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34.淡黄色の目覚め

ティア発見の一報が届いたのは次の日だった。報せの届いた日の夕方、ようやくティアが帰ってきた。彼女を乗せた馬車は人目を避ける様に裏庭に止まり、そこからティアの部屋に運ばれた。ダンテス達の配慮で人目に付かない様にひっそりとした帰還となった。彼女の世話をする使用人もごく少数に限定されるらしい。彼女が帰ってすぐ、私は彼女の寝室に入る事を止められた。彼女の身を清めたり、医師の診察を受けるのに邪魔だからだそうだ。終るまで待てというダンテスの言葉は正しく、その分憎らしい。


ようやくゆっくりティアの顔を見る事が出来たのは東の空に夕闇が迫ったころだった。発熱していて極度の疲労のためか深く眠っているが、命に別状は無いとのことだ。医者の診断を信じていない訳ではないが、ベッドに横たわる彼女は痛々しい程に弱って見えて、不安が募る。この10日ほどですっかり痩せてしまった頬を撫でる。下賜されてから数ヶ月で少し肉付きが良くなって、健康的になったと喜んでいたのに。…それでも彼女が手元に帰ってきたと安堵のため息が漏れた。ぎゅっと抱き締めたい気持ちを押さえて、そっと手を握る。彼女の温もりが心を震わせる。ティアの隣にはメイが居て、時々湿らせたガーゼで口元を潤したり、水で冷やしたタオルで額を拭いたりしている。流石に連日の捜索で疲れが出たのか、カナンは居なかった。私はしばらくティアを眺めてから、私室に戻った。

ティアの実家に攫われた経緯は端折って少し体調を崩していたが無事でいるという旨の手紙を出す。訪問されるのを牽制するために、完全に回復したら一度顔を出したいと思っていると書いておいた。申し訳ないが今はクランドール伯爵の相手をしている場合ではない。

ティアは無事に戻ったけれど、この事件はまだ終わりを迎えていないのだ。ティアをこんな目に合わせた者を野放しにはしておけない。皆がティアの捜索をしている間、ただオロオロと屋敷で戸惑っていた訳では無い。首謀者を探らせて証拠集めをしていた。かなり慎重に計画されたらしくなかなか梃子摺ったが、小さな証拠をいくつか集めることが出来た。それをどう使うのが一番効果的か、思いを巡らせる。国に訴えても相手の身分から、お咎め無しになる可能性も無くはない。下賜姫同士の争いなので外聞を気にして有耶無耶にされてしまうかもしれない。そうはさせてなるものかと決意する。私は私室の机に証拠を並べてじっとそれらを見つめた。攫われた状況を確認するためにティアの目覚めを待つ必要はあるだろうが、納得できる決着をつけるのは私の役目だ。


ティアは3日ほど眠り続けた。時折意識が上昇するようだが、果実水を少し飲むとまた眠ってしまう。なかなか目覚めないのでもう一度ダニエルを呼ぶ。それでも診断結果は変わらない。水分が取れているのなら大丈夫だと言われた。医者がそういうなら納得するしかない。

「奥様も心配ですが、アデルバード様…。」

「なんだ?」

診察を終えたダニエルが私を振り返って眉を顰めた。

「酷い顔をなさっておいでです。ご自覚なさっておいでですか?」

私はそう言われて自分の頬を撫でた。ティアが屋敷に帰った時から、いつ目覚めるかとそわそわしてあまり眠れて居ないのだ。必要最低限の仕事をすると、ティアの寝室で彼女を眺めた。ダンテスもニーナもカナンも…それを咎める者は居なかった。食事をとるのも風呂に入るのもこの間にティアの容態が変わったらと思うとのんびりとはしていられない。最低限の時間での身づくろいは穴だらけで、頬には無精ひげが生えている。

「食事、睡眠、それに身づくろいは人間の基本ですよ。そんなサルみたいな(なり)では目覚めた奥様が驚いてしまわれますね。」

苦言を呈した彼は私を引きずるようにしてティアの寝室から連れ出した。

「私は健康だ。ダニエル、大丈夫だから。」

「それを判断するのが、私の仕事です。」

私はなぜか彼に逆らえない。幼少期から世話になっている弱みというやつだろうか。私の診察をすると心に決めたダニエルに、されるがままに自室へと向かう。


自室の居間まで連れて来られて、髭を剃らされてから、あちこち診察された。睡眠不足と栄養不足をもっともらしく指摘され、医者の持ち込んだお茶をダンテスに煎れてもらって飲んだ所までは覚えていたが、なぜかそのままダニエルを見送らずにソファにもたれて眠ってしまったようだ。

