女神への御饌
女神への御饌
街から湖を挟んだ反対側の対岸に、私はリーリカと二人小舟を漕ぎ出していた。
やがて入江の影に隠れるように、湖へと注ぎ込む川があり、教えられたとおりに小舟を進めれば、やがて桟橋となっていた。
「結構流されるわね」
「はい。念の為ロープは二重にかけておきましょう。それと一応魔物にも注意してください」
「そうね、注意はしておくべきだわ」
小舟の操作になれない私とリーリカは、なんとか桟橋の上流側まで船を進めると、桟橋を固定している杭に、ロープを引っ掛け手繰り寄せ、流されないようにしっかりと小舟を固定した。
「えーっと、こっちかしら? 多分上流側って話だから、この小径を川に沿って上がっていけばいい筈だけど」
「間違いないと思いますが、どうにも草が凄いですね」
「うーん。仕方ないけど、ちょっと草を刈ろうかしら?」
「そのほうが足元が見えて安全だと思います。うっかり踏み抜きでもしたら、川の中に落ちてしまいますから」
払われる草には申し訳ないけれど、さすがにこのまま草を掻き分けていくのは心が折れそうだった。
もう本格的な秋も近いし、あとは枯れるのを待つばかりの草に、少々早くご退場願うことにして、私はウィンドカッターを使って下草を文字通り一掃した。
「いつも思いますが、その魔法は戦闘以外でも、色々と便利な魔法ですね」
多分私が使う魔法の中で、最も多く使われるその魔法は、私が一番最初に無我夢中のうちに使った魔法でもある。
鎌鼬を連想させる見えない風の刃が地面すれすれに飛んでいけば、綺麗に刈られた一本の道となるのだった。
「それじゃあ行きましょうか」
別にそんな必要がなさそうだけど、私たちは手に手を取り合って、仲良く並んでその道を進んでいく。
今頃フレバ―子爵城館では、子爵とハッカーさんが宝石商からミリアちゃんへの贈り物を選んでいる頃だろう。
当初私たちも同席を求められたのだけど、こちらはこちらでやらねばいけない事が有る。
それに、好みがわかったのなら、アクセサリーを買うのはやっぱり男性の役目だと個人的には思うのだ。
そうすれば少なからず、選んでもらいました。ではなく、選びました。と言えるのだから。
「ねぇ、リーリカ。参考までに聞くのだけど――」
「なんでしょう? エリス様。」
「結納の儀の贈り物って、どれくらいのものが相場なの? 流石にそんな野暮な質問、聞くわけにいかないじゃない?」
「そうですね、別に目安は決まってないのですが、子爵家の面子もありますし、おそらく10金貨や20金貨はくだらない品ばかりだとは思いますが。」
「うわぁ……お嫁さんを貰うのも、大変なのね」
「そうですけれど、エリス様? わたしがいくらでエリス様に嫁いだようなものなのか、まさかお忘れではないでしょうね?」
「わ、わかってるわよ……ふふっ、でもそっかぁ、お嫁さんかぁ~だったらこんなこと位しても――」
――ちょっとした冗談のつもりだった。
リーリカの小さな顎に手を添えて、ゆっくり顔を近づけていく。
そして「なーんて冗談よ? びっくりした?」と言おうと口を開きかけたとき――
――――!?
――――――――!?
――――――――――――!!!?
