103.アイラヴユーは届かない
四人の足音が、バタバタと闇の中に反響していた。
右手に灯した炎を頼りに階段を駆け下りる。それにしてもこの階段はこんなに長く深かっただろうか。
懸命に足を動かしても、全然地下に辿り着かない。おかしい。
もどかしさで気が狂いそうだ。早く――早く彼女を止めなきゃいけないのに!
「フィロ!」
その長い長い階段をようやく下り終えて、カミラはすぐさま闇の中から飛び出した。飛び出した先は昨日宴会が開かれたあの広間で、まだあちこちにたくさんの卓や椅子が放置されている。
そしてそれらの間に見え隠れする仲間の死体。いや、敵の死体もあるにはある。カミラは左腕を鼻に当て、顔をしかめた。
――ひどい血の臭い。死体なんて見慣れているはずなのに、吐きそうだ。
嘔気と共に視界がぼやける。
こんなの、嫌だ。
だけど今は、泣いてなんかいられない。
「ひでえな……やっぱりここもこの有り様か」
「だがフィロメーナの姿がない。更に奥へ行ったんじゃないか?」
すぐ後ろからウォルドとヴィルヘルムの会話が聞こえる。カミラはその間に涙を拭った。気を抜くと喉が引き攣りそうで、唇を噛み締める。
改めて目を向けた先には、たくさんの見知った顔があった。両目を見開き、血飛沫を浴びて、最期まで戦って逝ったことを死に顔で示す仲間たち。
――彼らの戦いに報いなくては。
ここで救世軍を潰すわけにはいかない。そのためにはフィロメーナを探し出し、町を脱出する必要がある。
「――槍兵屋敷」
「何?」
「フィロが真っ先に行くとしたら、そこ。あそこには色んな機密情報の書類があるし、イークやギディオンも戻ってたらたぶんあそこに行く」
「分かった。案内しろ。フィロメーナを捕まえたら、すぐに安全な場所へ避難するぞ」
ヴィルヘルムに促され、カミラは小さく頷いた。こんな状況でこの男は何故こうも落ち着いていられるのか疑問だが、その冷静さが今は少しだけ頼もしい。
未だに得体は知れないけれど、カミラを守りにきたという話は本当のようだ。合流してから彼は片時もカミラの傍を離れないし、黄皇国兵も躊躇なく斬った。
それに強さも本物だ。名を明かさない依頼人のことは気になるけれど、今は彼を信じよう、と思う。
「あの、さ」
「何だ?」
「ヴィルヘルムだと長いから、あなたのことヴィルって呼んでもいい?」
「……好きに呼べ。お前の父親は、断りもなくそう呼んだ」
そうなんだ、と思いながら、しかしカミラは少しだけ心が落ち着いた。愛称で呼ぶことを許可されて、わずか口元が綻びる。
落ち着いたら、昔この人とお父さんがどんな話をしたのか訊いてみよう。そう決心してから駆け出した。残りの三人もついてくる。卓と椅子と死体の間を縫うように走って、神殿の外へ。
そこから先は、最短ルートで屋敷を目指した。もう半年も暮らしてきた場所だ。常灯燭の明かりさえあれば、迷わずに走り抜けられる。
途中で居住区の路地へ踏み込み、屋敷が見える大通りまでショートカットしようとした。ところが刹那、カミラの耳に突き刺さった悲鳴がある。
「うわああああああっ……!?」
はっとして足を止めた。ウォルドたちも急制動している。
今の悲鳴は。
幼かった。それに少し遠かった。でも。
「ジョンの声だわ……!」
生きていたのか。カールから地下へ行ったと聞いたときは、もうダメだろうと思った。黄皇国兵が子供だからと手心を加えるとは思えなかったし。
だけど確かに聞こえた。いや、今も聞こえている。
断続的に上がる悲鳴。移動している? 逃げているのか。ということはこの町のどこかにまだ、黄皇国兵がいる……!
