59.寝物語には不向きな話ですが。
私は3歳の時、森に捨てられました。
「お前は家には要らない子なんだ。」
森の奥でそう言ったのは祖父だったと思います。
1人森を彷徨い、泣き疲れて、意識を失ってしまいました。
本来なら、私はそこで死んでいたはずですが、運よく、森で狩りをしていた人に拾われました。
気づいたら見知らぬ家のベッドの中でした。
私を拾ったのは日に焼けていて、赤茶けた髪と髭をボサボサと伸ばした大男でした。
見た目は怖い男でしたが、私を家に置いてくれました。
そこは森の奥にある小さな集落で、数組の家族がひっそりと暮らしていました。
男は目に傷を負っていて、その目は明るいか暗いかという事程しか区別できないようでした。
それでも、彼はまるで見えているかのように畑を耕し、狩りをし、生活をしていました。
男が出来ない、繕い物やなんかの細かい作業は隣の家の娘がしてくれました。
隣はお婆さんと娘の2人暮らしだったので、力仕事を男が引き受けたりして、持ちつ持たれつ暮らしていました。
男は私の扱いに困ると、申し訳なさそうに隣家の戸を叩きました。
娘とお婆さんはいつでも、にこやかに笑って迎えてくれました。
娘はオレンジ色のキラキラと光る髪の、美しい少女でした。
私も良く面倒を見てもらいました。
男が狩りに出かける時は、隣に預けられて娘に遊んでもらいました。
母が恋しくて泣いたりすると、娘は笑って共に寝てくれました。
乱暴に風呂に入れられ肌が荒れてしまった私を見て、幼子の肌は弱いのだと男を叱ってくれたりもしました。
お婆さんは腕のいい薬師のようでした。
娘も森の植物の事を良く知っていました。
少し大きくなって木の実やキノコや薬草等を共に採りに行ける様になると、娘は丁寧にそれらを教えてくれました。
森に生えている物を全て覚えると、お婆さんの書いた植物の絵を見ながら森には無い植物についても覚えました。
男は幼い私に手を焼きながらも、他家へ預けようとはしませんでした。
忙しい合間を縫って、井戸の使い方や火のおこし方、狩ってきた獲物の捌き方など、生活に欠かせない技術を早いうちから教えてくれました。
私は男と娘から、生きる術を学びました。
数年経ち、私が一通り家事が出来るようになる頃、娘は突然森を出て行きましたが、それまでに料理や裁縫はしっかりと教えてもらってましたので、男との生活に困ることは有りませんでした。
森での生活は過酷です。
慈しんでもらったとは思いますが、甘やかしてはもらえませんでした。
その集落で生きる全ての子どもがそうでした。
その為、集落の子どもは皆逞しい。
私も例外ではありません。
10歳を超える頃には、ひとりで森を抜ける能力はあったと思います。
路銀を稼ぎながら旅をして、生家に帰ることも出来たかもしれません。
都会に出て一人で生きるという選択肢もありました。
男も私を引き止めたりはしません。
でも、私は外に出たいとは思いませんでした。
すでに家族は男であり、故郷はその森の中の小さな集落でした。
私に外に出るつもりが無いことを知ると、男は私に集落の秘密を教えてくれました。
そこは陰者の里でした。
里に住まうのは仕事の途中で傷を負った者と修行中の子ども、それらの世話をする者でした。
私も修行しなければならないと彼は言いました。
それがこの里の決まりだと。
私は男の言葉に頷きました。
陰者になりたいと思ったことはありませんでしたが、修行をすれば里にいられるというのであれば私に否やはありません。
修行内容は多岐に渡りました。
戦い方、忍び方等と言うものから、読み書きやテーブルマナー、楽器の演奏や周辺各国の地理歴史、果ては閨房術や暗殺術まで。
私は毎日それらを学んで過ごしました。
かなり厳しい修行だったと思いますが、里の子ども達は誰一人として途中で投げ出したりしません。
それまでに森で狩りをしたり、畑を耕したりする生活をしていたので、里の子ども達が逞しいのもあるかもしれません。
しかし、里の他に生きていける場所を知らないというのが一番の理由でしょう。
陰者は成人と同時に最終試験を受けます。
実践を混ぜた全ての試験に合格すると陰者として里とかかわりを持ちながら生きることを許されます。
合格しないと、里の記憶を消されて森から出されるのです。
