百合の花開く
2018年10月4日 一部改稿
誤字修正、一部表記を変更
百合の花開く
滴り落ちる水滴は、僅かに硝子の向こうに置かれた光源を映して消えていく。
弾けるときのその音が、ピシャリパシャリと心地よく、ぼんやりと私はその身を委ねていた。
私の横のリーリカも、それに倣って瞑目し、今はその漆黒の瞳を見ることは出来なかった。
小さくまとまったリーリカの顔にじんわり浮かび上がる汗もまた、梁に溜まり落ちてゆく水滴のように、時折伝い落ちてはまた浮かび上がっていた。
「蒸し風呂もいいものね」
浴室のすぐ横に備え付けられた、小型のサウナは、私がよく知る石焼のサウナとほぼ同じ原理だろう。
白いレンガで作られた釜の中には焼けた石が詰められており、そこへ精油を混ぜた水を振りかければ、たちまち芳しい精油の香りを含む蒸気で満たされる。
所謂湿式のサウナということになり、その湿度はかなりのものだけれど、意外と体感温度は高くない。
「船上では身体を拭うか馬車の設備で軽く汗を流す程度でしたからね」
リーリカは丸く浮かび上がった汗をそう言いながら拭うけれど、すぐにまたポツンと浮かんだ小さな汗の玉は、みるみるとその大きさを増していた。
原理はともかく、私は乾式のサウナというものは実はあまり好きではなくて、鼻を突くような刺激と乾いた空気の息苦しさが、なんとも苦手だったのだ。
しかしこのサラの山百合の特別室に備えられているサウナは、そこまで息苦しく感じることも無く、独特の香油がむしろとても清々しい。
私はあまりい世話になる機会は、残念ながらなかったけれど、近年増えていたリラクゼーション向けの低温スチームサウナに該当しそうなこのサウナには、すっかりと虜となってしまっていたのだ。
そして、少しばかりぬるくなってきたかなというところで、タイミングよく蒸気を追加してくれるのはこの部屋付きの給仕であるシーラさんだ。
灰銀色の長い髪を今は頭の上に結い上げて、タオルを巻いている以外は全裸である彼女は、背こそリーリカと同じくらいだろうというものの、地精霊かしら? と思ってしまうほどのその双丘は、彼女が蒸気を追加して扇ぐ度、誇らしげに揺れながらその存在を主張していた。
そんな立派な胸に、つい連想してしまうのは一人の地精霊――メーテルさんだ。
サウナにより失った水分はかなりの量となる筈で、あの瑞々しい桃の恵みを口にしたら、さぞや美味しい事だろうなんて考えてしまうと、思わずゴクリと喉が鳴った。
そんな私を見たリーリカも同じことを考えていたようで――
「バインバインですね」
「そうね、とてもとてもバインバインね。むしろ計り知れないわ」
と、頷き合う私たちは、妙な事で認識の一致を確認したのだった。
そんな私達の不審な様子にシーラさんは気が付くと、言ってはいけない事を口にした。
一応弁解させてもらうけど、私もリーリカも、このとき正常な判断力なんか、とっくに持ち合わせていなかったのだから。そんなもの、コフのメーテルさんの前にすべて粉微塵に粉砕されていたのだ。
「お試しになられますか?」
その言葉に何かが崩れる音がした。
瓦解する何かを、頭の芯に感じながら、ふらふらと近づく私たちは、夢遊病患者かはたまら屍鬼のようだっただろう。
たわわに実る白桃に手を伸ばす私達。
「「いただきます」」とばかりに吸い付くも、神様の恵みが得られるわけでもなく、代わりに響く甘い嬌声が、狭いサウナに木霊した。
――――。
切なげにグッタリとするシーラさんを、二人で給仕室のベッドに運んだ後、私達は彼女に謝罪するも……
「お二人とも、とってもお上手なのですね。夕餉のあとは私が……」
なんて爆弾発言をするという、想定外の事態を呼ぶこととなり。
リーリカに心を寄せるうち、メーテルさんという起爆剤があったものの、気が付けば私は――底の無い沼に、もう全身どっぷりと漬かっていることを遂に自覚した。