リーリカがおもむろに伸ばした両腕は、私の頭を抱え込み
「「――ンァッ」」
ハァハァハァ……
二人を繋いだ一縷の糸は、その中央から切れ落ちて、チロチロとなぞられた口内の感触に、思わずそこを自分の舌で確認してしまう。
私は時間を止めたまま、ただ小さく舌なめずりをするリーリカの小さな舌だけが、やけに赤く記憶に焼き付いたのだった。
――やだ……溶けちゃう。
◇ ◇ ◇
随分とここ数日で出番の増えた応接室は五人ほどの人がいた。
一人は父であるフレバー子爵その人と、その専属給仕のソルティであり、目の前に座るのは、コフの街で宝石商を営む商人だ。その傍らにはまだ若そうな女性が座っているが、その生え揃った頭角が彼女がノームである事を告げていた。
どうもまだ若そうなノームはその宝石商をこの冬の夫とすることを認めたようで、今はもて余す暇を彼の仕事を手伝う事で紛らわせているようだ。
そしてもちろん次期当主である自分を含めて五人なのだが、ここにあの二人がいれば、ここまで緊張しないでも済んだのではないだろうか? などと益体もないことを考えてしまっていた。
そんな様子に気が付いた子爵は、小声で息子にささやかな檄を飛ばしていた。
「相手の思うままに呑まれていては、立派な領主になれんぞ。しっかりせんか」
「わ、わかっております」
とは言ってみた物の、目の前に並べられた品々は、どれが良いものなのかも正直自分には見分けられそうもないのだが。
とにかく黙っていてはいけないと、二人から聞いた話を思い出し
「我が妻となる令嬢は今は小柄で可憐な印象を受けるのだそうだが、その美しさを損ねることなく、引き立てるようなものはどれか?」
「さようでございますか、それではまずこれと、これ。そしてこちらとこちらは、残念ですが除外致しましょう」
このちょっとした条件だけで、一気に並べられた候補の中から武骨なものと、重量感のある指輪やブレスレットといったものが取り除かれる。
これは成功したと思った矢先――
「代わりにこちらのものも加えましょう。もっとも、こちらは結納の儀の贈り物とするには、少々格が足りませんのでいくつかまとめてお求めになっても良いかとは思いますが。」
なんと鞄の中から取り出した小箱から、次々と出てくる華奢な装飾品が除外された以上に並べられてしまったのだ。
くっ、これでは余計にきめられないではないか!と内心ゴチて、それでもこれしきの試練を乗り越えなくてどうすると、自らに喝をいれた。
「ではまずは髪留めを選んでもらうとしよう。美しい黄金の髪だというのだが、そうだな、尖った部分のない、繊細な細工のものはあるか?」
「繊細な髪留めでございますね、お任せください。きっと御納得いただけるものをご用意できるかと」
そう言って傍らのカバンの中からいくつか取り出した髪留めは、その自信にあふれる言葉通りに、どれも素晴らしいものではあったのだ。
その中で一際目を引いたのが、プラチナの輝きの恐らく眼を模したであろう円弧を二つ抱き合わせ、その中心に瑠璃色の大きめの宝石が輝いていた。
その髪留めにあるものを連想し、迷わず決める。
「髪留めはこれを貰おうか」
「おお、アプサラスの涙をお選びになるとは、さすがはお目が高い」
そんな事を言いながらに、フェルトの張られたトレーにやっと一つうつされた。
しかし一つ決まると、そのコンセプトが見える来るもので、瑠璃色の宝石を中心に、三つほどを決定した。
さてこれで決めたものは、指輪、髪留め、ブレスレット、ティアラだがやはりネックレスはあったほうが良いだろう。
「あとネックレスが欲しいのだが……なにかないか?」
「ネックレスですか。生憎とアプラサスの涙のものは御座いませんが、とっておきの品が一つございます」
「ほう」
宝石商は鞄ではなく、懐から布に包んだ何かを取り出すと、その布を静かに広げる。
そこにあったのは青とも紫とも不思議に色が変わる石の付いた、ネックレスだった。
「これは、大変貴重で、稀有な力を持つタリスマンだと言われております。あまりお譲りしたくはないのですが、なにせ祝い事の品、今回は特別にお譲りしても構いません」
「確かに珍しい品だが、護りの首輪か。いかほどだ?」
「そうですね、金貨三十枚……と言いたいところですが、沢山のお取引をしていただく大切なお客様の祝いの品です。ご祝儀と言う意味を込め、金貨二十枚ということで如何でしょうか?」
金貨三十枚といえば、確かに大金だ。それが二十枚でも十分高価なのだが――
チラリと父親の顔を窺うと、子爵は小さく頷いて、どうやら買えというサインらしい。
「わかった。それも頂くとしよう」
「大変良い買い物をされました、流石は次期当主となられるお方。この度は本当におめでとうございます。どうか末永く繁栄されることを祈っております」
商人は満足そうにそう述べて、私はやっと結納の儀で使う贈り物を手に入れることが出来たのだった。