「来い、こっちだ! たぶんフィロもジョンを追ってる!」
方向転換したウォルドに呼ばれて、確かにそうだ、とカミラは思った。何しろフィロメーナは、カールの口からジョンの名を聞いた途端に駆け出したのだ。ならば彼女もきっとあの子を救おうとしているはず――
(たぶん、フィロは)
耐えられなかったのだろう。走り出しながら、そう思った。
彼女は耐えられなかったのだ。これ以上失うことに。失われることに。
フィロメーナはこの戦いで最愛の人を失った。そして彼の死について、自分を責めていた節がある。
あのとき私が黄皇国軍に捕まらなければ。ジャンを追いかけてこなければ……。
そうした自責の念は常に彼女を苦しめていた。少なくともカミラにはそう見えた。
だから彼女は失うことに敏感だったのだ。自分自身の喪失だけでなく、仲間の誰かが失うことをも嫌っていた。
あるいはそれすらも彼女の自責の表れだったのかもしれない。自分がこの戦いを引き継いだから――そのせいで多くの人が命を落とし続けている、と。
(あなたは優しすぎるのよ、フィロ)
そうやって何もかも一人で背負い込んだ。カミラたちが一緒に背負いたいと言っても、簡単には分け与えてくれなかった。
たぶんそれを罰だと思っていたのだ。多くの人々を傷つけ苦しめる、自分への罰だと。
(だけどあなたは、私を救ってくれた……!)
与えてくれた。新しい家。新しい家族。新しい居場所。生きる理由――。
それはきっとカミラだけじゃない。イークだって、ギディオンだって、ウォルドだってそうだ。だから皆が彼女を慕っていた。彼女のために剣を捧げた。
フィロメーナはそのことを分かってない。分からないなら、分からせてやる。
私たちにはあなたが必要だってこと。
こんなにもあなたを愛してるってこと……!
「ジョン、返事して! 助けに来たわ!」
走りながらカミラは叫んだ。ジョンの居場所が分かれば、きっとフィロメーナの居場所も分かる。こちらの存在も知らせられる。
黄皇国兵にも覚られるだろうが、そんなことは問題じゃない。立ち塞がるなら、殺せばいい。
「ジョン、どこにいるの!? 聞こえてたら返事を――」
「――助けて……助けて、カミラお姉ちゃん……!!」
聞こえた。さっきよりも、近い。
必死に自分の名を呼ぶ幼い声に、カミラは胸が張り裂けそうだった。
行かなければ。声の方角は捉えた。そう遠くない。
この先の路地を曲がって、槍兵屋敷の逆方向に――
「カミラ、敵だ!」
背後からジェロディの声。それに反応して、カミラは自動で剣を抜いた。
左から喚声。剣光。振り向きざま、降ってきた刃を受け止める。
同時に短く舌打ちした。こちらを発見した敵兵が横道から溢れてくる。
数は十? いや、もっと多い。道が狭くて暗いから、正確な数が分からない。
「その赤い髪……! お前が……!」
鍔迫り合った敵兵が、剣の向こうで何かおめいた。しかしカミラは構わず、右手の神刻を一閃させる。
目の前に炎が噴き上がり、敵が怯んだ。瞬間、カミラは仰け反った相手の懐に踏み込む。斬った。血飛沫が上がり、盛大に返り血を浴びたが気にしない。
「いたぞ、反乱軍の残党だ! 残さず仕留めろ……!」
路地の奥で誰かが叫んでいる。ジェロディとヴィルヘルムは居合わせただけで救世軍とは無関係だが、向こうにしてみればカミラと行動を共にしているだけで〝反乱軍の一味〟だろう。
本人たちもその自覚はあるのか、ほとんど同時に鞘走った。応戦の構えだ。ジェロディは事前に言っていたとおり、フードで顔を隠している。よく見るとバンダナも外して、鼻から下を覆い隠しているようだ。
(これなら……!)
