28.一難去って。
「マクレーンの跡取りとラファエル夫人とは珍しい組合せだな。」
目の前の美形はそう言って目を細めた。
貴族の名代以外も顔と名前が一致するのだろうか?
あまり頭のいい人では無いと思っていたけれども、その認識は間違いらしい。
優雅で柔らかい笑みの形を作りながら、その瞳は笑っていない。
失礼な考えまでも見透かされているような気分になってくる。
「へ、陛下におかれましてはご機嫌うるわしく…。」
慌てて礼をとるマクレーンにを尻目に、私も頭を下げる。
「少し夜風に当たりたかったのだが、思わぬ人と会えた…。」
陛下はマクレーンを通り過ぎると私の前に立った。
挨拶を無視されてマクレーンは少し空気を固くした。
「久しぶりだな。息災か?」
私は顔を下げたまま、陛下の言葉に返事をする。
「お久しぶりにございます、ウィルフレッド陛下。」
「そう畏まらずとも良い。私とそなたの仲ではないか。城の外はどうだ?下賜姫を無下にする輩など居ないとは思うが?」
聞き捨てならないセリフも聞こえたが、陛下は状況を正確に読んで、マクレーンを威圧してくれていた。
あらあら、本当に意外だが空気が読めたんですね、陛下。
思わず顔をあげると、目の前の美男子は口の端だけを引き上げて笑った。
隣では、マクレーンが身を竦ませて汗をかいている。
「このような場所に他の男と居ては、要らぬ誤解を受けるぞ?…まさかとは思うが…」
ここで事の真相を話せば、陛下は何らかの罰をマクレーンに与えなければならなくなるし、この状況が表ざたになる。
かといって、男女の仲を誤解されてしまえばマクレーンに良いように利用されかねない。
マクレーンもそこに思い至ったらしく、私とマクレーンの間に男女の仲が有る様な口ぶりで話しはじめた。
「いやはや、陛下に御見苦しい所を、彼女と少し2人になりたかったのですよ。男女と言うのは何が有るかわからない物ですね…。」
それを聞いた陛下があははと笑いだす。
「陛下?」
「マクレーンの息子もついにユーモアのセンスに目覚めたか、そなたの父親にも議会でいつも笑わせてもらっている。」
「どういう意味でしょう?」
陛下の皮肉に気づいたのか、マクレーンはむっとした様子を隠せない。
貴族がそんなことでどうする…と突っ込みを入れたい。
「そのままの意味だ。シンディーレイラがそなたを相手にする訳が無かろう。彼女は面食いだ。」
「へ?」
言われた内容のあまりの薄っぺらさに今度は私が表情を変える。
いけない、侯爵夫人がこんなことで動揺を見せてどうする…人に突っ込みを入れている場合では無かった。
陛下の言葉の意味が一瞬後に分かったらしくマクレーンは絶句している。
「彼女は面食いだからな、社交界を賑わせていた侯爵だからこそ下賜できたのだ。」
「おほ、おほほほほ。陛下は何でも御見通しにございますね。」
直ぐに立ち直って陛下の言葉に同意をすると、マクレーンは薄暗がりでもわかるくらい真っ赤になってバルコニーを後にした。
無礼な振る舞いだが、陛下に気にした様子は無い。
残された私は彼の背中がフロアの明かりの中に消えると、どっと出てきた疲れに肩を落とした。
「そなたとこうして会えるとはな。」
先程とは打って変わって艶やかな声に私ははっと陛下を振り返る。
「助けていただいてありがとうございました。」
「助けてなどいない。3人とも偶々ばったりバルコニーで会って少し話をしただけだ…な。」
陛下は私が頭を下げるのを制した。
「はい。」
彼の提案に乗って素直にうなずく。
こうして陛下と2人で居るのも、要らぬ誤解を与えることになるので、私は早々に辞去の挨拶をした。
「もう少し話がしたいな。」
陛下は辞する許可をくれない。
私は困った顔で彼を見た。
