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閑話:夢現の戦線

酷く境界線があいまいな世界に居た。

私は体がぼんやりとにじんでしまったような感覚に焦りを覚える。

このままいけば、きっと世界と溶け合って別の何かになってしまう。

もがけばもがくほど、溶解は早くなるようだった。


ふと、小さな冷たい手が額にふれる。

その柔らかさが私を私のままで留まらせてくれた。

心地よい手の感触には覚えが有る。

最近覚えたばかりだけれど、違うはずは無い。


―ティア―


愛しい名を呼ぶのだけれど、その声は自分のものではなかった。

なぜだろう。

どう頑張っても、彼女を呼ぶのは別人の声だった。

そのうち、その声に腹立たしさを感じる。

ティアと彼女を呼んで良いのは私だけなのに。

そんな思いで抗議をするのに、声の持ち主は動揺すらしない。


それに更に腹を立てて、一瞬手が出そうになるが残念ながら私の腕はピクリとも動かない。

足も首も自分の思い通りにはならなかった。

なんてことだろうか。

こんな体では彼女を守ることが出来ないじゃないか。

私は今度はままならない体に怒りを向ける。

怒りを向けられた体は腹いせとばかりに怪我した肩を軋ませた。

ぼんやりとした感覚の体なのに、なぜか痛みはやけにはっきりと伝わってくる。

痛みは熱を持ち、その熱で私の体を溶かそうとする。

やめろと叫ぼうとするが、既に喉も自由にはならないらしい。

私は自由に出来る思考の世界で体に向かって罵詈雑言を並べ立てる。


すると今度は、なんだか思考まで定まらなくなってくる。

つい一瞬前に自分が何を考えていたのかわからなくて、考えが纏まらない。

纏まらない考えに嫌気がさして、思考を捨てる事にした。


そんな私を形づくるのは記憶だ。

昨晩のティアの唇の甘さ。

降り続く雨が小さな小屋の屋根を叩く音。

視察初日の柔らかな風。

初めて領地に来た日にティアがつけていた緑色のイヤリング。

城での夜会で感じた青葉の香。

私の記憶にはティアがいて、その蜂蜜色の髪で記憶の世界を照らしてくれている。

少し赤みのある金色をした光は私の記憶を柔らかで穏やかな思い出に変える。

私はその穏やかな記憶の中でのんびりとたゆたう。


しかし、ティアが居なくなってしまうと、そこは途端に暗くなる。

私はティア以外の事は思い出したくないと祈るけれど、残酷な記憶は鮮明さを増して瞳に映る。

やめろと叫ぼうにも声は出ない。

嫌だと目をそらそうにも体は動かない。

気にするなと自分に言い聞かそうにも思考はすでに捨てていた。


私は途方に暮れる。


記憶をも捨ててしまえば楽になれる。

しかし、記憶を無くせばティアのくれた思い出も手放す事になる。

それどころか、記憶まで無くせば、私に残るのは感情だけだ。

それは私として存在しなくなると言うことだった。

つい先ほど感じた恐怖がよみがえる。

なぜ自分であることがそれほどまでに大切なのかは分からないけれど。


思考を捨てている私には、名案は浮かばない。

その間も記憶はよみがえり続け、父を亡くした寂寥を、兄を亡くした痛哭を、甥を死なせた絶望を、ティファニーを救えなかった無力感を、もう一度、もう一度と見せてくる。

そのたびに、私は嫌だ嫌だと拒否するが、次の瞬間明滅するティアの記憶に見惚れてしまう。

これは無くせないのだと気まぐれに灯る金色の光を渇望する。


どれだけの間、嫌悪と愛惜の間で揺れていただろうか。

ふと心地の良い声に呼ばれた。

ここから救ってくれと声に向かって懇願する。

それと同時に、こんな危ない場所に近づくなと怒りも湧く。

もし、君がこの闇の中で失われてしまったなら、いてもたっても居られない。


―アデル―


なのに声はだんだんとこちらに近づいてくる。

いけない。

こちらに来るな。

私は急いで醜い記憶を檻につなぐと、その記憶から遠ざかる。

こんなものは見なくていいんだ。

どうか私から離れていかないで。

どうか私を一人にしないで。


私は手を広げて暗闇に光が差すのを遮った…




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