「旦那様、旦那様。」

ダンテスの控えめな声にハッと目を開けると、日の傾きが変わっている。窓から差し込む陽光が淡い黄色をしていて、見慣れたはずの自室が見知らぬ場所のように見えた。

「どれくらい眠っていた?」

「ほんのひと時でございます。それよりも、奥様が目を覚まされました。」

「え?」

「先ほど、奥様が目を覚まされました。」

ダンテスの言葉に返事もせずにティアの寝室へ向かう。間にある2つのドアがこれほどうっとうしかった事はない。

「ティア!」

ドアを蹴破らんばかりの勢いで寝室に入ると、ベッドの上に座る彼女が目を丸くした。カナンが少しこちらを睨んだ様な気配がするが気にしていられない。

「アデル。」

ティアの青灰色の瞳を久しぶりに見ることができて、私は思わず立ち止まる。彼女がほほ笑みを浮かべながら手を伸ばすから、そっと近寄って抱き締めた。彼女は繊細なガラス細工みたいな風情で、どこか少しでも力を入れたらパキリと折れてしまいそうだ。抱きすくめたい気持ちをどうにか押さえていると、ティアがギュウっと力を込めて抱きしめてきた。その意外な力強さに背中を押されて少し腕の力を強める。腕の中には心地よい温もりが広がる。感覚をフル稼働させて、ただそれを噛み締める。この10日間、もう一度この温もりを感じたいとだけを願っていた。

私は甘かったのだ。今回、もし敵が最初からティアを殺す気だったら私は彼女を失っていた。力を手にしていたのにそれを正しく使えなかった。己(陰者)の力を過信して、情報収集も護衛も穴だらけだった。どんなに注意していても、大切な者を亡くす瞬間は驚くほど呆気なくやってくるとわかっていたはずなのに…。私の甘さのせいでティアを大変な目に合わせたのだ。彼女に何と説明すればいいのか…申し訳なさで胸が締まる。

ひとしきり抱きあってからティアが身動ぎするので腕を離した。ティアはじっと何かを調べるかの様に私を見つめた。それにつられてお互いの顔がよく見える距離で見つめあった。ティアの瞳には喜びや安堵、戸惑いや憂いが交互に浮かんでは消えている。何と声をかけようかと瞬巡していると、ティアが急に眉をひそめて私の頬を撫でた。

「だめじゃない。ちゃんと、休んでいるの?」

何を言われているのか一瞬わからず、私の体調を案じているのだと思い至って笑みが漏れる。なぜもっと早く助けてくれなかったのかと罵倒されても仕方ないと思っていたのに、彼女はいつも私の想像通りにはならない。

「本物のティアだ…。」

口をついて出てきたのは感歎の声で、私はこの時やっとティアの無事を噛み締めることができた。目の前にいるのは正真正銘一部の狂い無く、私のティアだった。ティアが帰ってきた。

「私以外にティアがいたの?」

私の呟きを聞いて彼女が不思議そうに首を傾げるが、私は首を横に振って答えた。不用意に言葉を発すると泣いてしまいそうだったのだ。

「目覚めた時に、側に居たかったんだが、すまない。」

慌てて少し話題を変える。

「いいの。そんな小さな事は…こうして帰ってこれたのだから。ありがとう。見つけてくれて。」

しかし、丁寧に礼を言われてしまって、脇へ追いやっていた申し訳なさが戻ってきて、更に募る。

「いや、遅くなってすまなかった…。」

自嘲気味にそう謝るとティアは少し眉根を寄せて私を見つめた。しばらくそうして見つめてから、

「アデル、お腹がすいたわ。貴方も、食べるでしょう?」

と唐突に言う。慌てて食事の用意を頼むと、あっという間に運ばれてきた。すぐに食べられるように用意していたらしい。ティアの要望で2人分の食事をテーブルに並べて席に着く。そう言えば、きちんとテーブルで食事をするのは久しぶりだ。彼女が攫われてから、書き物机やソファーでパパッと済ましていた。

10日程ろくに食事がとれていないティアのために、温かいポタージュスープが用意された。野菜が溶け込んだスープは栄養満点で消化も良く、体も温まって今の彼女にぴったりだ。そして私にも。思った以上に体が食事を求めていたらしい。うす味のスープが体の中にほんのりと温もりを灯す。優しく、深い味がした。

ティアは時間をかけて皿の3分の2程飲んで満足気に食事を終えた。私は彼女の様子を見ながらパンとスープを平らげた。彼女と久しぶりにとる食事は簡素なメニューながら美味しかった。食事を終えてベッドに戻ると、ティアは疲れたのかグッタリと体を横たえた。それでも、満足そうに微笑みを浮かべている。

「さぁ、まだ熱も下がりきってはいないんだ…ゆっくり休みなさい。」

私がそう言うと彼女は口を尖らせる。

「まだ、眠く無いわ。」

そういって駄々を捏ねる彼女に、苦笑が浮かぶ。華奢な手を取り甲をゆっくりと撫でた。彼女は私の手の動きをじっと見つめながら、

「この事件はどう処理されるのかしら?」

そう切り出した。最初からこの話をするつもりだった事に気付いて、私は小さなため息をつく。頑固な彼女は私がきちんと話をしないと寝てくれない気がした。

「疲れたら、途中でもちゃんと休むと約束してくれ。」

私はそれだけを約束させると、これからについて話し始めた。

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