私にとって…いえ、子ども達にとって、すでに故郷と認識していた里とのつながりは重要なものでした。
里の子ども達は皆そのために修行に励むのです。
隣の家の娘はこの試験で不合格となり、私達の前から去ったのだと、修行をするようになってやっと理解しました。
お婆さん思いの娘が様子見に帰ってこないのはそんな理由が有るからでした。
ほどなくして風の噂で、町の宿屋で働いていたが他国に嫁いだと教えてもらいました。
私は記憶を無くすということが不幸なのか幸せなのか、一時悩みました。
今でも判断できません。
成人まで、あっという間でした。
私が試験に合格すると、男は私を連れて国を越え、ジェラルド様を訪ねました。
男はかつてラファエル家に仕えていたのでした。
ジェラルド様とパトリシア様は私の見た目にとても戸惑っておいででした。
幼く見える性質だったのです。
背も低かったので、とても成人しているようには見えなかったのでしょう。
私に陰の仕事をさせることに、お2人はとても躊躇っておいででした。
それでも、陰として生きていくと心に決めている私の身の上を心配して、雇って下さる事になりました。
私も男も、ジェラルド様は既に爵位をセシルバート様に譲られていたので、セシルバート様の元で働くようになるのだと思っていました。
しかし、予想に反してジェラルド様は私をパトリシア様の従者となさいました。
パトリシア様は私にアデルバート様のお側に潜入し、従者として彼を助けるようにと命じられました。
アデルバート様の様子を密かにパトリシア様に報告する事が私の仕事になりました。
アデルバート様のお側に潜り込む事は簡単でした。
ジェラルド様が紹介してくださったのですから。
アデルバート様はその時、領地を持たない新興子爵で隠者を必要とするような厄介事とはあまり関わりの無い生活を送ってらっしゃいました。
それでも、ジェラルド様からの紹介ということで側に置いて頂けました。
そうやって、ジェラルド様とパトリシア様は私に侍女としての生活を下さったのです。
時々、アデルバート様の目を盗んでパトリシア様に報告書を送る以外は、侍女として働いているのと何ら変わりのない日々が続きました。
アデルバート様は時々簡単な情報収集を求められる以外は、私に陰者仕事をあまりさせようとはしませんでした。
目立って他の侍女と違ったのは、剣の稽古の相手をした事でしょうか。
驚くほど平穏な日々でした。
それが変わったのは、アデルバード様が25歳の時です。
夜会から帰ってくるなり私を呼び寄せ、城への潜入を命じられました。
他に頼める人がいないのだとずいぶん申し訳なさそうな様子が印象的で、どんな仕事なのかと慄いたのを覚えています。
私に命じられたのは、一人のお嬢様の護衛でした。
後宮に居る姫をどうしてアデルバート様が守ろうとなさるのか、はじめは理解できませんでした。
それでも、主という事になっているお方からのご命令に従わなくてはなりません。
パトリシア様にアデルバート様のお側に居られなくなったと報告すると、パトリシア様は困ったように笑いました。
「アデルバートに付き合ってあげて。アデルバートの様子はもう報告する必要ないわ。彼も立派にやっているもの。」
私からの報告を聞いて、パトリシア様は私以上にアデルバート様の状況や心情を理解されているようでした。
後宮へ潜入するまでに少し時間がかかりましたが、案外すんなり目的の人物の側に侍ることができました。
私はその人物に初めて会った瞬間、必死で驚きを隠さねばなりませんでした。
あの、陰者の里で隣に住んでいた娘にそっくりだったからです。
目鼻立ちもそうですが、美しく輝く髪が記憶の中のものと一致しました。
彼女に導かれたのかと妙に納得したものです。
アデルバート様のご命令でお側に参りましたが、それだけという訳ではなかったのですよ。
信じていただけないかもしれませんが、奥様のお側に居られることは私の喜びなのです。
…それからの事は奥様のご存知の通りです。
さて、長くなってしまいました。
そろそろお休みください。
更新遅くなり、申し訳ありませんでした。
いろいろ迷う所があって…。
カナンは若く見えますが、シンディーよりアデルバートとの方が年は近いのです。
結構、お姉さんです。