――――。
そんな事もあり、装いも新たにドレスを着込み、ダイニングでの晩餐へとなだれ込んだのだけれど、ダイニングに入る瞬間に、呼び出しはされるわ、挨拶はさせられるわで、そちらはある意味予想通りの展開を突き進む幕開けとなったものの、シーラさんの言葉をつい、彼女を見るたびに思い出してしまったりと、リリアナさんとの会話に身が入らないという事態に陥ってしまうのは当然の結果だったのではないだろうか。
そんな状況でも、しっかりと贅を尽くした料理は舌鼓を打ちながらに堪能し、当たり障りのない範疇で、リリアナさんの質問に答えていた筈だけれど、傍に控えるシーラさんと目が合うたびに、彼女が恥ずかしそうに視線を落とすものだから、その様子をリリアナさんにはしっかりと勘づかれているようで――
「シーラを気に入って頂けたようでよかったですわ」
なんて、にこやかに言われたときには、私は勿論、流石のリーリカもその表情をギクリと強張らせるのだった。
◇ ◇ ◇
色々と有った一日が終わり、夜が明ける。
清々しい迄もの朝日が差し込み始めている中、僅かに漂う昨夜の残滓だけが、私の頬を知らずと紅くした。
先程まで三人で寝ていた寝台には既に私しかおらず、ポツンと取り残されたような不安が僅かに胸に蟠る。
それも僅かの事、一足先に汗を流してサッパリと着替えてきたリーリカに伴われ、夜に乱れた髪を洗ってもらえば、私の胸はすぐに多幸感で一杯になるのだ。
思い出したようにおはようのキスをして、新しい一日がそうしてまた、幕をあけてゆく。
「本日は装備化の依頼をこなさないといけませんね。サラ様のご実家……ブランドルの王城に向かうのはやはり明日でしょうか?」
朝食を部屋で採りながら、今後の予定をすり合わせ、それが順当だろうとリーリカに告げると、それを聞いていたシーラはサラの城館へとその旨連絡してくれるという。
「それにしても、この世界の魔法を使う人って、どうやって色々と知るのかしら?」
「大抵の場合は、誰かに師事して学ぶことが多いようです。私は生憎とその様な機会はありませんでしたが、素質という部分だけで言うなら、多少の魔法の才があるそうですが……頭で考えるより先に、体を動かすほうが得意ですので」
「へぇ~。その辺の事も聞いてみようかしら?」
「それが良いかと思います。どうにもエリス様は、ここぞという時にとんでもない力を発揮しますが、いかんせんそのまま力尽きてしまうのが気がかりです。御身体に障るような使い方をしているのではないかと不安になりますから」
「う、ごめんね、リーリカ。心配ばかりかけて」
リーリカの言う通り、私は過去数度魔法を使って気を失っていたり、ほとんど行動できない状況に陥っていた。
サイダの湖上でも、短かったものの気を失い、更に疲労困憊で動けなくなる事態だったのだ。
あの時サラが飛び込んでくれていなければ、私はこうしてリーリカの横に立つことは出来なくなっていただろう。
このコントロール不能なまでの強大な力を、うまくコントロールできるようにならなければ、私は今抱える問題を解決できることはないだろう。
予感めいたそんな考えを裏付けるかのように、旅の道中色々な人に聞いた厄災の緋眼の話は、どれも荒唐無稽とも思えるほど、非常識なものだった。
曰く一晩で帝国を潰した、とか。
数千人の兵を一瞬で血霧に変えたとか。
きくだけで恐ろしいその内容は、逆に話が誇張されすぎて、却って現実感を失わせるものの、その結果だけを見れば、間違いなく彼女がもたらした、凄惨な現実――つまりは実際に有ったことなのだ。
そんな規格外な相手に、私は一体どうやって立ち向かえばいいのだろうか?
考えに黙り込む私をよそに、ミャーミャーと鳴くウミネコだけが呑気に風を捉え、窓の外を滞空しているのだった。




