35.ミモザ色の罪案
「…と思っている。少し時間がかかるかもしれないが、この処置が一番妥当で効果的だろう。」
攫われたときの状況確認をしながら、今後の展開について話し終わると、ティアは手の甲で口元を隠しながらじっと視線を固定したままで、返事をしないしこちらを見もしなかった。私は彼女の言葉を待つ。今話したのは私が考えうる中で首謀者に最大の罰を与える方法だったけれども、それ以上をティアが望むのならばそれをかなえる為に労力は惜しまないつもりがある。たとえ無茶な要求だろうと、私にとっては彼女の納得がいくことが一番なのだから。
「ごめんなさい。アデル。私、それでは嫌よ。」
だから彼女の言葉に微笑みを浮かべさえした。大きく頷いて続きを促す。
「そうか。君の希望を教えてくれ。それが叶うように最大限努力をしよう。」
私の言葉にティアは目を輝かした。
「ありがとう。あなたなら分かってくれると信じていたわ。ならば、世間的には私の今回の失踪は家出としましょうか?」
「は?」
「あら、それでは外聞が悪いかしら。では、迷子はどう?それはあまりにも馬鹿っぽいかしら・・・。」
私は彼女の言葉を上手く理解できない。しかし、理解できない私を放って、彼女はさくさくと話を進めていく。
「…一度リシャーナとは面と向かって話をつけなきゃいけないから…。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。もう少し説明して。私には君の話が最初から理解できていない。」
「あら?分かりにくかった?えぇ~っと…」
ティアは一生懸命説明してくれるが、どれだけ説明を聞いても、私にはやはり全く理解が出来ない。
「それだと、ウィンズレッド侯爵夫人の罪を問うことが出来なくなってしまうじゃないか?」
「えぇ。だから、罪を問うつもりは無いのよ。まぁ、世間的には…だけど。」
事も無げに言い切ったティアに私はしばらく返す言葉が見つからなかった。
どれだけ説得しても、怒っても宥めても、ティアは私の言葉に耳を貸さなかった。
「私の願いを叶えてくれると言ったのは嘘だったの?」
逆に上目遣いにそう訴えられて、結局彼女の案を大幅に受け入れるはめになった。こんなことならば、ティアに内緒で事後処理を進めてしまえばよかった。ティアの命を狙った犯人が今後も野放しにされるなど許していいのか…私は最後まで納得できなかったが、結局ティアに軽蔑されるのが嫌で首を縦に振らざるを得ない。「男に二言は無い」などと言い始めた人物を締め上げたい気分だ。ティアの願いはある意味私に対してすばらしく残酷だった。
ティアの案は突拍子も無かったから、二人で話し合って何とか現実的な線を模索しなければならなかった。さすがに事件自体を無かった事には出来ないから、犯人についてはティアは全く見ていない、分からないということで届けを出す事にした。その上で彼女が望む結果を出す為には相当根回しが必要に思われた。そしてその根回しも一歩間違えれば脅迫ととられかねない。他人の罪を見過ごす為に自分が罪を犯すなど、愚かの極みだ。しかし、ティアの希望を叶えるにはギリギリの線を攻めなくてはいけない。
ティアが目を覚ました2日後、私は密かにウィンズレッド侯爵を屋敷に招いた。私一人で話を着けるつもりだったのに、ティアは話し合いの場に同席すると言って聞かなかった。今回の事件は夫人が単独で起こしたもので、侯爵は関わっていない。陰者の調べでそれはわかっているが、それでも彼とティアを会わせるのは避けたかったのに…私はティアのお願いに弱い。一家の主でありながら、私はなぜか妻に弱いのだ。それどころか、母にも執事にも侍女長にも主治医にも頭が上がらない…そう思うとなんとも情けない。
そんな私の気分などお構い無しに、ウィンズレッド侯爵は約束通り屋敷に着いた。その表情は普段より硬いが、それでも佇まいは威風堂々としている。客間で茶を振る舞うとダンテス以外は退室させる。
「今日の要件にお心当たりは?」
挨拶もそこそこにそう切り出すとウィンズレッド侯爵は何かに耐える様に目蓋を閉じた。
「私を拐かしたのは、リシャーナです。」
ティアがこれまで聞いたことの無いくらい色彩の無い声で簡潔に告げた。
「お気づきでしたか?」
私の問にウィンズレッド侯爵は小さく首を縦に振った。
「ご夫人に害が及ぶ前に気付くべきだった…申し訳ない…。どのような罰でも慎んでお受けする。」
彼はそう言って頭を下げる。
「謝罪は受け取りません。」
ティアが冷たい声でそう言い放つと、ウィンズレッド侯爵はじっと彼女を見つめる。その顔はこれからどんな無理難題を吹っかけられようとも驚くまいと決意しながらも、緊張に固まっている。ティアはウィンズレッド侯爵を睨み付けるように見つめ返した後、口元を引き上げて微笑みの形を作る。その人形じみた表情に私まで背筋に寒気が走った。
「樹海に捨てられ、生死をさ迷って尚、リシャーナは私の友なのです。」
ティアの言葉にウィンズレッド侯爵の瞳は戸惑いに揺れた。
「しかし、友に裏切られたからこそ厳しい罰を与えたいとも思うのです。」
「というと…?」
「あなたは彼女と共に罰を受ける覚悟がありますか?それとも罪人など侯爵家から切り放しますか?」
ティアの問を聞いて、ウィンズレッド侯爵の瞳はシンっと凪いだ。
「共に償いたいと思います。」
迷いの無い即答で、逆に私が慌ててしまう。
「良く考えられましたか?」
