を選ぶのは、人の定命を外れることでかの国に目をつけられる危険を減らすためだ。


 年明けまではあと半年もない。

 その間におれはこの《命神刻》を誰に譲り渡すか決めねばならない。

 ライモンド家の掟によれば、次なるハイムの神子は血のつながった我が子でなければならないとか。おれには息子が三人と娘が四人いる。何人かの現地妻に生ませたもので、住んでいる場所は違うが血のつながりはまあ確かだ。


 ……いや、やっぱり訂正しよう。娘は五人・・だ。


 そしておれは、この忌々しき大神刻グランド・エンブレムを――

 

「――ハム、何やってんの?」


 ところが突然、視界の上方からひょこっと黒い帽子が生えて、おれは思わず「おぉうっ!?」と声を上げてしまった。

 真上からおれを覗いてきたのは、ごわごわの金髪をした片目のガキ。右目には仰々しい黒の眼帯、金髪の上には革製の海賊帽を被っていて、どちらも微妙にサイズが合ってない。年齢に対して大きすぎるのだ。

 まあ、と言ってもコイツは半獣人だから、十歳くらいに見えて実はまだほんの七歳という実にややこしい歳の取り方をしているのだが。


「おうカルロッタ、その〝ハム〟って呼び方をやめろと何度言えば分かるんだ?」

「いーじゃん、ハム。おいしそうだしさ、ハム」

「てめえ、ウサ公のくせにハムをうまそうとか言ってんじゃねえよ。敬意を持ってエイブラハム船長と呼べ、エイブラハム船長と」

「りょーかい、ハムせんちょー」

「……コイツ、ちょっとシメるか」

「ぎゃーっ! ハムに食われるー!」


 起き上がりざま、おれは獣のごとき瞬発力でカルロッタを押さえ込もうとするも、ヤツはそれに勝る反射でぴょーんと後方へ跳びのいた。そうしてケタケタと笑っている様は実に憎たらしいが、さすがは兎人ラビットの血を引くガキと言うべきか、こいつの跳躍力は体の成長と共に人外の域へ達しつつある。


 まあ、とは言っても、コイツが半獣人だってことを知ってるのはおれだけなんだがな。


 カルロッタは五年前、エレツエル神領国へ向かう商船を襲撃した際、檻に入れられ死にかけていたのをおれが拾った。半獣人だということがバレると都合が悪いので、物事の分別がつくようになるまでは人から離して育てようと、コイツと二人船を下りた。

 以来カルロッタはおれの娘だ。いや、本人がおれをどう思ってるのかは知らないが、少なくともおれはそう思っている。血のつながった息子や娘なんかよりずっと長い時間一緒にいるし、海賊の掟も海のすべても既に叩き込んであるしな。


 だからおれは、今日まで跡継ぎとして育てたコイツに大神刻を……。


「……。おう、カルロッタ」

「なんだよ、ハム」

「お前、この船が好きか」


 おれが上体だけ起こした姿勢でそう尋ねると、カルロッタは束の間きょとんとした。海の色を映したまんまるの隻眼ひとみを、パチパチと何度も瞬かせている。

 かと思えばヤツはいきなりニッと笑って、


「あったりまえだろ! だってこの船にはハムがいるもん!」


 その答えを聞いて、ああ、とおれは息を漏らした。

 そこから先は言葉にならなかったが、無理矢理口の端を持ち上げてやる。


 そんなキラッキラした顔してんじゃねえよ、バカ野郎。


 お前を遺して死ななきゃならねえ運命を、呪いたくなるだろうが。



              ◯   ●   ◯



 目が覚めると、何故だか頬が冷たかった。


 何だろう、と触れた指先が微かに濡れて、朝日を照り返している。


 どうして自分が泣いているのかは、分からなかった。


 長い長い夢を見ていたような気がするけれど、すべてはもう、霧の彼方。






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