「シンディーレイラ、そなたに言われてから、名前を呼ば無かったことを少し後悔してね。」
「……陛下。」
「城から出て、美しくなったな。ラファエル卿が恨めしいくらいだ。」
「……滅相もございません。」
艶やかな笑顔が近づいてくる。
私はその場から逃げることができない。
「私の元に帰ってくるかい?」
「いいえ、陛下。」
彼の笑顔が怖かった。
私は必死で答えを返す。
私はもうあなたの物ではないのだと。
「ラファエル卿がいいかい?」
「彼で無くてはだめなのです。」
私は目もそらせずにそう言った。
近づいてきた陛下が足を止める。
手を伸ばせば触れられる距離、それでも彼は私に触れなかった。
「私は君に、何も与えられなかったけれども、ラファエルにやった事は正解だったか。」
それまでの迫力のある笑顔を消して、陛下が小首を傾げて微笑んだ。
「感謝しております。」
私は陛下の顔を真っ直ぐ見て、私にできる最高の笑顔を贈った。
星空を背負う美しい男は一瞬眉を上げると、小さくうなずいてもう一度微笑んだ。
「ティア!」
切羽詰まったようなアデルの声が聞こえたのはその時だった。
「アデルバード!」
返事をするとすぐに、彼が姿を現した。
彼は私の姿を見るなり、抱きしめる。
「アデル……」
余りの力強さに息ができないほどだ。
離れていたのは少しの時間だったけれども、彼のぬくもりが恋しかった。
「ご、めん…なさ、い。」
私が呟くと、息ができない事に気づいたのか、腕を緩めてくれる。
その瞬間を見計らって、コホンと咳払いが聞こえた。
「陛下…。」
アデルは睨みつけるように陛下を見ると、それでも無表情に礼をとった。
その様子に苦笑しつつ、陛下はアデルに楽にせよと声をかける。
陛下を余所に何が有ったのかと私に詰め寄ろうとしたアデルに陛下はどこから見ても作り笑いとわかる笑顔を向ける。
「偶々、会ってね。懐かしくて話し込んでしまった。悪い事をした。」
そういうと、フロアの方へ足を向けた。
「いえ。」
アデルは陛下の背中に礼をする。
陛下は窓の手前で振り返ると私に先程と同じ微笑みを向け、
「幸せにならないと攫いに行くよ。」
と片目をつぶる。
はっと顔を上げるアデルを無視して、明かりの中に消えていく。
「アデル。」
陛下の消えた先を睨むように見つめている彼に小さく声をかけると、ゆっくりと顔が向けられた。
その表情に心配や焦燥がありありと浮かんでいて、私は思わずごめんなさいと謝る。
「帰ろう。話しは後で聞く。」
アデルは私の肩を抱き寄せると眉間に皺を寄せた。
「冷えてしまっている。」
「大丈夫。」
そういって笑顔を向けると彼は肩を抱く力を強めて、少し強引なエスコートで夜会を後にした。
帰りの馬車の中でアデルは事の次第を聞くと、怖い顔をした。
目がこれ以上無いほど鋭くなる。
「ごめんなさい。」
しゅんとうなだれて謝ると、彼は一瞬困った顔をしてため息をつくと、私に怒っているのではないと言って抱きしめてくれた。
これからしばらくの間どんなときも一人に成らないように気をつけろと注意される。
力強い腕が、こちらを伺う瞳が、彼の心配を私に伝えてくれて、私は、申し訳なさと嬉しさで心がいっぱいのまま何度もうなずいた。
素直にうなずくとアデルも表情を緩めて、穏やかに私を抱きしめてくれた。
アデルの腕の中で安堵のため息を吐いた私を誰が責められるだろうか。
この出来事に続きがあるなんて知る由も無いのだから。
本文中の陛下の「そなたの父親にも議会でいつも笑わせてもらっている。」発言。
つまり「あんたの父親、議会でいつも笑っちゃうような意見ばっかり出すんだよね。」という皮肉のつもり。
マクレーン家は親子2代で小物の悪役です。
なんとなく伝わっていればいいのですが。