「はい。妻の罪は私の罪です。夫として彼女の異変に気付いて止められなかった。」
彼の言葉を聞いてティアははじめて心からの笑みを浮かべた。私は事態がティアの思い通りになっていくのをただただ見ているしかない。
「では、私は国に今回の犯人を告げ無い事をお約束します。」
「は?」
それまで戸惑いながらも表情を崩さなかったウィンズレッド侯爵が初めて目を見開いた。普段は眼光鋭い偉丈夫なのだがその表情はどこか間が抜けて見える。
「選択肢は2つ。一つはリシャーナと離縁して彼女を修道院に入れる道です。こちらの道を選ばれた場合、後添いを娶られるのは認めません。侯爵家を継がせる為に養子はとって頂いて結構ですが。けれど、今後一切リシャーナと会ってはいけません。もう1つは彼女と共に田舎へ行って生活する道です。南部に領地を持っておられますよね?それ以外の領地は国に返却し、城の要職も辞していただきます。3年は社交界への出席は認めません。どちらを選ばれても今回の事件について、国に犯人を告げる事はしませんが、もし約束違反を見つけたらすぐにリシャーナが犯人であることが広まります。」
「つまり、償いに妻か侯爵家の財産かどちらかを捨てろという事ですか?」
「端的に言うと、そうなりますわね。」
「では妻と共に南に下ります。」
悩んだり条件について交渉したりするだろうと言う予想に反して、ウィンズレッド侯爵はあっさりと結論を出した。
「よろしいの?」
「はい。何なら、爵位も返還しましょうか?」
「…そうですか。そこまでは結構ですけど。」
ティアは肩を落としてため息をついた。
「ここまであっさり決断していただくと、なんだか私が悪者みたいね。」
そう呟いて苦笑する彼女にはもう何の気負いも無い。その様子を見取って、ウィンズレッド侯爵も若干空気を柔らかくした。
「いや、とんでもない。しかし、良いのですが?この条件ではラファエル侯爵家に何のメリットも無いでしょう。」
「…だって、国に訴えてしまったら、リシャーナは一生罪人として生きていく事になりますでしょう。私が無事帰ったのだから、命まではとられないかもしれないけれど、幽閉されるか、もう二度と王都の土を踏めなくなるか…どんな罰を受けたにしろもう2度と社交界には戻って来れないわ。」
「社交界に戻っていいと思っておられるのか?」
「えぇ。彼女が罪を償ったら…戻って欲しいと思います。だって、今年の社交界は楽しかったのだもの。私はこれからも皆で楽しみたいのよ。・・・生きて戻ったのだから、何も失いたくは無いの。けれど、殺人を決意した彼女の心の闇まで受け止める器は持ち合わせて無いの。だから、彼女には心の闇と戦って貰わなければ…。欲張りすぎるかしら?」
ウィンズレッド侯爵は驚きの表情を消して微笑みのようなものを浮かべると、ティアの問に首を横に振った。
「いえ、ラファエル夫人は素直でいらっしゃるのだな。妻も、もう少し素直に気持ちを出せるといいのだが…。」
「そうね、リシャーナはいろんな事を我慢しすぎね。彼女に王都は窮屈すぎるのよ。きっと立派すぎるお家もね。」
「…そうかもしれない。」
侯爵とティアはお互い空を睨んで考え事を始めた。互いに同じ女性に想いを馳せているのだろう。もしそこには罪人を裁くという意思は欠片も無い。私一人その思考についていけないのがおかしいのだろうかと思ってしまう。ミモザの様な薄い金色の髪と、冴え冴えとしたアイスブルーの瞳を持つ、気高く美しい女性を思い浮かべる。いつも凛と背筋を伸ばし、優雅な立ち振る舞いは見るものを圧倒する。貴族女性とはこう有るべきという教科書のようだという印象を持った事もある。記憶が正しければ、隣国から姫が嫁ぐという話が出る前は王妃の座が一番近い令嬢だと目されていたのは彼女だったと思う。私との接点はほとんど無かったが、ティアを希望しなければ彼女が私に下賜されていた可能性が高い。縁が有りそうで無かったリシャーナという女性の事をどれだけ考えても、やはりティアを標的にしたただ一点で許しがたく、ティアとウィンズレッド侯爵の間に流れる彼女に対する思いやりの様なものに共感する事は出来ない。
「ウィンズレッド侯爵様、申し訳ないけれど、条件をいくつか増やさせていただくわ。」
しばらく後にティアがそう呟く。ウィンズレッド侯爵はハッと我に返って、慌ててうなずいた。
「今のままの条件では侯爵様にばかり罰を与えているようだわ。事を起こしたのはリシャーナですからね。彼女にもそれ相応の物を失ってもらわないと・・・。」
「…侯爵家が縮小されれば、妻にも大きな影響があると思うのだが…」
侯爵ははじめてティアの言葉を控えめに否定した。しかしティアは微笑みを浮かべたまま首を横にふった。元より条件設定権はこちらにあるのだといわんばかりのふてぶてしさで。
「彼女に失ってもらう物はあの高すぎる気位とプライドよ。」
ティアの顔はいたずらを思いついた子どものそれだった。私は内心頭を抱える。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
今回のティアの提案、妻か財産か・・・を選ばせるとありますが、
血筋か権力かを選ばせているという見方もできますね。
詳しく書くと読みづらかったので、少し端折りましたが、ウィンズレッド侯爵は結局リシャーナを手放したくなかったのだという点が伝わればいいなと思います。
もう少しでアデル視点②が終わります。
今後ともよろしくお付き合い下さい。




