39 コンプレックス
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金糸で蔦の模様が織り込まれた絹の赤いブロケードコートに、ワインレッドのウエストコート。レースがふんだんにあしらわれた白のクラバットといういで立ちで腕を組み、そこに立つ男。
グレイシアの実兄であり、リムウェル王国の現王太子であるフレデリックは、偉ぶった態度で取り巻きを従え、ニヤリと見下すような笑みを浮かべる。
「フレデリック兄様……。どうしてここに?」
硬い声で問いながら、シアが庇うようにテオの前に立つ。
「どうして…とはおかしなことを聞くじゃないか。次期国王であるこの俺がどこにいようと自由だろう? いずれこの国はすべて俺のモノになるんだから」
「………」
「それよりお前だ、グレイシア。お前はどうしてこんな所にいる? 何をしているんだ?」
逆に問い、フレデリックがグレイシアの前まで歩を進め、正面に立つ。威圧するように見下され思わず目を伏せた。背中に冷たい汗が流れるような感覚に耐えながら、もう一度顔を上げ懸命に笑顔を作る。
「……先日珍しい本を頂いたから、お兄様にお貸ししようと思ったの。本宮からここまでは遠いでしょ? だから馬車を出して貰ったの」
自身でも分かる苦しい言い訳だったが、それでもこれが最善だと思った。下手な事を言えば何をされるかわからない。自分のせいで次兄に迷惑がかかることだけは絶対にしたくなかった。
「そうだったのか」
予想外の穏やかな口調にシアはホッと小さく息を吐いた。
「そうなの、だから…」
「それじゃあ、早速貸して貰おうか?」
「…えっ?」
「兄のための本なんだろう? 珍しい本か……どんな本か実に興味があるね。さあ早く、貸しておくれ」
グレイシアが本など持っていない事は百も承知で、敢えて追い詰めるやり方は、まるでネズミをいたぶる猫のようだ。ニヤニヤと笑う長兄の後ろでは、同じように取り巻きたちがニヤついている。
「…違うの。フレデリック兄様じゃなくて、テオお兄様にお貸しするつもりで…。ここには……」
その瞬間、フレデリックの手がグレイシアの頭に伸びた。髪を鷲掴みにすると、うすら寒い笑顔のまま乱暴にグレイシアを引き寄せる。
「痛っ……っ!」
「おいっ!!」
結われた髪がほどけ、グレイシアが苦しそうに顔を歪める。咄嗟に一歩踏み出したテオの前に、フレデリックの取り巻きが立ちはだかり道を塞ぐ。
「グレイシア…嘘はいけないなぁ。いつからお前はそんな悪い子になってしまったんだい? それに……お前は何か勘違いしていないか? お前の兄はこのフレデリックただ一人のはずだ。そうだろう?……違うかっ?!」
髪を掴んだまま乱暴に揺さぶられ、グレイシアは思わず彼の腕に手を伸ばした。掴み損ねた指先が彼の手の甲をかすめる。
「……チッ!」
痛みを感じ、フレデリックはその勢いのままグレイシアを突き飛ばした。
「大丈夫か?! シア!」
取り巻きを押しのけ義妹に駆け寄る。その背中を思い切りフレデリックが蹴り飛ばした。
「お前ごときが俺の妹を愛称で呼ぶなっ!」
「テオお兄様!!」
「お前もだ、グレイシア!! こいつは俺たちの父を篭絡した薄汚い女の息子だぞ!! 間違っても兄なんて呼ぶな!!」
ハアハアと肩で息をしながら、フレデリックが大声で叫ぶ。先ほどまでの余裕綽々たる様はなりを潜め、彼の本質が顔を出す。
「いいか、テオドールッ!!! お前がいくら努力したところで、薄汚い私生児である事実は変わらないんだよっ! 大人しくこの離宮に引きこもって俺のおもちゃになってればいいものを…っ 当てつけのようにアカデミーに進み、飛び級の上、首席で卒業だぁ? 笑わせるなぁぁっ! どうせ金で買った肩書のクセに…っ。お前なんか所詮、父上の威光がなければ何の力もない虫けらなんだよ!! 俺はなぁ! お前なんかと違って正当な血筋の唯一無二の存在なんだ!! だからこそ、父上は俺に優秀な家庭教師をつけ、誰よりも高度な学問を学ばせた! お前なんかとは格が違うんだ!! お前なんかとは……っ」
キレイに撫でつけた金髪を振り乱し、フレデリックがが喚き散らす。血走った眼で、憎々し気に二人を見下ろす。
「俺が王になったら、手始めにまずお前をこの世から消してやる……っ」
テオの襟首を掴み、無理やり立ち上がらせる。何をされても無抵抗なテオの様子に昔を思い出したのか、フレデリックは嬉々とした笑みを浮かべた。
「そうだよ……。お前はいつだって、大人しく俺に殴られてればいいんだよっ!」
そう言って振り上げた拳がテオの顔面に向かう。
「………なっ! お前…っ! くそ…っ放せ!!」
