13.紺青色の絵本
クランドール伯爵家について私が知り得ていることは少ない。
小さいが王都にほど近い領地を持つ伯爵家で名門といって差し支えない伝統ある家で、代々当主は城へ仕官しており、堅実な領地経営も相まって揺るぎない地位を築いている。しかし、あまり権力志向は無い家柄のようで、いつの時代も中堅の中の中堅…といった立場を変えることはない。
当代当主、つまりティアの父親であるルーカス・クランドールはそんな名門中堅伯爵家に生まれながら、留学中に知り合った異国の庶民の娘を妻に迎えた。当時の社交界では大きなスキャンダルとして受け止められたが、体の弱い夫人はあまり社交界には出なかったので噂はすぐに下火になった。間もなく女子が誕生し、同じ時期にクランドール伯爵が城の要職につくと、表立ってとやかく言う者は完全に居なくなる。
しかし、10年後ルーカスは再び時の人となる。ある日突然夫人が若くして亡くなり、その喪があける前に彼は全く別のタイプの女性と再婚したのだ。亡くなってすぐ、申し訳程度に話題に上ってあっという間に忘れ去られていた前夫人の訃報は、再婚が知れるやいなやすぐにトップニュースに返り咲いた。伯爵の再婚相手はマゼンタ・ターコイズ。前ターコイズ子爵の未亡人だ。彼女はかなり年上の前ターコイズ子爵に嫁いで女子を2人授かるも、前ターコイズ子爵が亡くなると現ターコイズ子爵に家督を奪われ、娘と共に王都で細々と暮らしていたらしい。再婚の際にはすでにクランドール伯爵の子を宿していて、その事がさらに噂を下世話なものにした。契約結婚だとか、財産目当てだとかいった噂だけでなく、もともと愛人関係だった2人が前夫人を亡き者にしたのだとかいう推理を展開する者もいたとのことだ。私はすでに子爵を賜っていたが、この年父が亡くなっていて社交界から遠のいていたので、あまりそれらのうわさを直接聞く機会は無かった。
今、クランドール伯爵家はルーカス、マゼンタ、トーマスの3人のみ王都の屋敷に住んでいて、上の娘ローズは3年前に、中の娘ルビーは2年前にそれぞれ結婚して家を出ている。
と、ここまでは貴族ならば誰でも知り得る話。私にとって重要なのは幼きティアが激動の伯爵家でどのように過ごしていたか…だ。
陰者が調べた情報によるとティアは2人の姉とあまりうまが合わなかったらしい。継母は結婚してすぐにトーマスを産み、育児に夢中になって、その分3人の娘達はほったらかしだったとのことだ。クランドール伯爵も仕事にのめり込んでいて、娘達の関係がうまくいっていない事に気づいてさえ居なかったうようだ。最初は遠慮も有り、ぎこちないながらも上手くやろうとしていたようだが、そこは10歳かそこらの子どもの事、次第にけんかをする事が多くなる。けんかといっても、姉2人対ティアという図式は出来上がっていて、力でも、口でもティアが勝てる事はあまり無かったらしい。傍から見ると姉二人が末娘をいじめている様にしか映らなかったという。母を亡くし、父は仕事で忙しく、継母は赤ん坊に夢中で無関心。それに加えて新しくできた姉にいじめられて…幼いティアの胸のうちを思うと不憫でならない。なるほど家族に会いたくない気持ちも分かる。私はようやく、家族と再会できる事が彼女の喜びに繋がるという考えを捨てた。
ティアの幼い頃の事を探るとはらわた煮えくり返る情報が多かったが、そろそろ引き上げようかという頃、陰者が面白い情報を持って帰って来た。
「『灰かぶり姫』か…。」
「はい。どうやら、シンディーレイラ様が書かせた絵本らしいのです。」
「裏はとれているのか?」
「作家はシンディーレイラ様が後宮に入った時に作られた小説と同じ者です。」
「あぁ、あの…。」