多少派手に暴れても構わないはず。カミラは先陣を切って飛び出すや否や、わざと大きく剣を薙いだ。
その攻撃に怯んだ敵兵がわっと退く。一瞬の空隙。それを見逃さず、カミラは再び神刻を閃かせる。
「テオ・エシュ・アンクィ・ポロア――火箭!」
いつもより一回り大きい火の玉を、頭上に掲げ放り投げた。細い路地の中で列を成している敵兵目がけ、強烈な一撃をお見舞いする。
しかし爆音が弾けた瞬間、カミラは妙な手応えを覚えた。
神術は確かに命中した。けれどこの違和感は――
「――飛箭風!」
予感は当たった。
直後、爆煙を突き抜け、まっすぐに飛んでくる無数の矢が見えた。
いや、ただの矢じゃない。緑色の可視の風。それが矢のような形を取って突っ込んでくる――風刻。
カミラはその神術をまともに喰らった。細かい矢の突風に吹き飛ばされ、壁に背中を打ちつける。
一瞬意識が飛びかけた。体中から血が流れ出す。
敵。押し寄せてくる――
「カミラ!」
名を叫んだのはジェロディかウォルドか。床に手をつき、痛みをこらえて立ち上がろうとしたところで常灯燭の明かりが遮られた。
顔を上げる。
黄皇国兵。目の前にいた。
息つく間もなく、振りかぶられた白刃が、
「――フィ……フィロメーナさま……!!」
そのときだった。
カミラが背にした建物の向こうから、ジョンの悲鳴と喊声が聞こえた。
そこで意識が覚醒する――この裏か。
そう思い、剣を掴んだ矢先に、黒い塊が横合いから突っ込んでくる。
「ぐあっ……!?」
敵兵の首筋から血が飛沫き、倒れた。助けてくれたのはヴィルヘルムだった。
「ヴィル! この裏にフィロたちが……!」
「行け、ここは俺たちが食い止める」
「だけど神術使いがいるわ!」
「心配するな。俺も風使いだ」
――風使い? 〝風術使い〟ではなくて?
何故だかそこが引っかかったが、今は問い質している場合ではなかった。ヴィルヘルムが大丈夫だと言うのなら大丈夫なのだ。そう信じて立ち上がる。
痛みで膝を折りかけ、しかし壁に手をついて、カミラは歩いた。走り出した。
何度転びそうになったって、立ち止まらない。辿り着く。
曲がり角はすぐそこにあった。けれどそこを曲がろうとして、
「行かせるか……っ!」
逆方向から、敵。カミラは背中を狙われる形になり、もう一度舌打ちした。
雑魚に構ってる暇なんてないのに。そう思いながら振り向いた先で、敵兵の頭にいきなり剣がぶっ刺さる。
ぎょっとして目を見開いた。どこからともなく剣が飛んできたのだ。後続の敵も怯んだのが分かる。そこへ横から突っ込んだ人影があった――ジェロディ。
「行くんだ、カミラ!」
またも喉が引き攣った。泣き出しそうになりながら、カミラは強く頷いた。
身を翻し、走り出す。曲がり角の先を、更に右へ。見えた。影。
裏手の路地の突き当り。そこに見える土壁を松明の明かりが照らしていた。
赤い光の輪の中に、戦っている影絵が見える。ぶつかり合う剣の音。ジョンの悲鳴。じりじりと押されて後退してくる、フィロメーナの影――
「フィロ!」
カミラは叫んだ。叫びながら、全速力で奥を目指した。
細い路地の向こう。ついにフィロメーナの姿が見える。
彼女はカミラのそれより細い剣で、必死に敵と戦っていた。
だけどフィロメーナはそんなに剣を使えない。ほとんど防戦一方だ。
間に合え。
全身から血が噴き出すのも構わず、カミラは駆けた。
間に合え……!!
伸ばした手がフィロメーナに届くまで、あと十歩。
刹那、彼女の剣が鋭く鳴いた。
フィロメーナが呆然と見やった先で、刃が半ばから折れている。
「フィ――」
限界まで手を伸ばした。掴もうとした。彼女もこちらを振り返る。
目が合った。
その瞬間から、すべてが水の中の出来事のようにゆっくりと流れた。
右から黄皇国兵が飛び出してくる。
彼はフィロメーナの懐へ踏み込み、絶叫する。
黄金竜の閃く剣が振り上げられた。
「あ、」
手が届くまで、あと一歩。
伸ばした指の先で、無情にも剣は振り下ろされた。
刃先がフィロメーナの肩に食い込み、そのまま胸を切り裂いていく。
大きな赤い花が咲いたみたいだった。
彼女の血が噴き出す音、それ以外、すべてがカミラの聴覚から、消えた。




