34.サバイバルが始まった。
スカートをめくりあげると、まず靴を脱いだ。
量の有るスカートに合わせて、ヒールの高い靴を履いていたのだ。
こんなもので森は歩けない。
くるぶしでリボンを結んで留めるタイプの靴は一人では脱ぐだけでも一苦労だ。
そして足元が安定すると、今度はコルセットを緩める。
緩めた途端、トスンと軽い音を立てて、足元に落ちるものがある。
護身用の小さなナイフだ。
ただの気休めだと思って持っていた物が、今はとても頼りになる。
コルセットは緩めに締め直す。
少し動きにくい気もするが、硬い布はいろんなものから私を守ってくれるに違いない。
それに、日が落ちてだんだん寒くなってきた。
布は一枚でも多い方が良い。
私は護身用のナイフを抜くと、靴についていたリボンを一本切り取った。
それで、ぐしゃぐしゃになっていた髪の毛を一度ほどいてから結びなおす。
邪魔になるから切ろうかとも思ったが、出来る限り残しておきたかった。
アデルが褒めてくれた髪だから。
髪をまとめて動きやすくすると、肩にかけているケープを一度外した。
手近にあった木の枝にかけて置いておく。
むき出しになった肩に森の空気が冷たかった。
私はもう一度スカートをめくり、ボリュームを出す為に幾重にも重ならせてある布をナイフで丁寧に切り取った。
そのうち数枚を重ねて足に巻きつけ、即席の靴にした。
いくらヒールでは無理だからと言って、素足で歩く訳にはいかない。
ケガでもして歩けなくなったら目も当てられない。
残った布でむき出しの腕や首を覆った。
森や山では肌をさらさない。
母に習った知識はいつでも私を助けてくれる。
布はたっぷりあるので防寒にもなる。
その上からケープを纏えば、思いのほか温かかった。
辺りは本格的に暗くなってきた。
空を仰いでも、覆い茂る草木に邪魔されて月も見えない。
月光ほどの光では草木を通り抜けてはこれないらしい。
私は目を凝らして辺りを見回し、ほど近くに大木を見つけた。
木の下まで行き見上げると、私の重さをしっかり受け止めてくれそうか確認する。
手を伸ばして届く距離に靴をひっかけると、どっしりした木に足をかけよじ登った。
久しぶりだったが、思ったよりもスムーズに登れた。
今夜はこの木の上で明かすのだ。
「今夜だけ枝を貸してね。」
木の幹を撫でながら声をかけると、木の葉がざぁーっと返事をした。
腰を落ち着けると、今日の出来事が頭の中を駆け巡る。
アデルにきちんと、声をかけてから裏庭に行けばこんな事にはならなかったのだろうか?
はしたないかもなどと気にせずに、皆そろって裏庭に行けば、なんとか回避できただろうか?
後悔したい訳ではないけれど、どうすれば良かったのかと考えずにはいられない。
けれど、きっと、いつかはこういう事態になったのだろう。
リシャーナの理性や良心は既に決壊してしまっていたのだから。
他の誰かを巻き込まずに済んだことを幸いと思おう。
エレノアとお腹の子の事を思ってふと頬が緩んだ。
「きっと、最善を選べている。」
そうつぶやくと心が凪いだ。
気分が落ち着くと、冷静に考えを巡らせることができる。
薬の副作用が軽かったことから、私が眠ってから1日は経っていないはずだ。
ということは、ここは王都から馬車で半日ほどで辿りつける森だということになる。
頭の中に地図を描いて、いくつかの森を思い浮かべる。
王都の南に位置する「眠りの森」。
王都から南西に位置する「一つ目の森」。
王都の北に広がる「魔女の森」。
王都の東に位置する「女神の樹海」。
リシャーナの気持ちを考える。
彼女は私に絶望を与えたかったのだ。
絶望と一番結びつきやすいのは「女神の樹海」だろうか。
たくさんの旅人や冒険者が行方知れずになった、とても深い森だ。
きっと女神に見初められて幸せに暮らしているんだ…あまりの遭難者の多さに救いを求めてそう呼ばれる。
もし、ここが、女神の樹海ならば、私は西に向かわなくてはいけない。
しかし、さっきの男は「賊が出る」と言っていた。
一般的に女神の樹海に賊が出るという話は聞かない。
男が消えた方を見つめる。
そうして、どの森に居ようと、西に向かってまずいことは無いと考え至る。
最短距離では無いにしろ、出口に向かえる。
行く方向を迷ったり、方角を見失う事の方が問題だ。
明日の朝日が昇った時、方角を確認して西に向かおうと決める。
男の消えた方角が、西以外であれば尚良い。
遠くで、近くで、虫の鳴き声が響き渡った。
私は小さくうずくまって朝日を待つ。