「作家に後宮の姫がモデルだという噂があると鎌をかけてみた所、肯定もしませんでしたが、はっきり否定もしませんでした。」
私は彼女が後宮に入った時に配られた、彼女の自叙伝のような小説を思い出した。今となっては事実無根のフィクションだとわかったが、当時、夢中で読んでしまった事を思い出す。といっても、彼女の幼少期の部分を繰り返し読んでいただけで、貴婦人達が好んで読む殿下との出会い以降は一文字も読んでいないのだが…。ともかく、あの小説を書いた作家が同時期に作ってティアの元に持ち込んだ絵本が『灰かぶり姫』なのだ。母を亡くし、父の再婚相手とその連れ子に苛め抜かれた不遇の令嬢が、王子様に見初められて幸せになる話。偶然というにはティア過去と重なりすぎている。
「なるほどなぁ。わかった。この件はこれ以上調べる必要はない。あ、絵本は置いていけ。」
私の言葉に一礼してから消えるように居なくなる陰者をよそに、私は絵本を手に取った。
絵本を読んでいて感じるのは彼女はもう過去の出来事をある程度乗り越えているんだろうという事だった。もし彼女が姉達の所業にまだ傷ついていたならば、こんな絵本は書かせないだろうと思う。あの自叙伝で満足していたはずだ。わざわざ自分の傷をさらけ出すようなこの絵本は彼女の自信の表れのように思える。過去の出来事はともかく、それらに影響されて作られた自分や自分の立ち位置を誇る気持ちがこの絵本を書かせたのだろう。少なくとも殿下との恋が上手くいっていたあの時、彼女は自分の過去をなんらかの形で残したいと思ったのだ。私の予想以上に面白い女性だったんだなと笑みがこぼれるのと同時に、私はその彼女の強さを少し眩しく思う。ティアのしなやかで凛とした風情が好ましく、そして少し寂しい。一人で立つ事に慣れたその背中を支えたいと思う。時にはぎっとぎとに甘やかすのもいいかもしれない。いずれにせよ、彼女の心が休まる場所を作りたいと…私の側がそうであればいいと願わずにはいられない。今度は王子と別れた姫が侯爵家に嫁いで幸せになる絵本を作りたくなるくらいに。
市井の話に理解があるのも、使用人に命じる事に慣れない様子がみられるのも、何かと自分でやってしまう癖があるのも、私にとっては好ましい。しかし、私と共に暮らすうちに、おねだりが上手になったり、人を使うのが上手くなったり、何かと周りに甘えるようになってもそれはそれで好ましいような気がする。…結局ティアがティアであれば私は満足なのかも知れない。
実家を探らせた事は一定の意味があったと思う。まだ私に心を開いてくれない彼女だけれども、その糸口を見つけられた気がするのだ。私の妻はそこらへんの婦人達と同じ価値観では無いということがはっきりした。同じ価値観であるなら、後宮で第10室を希望したり、実家からの援助をつき返したりはしない。市井にまじったことで貴族然としたあり方に違和感を持つという経験は私にもある。彼女の場合、成人直前の多感な時期に市井にまじったのだ。尚更だろう。何をすれば彼女が笑うのか、先入観を捨てて一つ一つ確かめなくてはと、なんともいえない使命感に燃える。
私は鼻歌交じりで書棚に絵本をしまった。紺青色の背表紙は私の書棚にあっても違和感がない。これからの事を考えると楽しくて仕方が無い。ティアに新しいドレスでも作らせようか、それともおいしい菓子でも取り寄せようか、新しい本や珍しい調度品のほうがいいだろうか。庶民の格好をして市井に出かけてみたら喜ぶだろうか、ピクニックや乗馬なんかが好きかも知れない。はしたないとされることでも、彼女が望むならさせてみよう。ニーナが怒ったら私も一緒になって怒られればいいだろう。図らずも季節は夏。人目を気にせずラファエル領を楽しむのにはいい季節だ。
何としても、彼女と過ごす時間を作ろう。