拳がテオの元に届くことはなかった。
当たる瞬間、片手でそれを受け止めたテオは、もう片方の手で手首を掴む。
冷ややかな顔で、いつしか抜いてしまった伸長を盾にフレデリックを見下ろす。ギリギリと握る力を強めていくと、次第にフレデリックの顔が痛みに歪む。
「…っ! い、痛い……っ! 放せっ!! おい誰かっ! こいつを何とかしろ…っ!」
慌てて駆け寄る取り巻きたちの前に、ラウルが立ちはだかる。
その怒気を孕んだ鋭い視線に気圧されたのか、全員の足がピタリと止まった。
「あの人には手は出せないけど、お前らに遠慮はしないよ? 覚悟できてる?」
その間もテオは、更に強く力を込める。手首から先の色が赤を通り越し紫色になっても、視線を外さず無言で締め上げる。
「……うわぁぁっ!! やめろ……っ 折れ…折れる…っ!」
「ボキッ!!!」
「ヒィィィ!!!」
「……なんてこと、私がすると思いますか? 心外です、義兄上」
パッと腕を離すと、目の前で両手を広げヒラヒラと指を動かす。フレデリックは慌ててテオから距離を取ると、指の後がくっきり付いた手首を抑えた。
「お、おまぇぇ…!! こんな事をしてただで済むと……っ」
「義兄上」
テオの口から発せられたあまりに冷ややか声に、フレデリックはビクリと背中を震わせ、押し黙った。
「当時は、右も左も分からない私を随分とかわいがってくださいましたね。あれほどまでの悪意を向けられた事は初めてだったので、随分戸惑う事もありましたが、今となってはよい経験だったと思います。おかげでアカデミーでも心強く過ごすことが出来ましたから」
にこりとテオが口端を上げる。
「いい機会なので、はっきりと申し上げておきます。私は今日まで、義兄上の地位に興味を持ったことは一度もありません。一生を大人しく、この離宮で過ごすつもりでいましたが今回運よく、隣国ソアブルの公爵令嬢との婚約が決まりました。近い将来ここを出て行く事になりますが、今後とも友好国として末長く良き関係を築けるよう尽力する所存でおります」
「……」
「ですから今後は、このように幼稚な事を態々して頂く必要はありません。夜中に人を送るようなまねもやめて頂きたい。食事に関してもこの十五年、いろいろと気を使って頂き随分と耐性がつきました。味にもかなり敏感になりましたので新しいメイドを送って頂く必要はありません。ああ、でもこれは義兄上ではなく義母上にお伝えするべきでしたか。なんにせよ、敵意がないという事をご理解頂ければと」
「……」
「…聞いていますか? 義兄上」
「き、聞いているっ!」
「でしたらもう、今日はお引き取り下さい。今日は私にとって大変重要な日ですので」
「……っ! ……行くぞ!」
憎々し気に顔を歪めてフレデリックが踵を返す。その背中に向かって、テオはもう一度呼びかけた。
「そう言えば義兄上。最近北が騒がしいという噂を耳に挟んだのですが、何かご存じでしょうか?」
不意を突かれ、フレデリックが明らかに不自然な様子で足を止める。
こういう素直な所に、育ちの良さが出てしまうのだろうが、為政者としては不適格だろう。
「……し、知らん! なぜ俺に聞くんだ?」
「いえ、最近随分と外交に力を入れているとお聞きしたので。北へは随分と頻繁に行かれているようですが、何か面白い事でもありましたか? あ、これは引きこもりの単なる興味です」
テオの言葉に何かを察したフレデリックが、ラウルを睨みつける。
「お前か……っ。ラウレンツ=オルブライト……ッ!」
「これは殿下。覚えていて頂けたとは光栄です。しかし私は既にオルブライト侯爵家から勘当された身。今は一兵卒としてテオドール殿下にお仕えしております、ただの有能な騎士です」
華麗なボウ・アンド・スクレープでニヤリと笑う。
「今後は遊びもほどほどになさった方がよろしいかと。あまりおいたが過ぎると、いくら正統な血筋を持っていても足元を掬われかねません。これは、たった一人の義弟からの最初で最後の進言です」
「………っ!!」
悔しげに顔を歪め立ち去る義兄を見送ると、テオは大きく息を吐き空を仰いだ。
「もうこれで、後には引けなくなったな」
今後は今以上に忙しい日々が続くだろう。
(全てが片付いたらもう一度、今度はきちんとアデルに……)
握った拳に力を込める。
「さあ、邪魔者もいなくなったし準備を始めよっ。目一杯着飾って、みんなを驚かせちゃおう。覚悟してよ、テオ」
「……ああ」
ラウルの言う覚悟の意味を、テオはこの後存分に知ることになる。
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