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第062話 『魔法』⑦

 だがこんな(おぞ)ましい場所にいつまでもいたい者など、たとえ冒険者だとしてもいはしない。


 ネモネは自身の両頬をぺちんと一つ叩いて意識を恋に墜ちた乙女から冒険者のものへと切り替え、ぺたんと座り込んでいた密かに自慢の尻を地面から離陸させる。

 ここまでの幸運に恵まれながら、帰途で魔物(オンスター)に襲われて結局は全滅するなど冗談ではない。


 その可能性がないことをシロウたちが確認していることなど、ネモネたちには知る由もない。

 であればせめてここからは、冒険者に恥じぬ行動で無事帰還するくらいのことをして見せねばさすがに立つ瀬がない。

 救った相手に無為に死なれることが、どれだけやるせない思いをさせるかなどネモネはよく知っている。


 自分の煩悩などこの際はどうでもいい。

 あえて言うまでもないことだという、自分自身の冷静な部分からの突込みは聞こえないふりをしておく。


 今一番やらねばならないことは無事に帰って後日、命を救われたことのお礼の言葉と、無事な自分たちの姿を見せることだと思うから。

 たとえ相手がそんなことを望んでいなかったとしても。


「さあ立って。一刻も早くノーグ村まで撤収しましょう」


 意識のある女性冒険者たちにかける声は、すでに歴戦の冒険者の響きに戻っている。

 そしてたとえ新人だとはいえ、冒険者として認められている彼女たちもこの場で呆けていることの危険性くらいは理解できる。


 奪われた武装と、意識を失っている男性冒険者二人にとりあえず着せる適当な服を確保して、一刻も早く安全圏へと退避することが最優先だ。


 正直思考も感情もぐちゃぐちゃで、油断したら叫び出してしまいそうではあるけれどもそこは生き残るのが最優先という生物の本能が抑え込んでくれる。

 自分たちを救ってくれた強者が去った今、この場に居続けるのは恐怖でしかないのだ。


 すべてを吐き出し、この経験に震え上がるのも、今後のことも考えるのも、まずはノーグ村へ退避が完了してから。

 馬鹿な自分たちを救いに来てくれた先輩冒険者の指示に素直に従い、六人の冒険者は速やかに撤退行動に入った。


 恐慌状態にさえ陥っていなければ、ここからノーグ村までの退避はそう難事でもない。

 もっともさっきの小鬼(ゴブリン)級の魔物(モンスター)がいないことが大前提ではあるので、油断などできはしないが。


 油断しないままに、ネモネは冷静になった冒険者としての思考を走らせる。


 救ってくれた『漆黒仮面舞踏団(バル・マスケ)』が桁外れに強いことはまあいい。


 噂話ではすべてが嘘ではないとはいえ、その余りにも桁外れな実績ゆえにその力は多少盛られて伝わっているのだと思っていた。

 それがまさか噂話の方が控えめだったとは予想外も過ぎるが、結果としてその力を以て救われた以上何の問題もない。


 だが彼らは一切の口止めを行わなかった。


 なぜ王都を拠点としているはずの『漆黒仮面舞踏団(バル・マスケ)』、しかもその中核と看做されている『№0』と『№ⅩⅢ』がこんな辺境の地にいたのか。

 12年の冒険者歴を誇るネモネでさえ知らない、それも迷宮(ダンジョン)湧出(ポップ)する魔物(モンスター)などよりもよっぽど強力な小鬼(ゴブリン)どもがこの地に湧出(ポップ)していたのか。


 地上の魔物領域(テリトリー)湧出(ポップ)する魔物(モンスター)迷宮(ダンジョン)遺跡(レリクス)のそれよりも弱い。


 その大前提、常識が覆ったというだけでも大事件である。


 ネモネよりも間違いなくエメリア王国の冒険者ギルド本部に近い彼らがすべてを報告するつもりだというのであれば、まだなんとか自分を納得させられもする。

だがどうもそんな気配ではなかったようにも思える


 彼らは小鬼(ゴブリン)程度には確実に慣れていた。

 それは複数の小鬼(ゴブリン)たちを一掃した後、その魔石すら回収せずに撤収したことからも明らかだ。


 彼らにとっては取るに足りない雑魚なのだ。

新人たちのみならず、ネモネすら絶望するしかなかった小鬼ども程度。


 少なくとも『漆黒仮面舞踏団(バル・マスケ)』は、地上の魔物領域(テリトリー)にあれだけ強力な魔物(モンスター)湧出(ポップ)していることを知っている。

 そしてそういう場所だからこそ、この地に党員(メンバー)が常駐しているというのであれば納得もいく。


 それなりに冒険者として高位にあるネモネだからこそわかる。


 小鬼ども(あれ)にはヒトの域を逸脱しているとはいえ、力や反射神経だけで挑んでもおそらくは及ばない。

 しかも今まで自分たちが知っている魔物(モンスター)たちとは違い、群れる。

 多対1で戦うことが大前提になっている魔物との戦闘を、根幹から覆す存在と言える。

 それだけではなく、本能のみならず邪悪な意思を以てヒトを蹂躙しようとする今までの魔物(モンスター)とは全くその在り方を異にする明確な種としての敵。


 ヒトが『魔法』を以てしか相対できない、強大な敵。

 それがすでに、迷宮や遺跡の深部だけではなく地上にも湧出し始めているという事実。


 それこそが今回の事件の本質だ。


 ネモネは今まで自分が信じていた常識が足元から崩れてゆく空恐ろしさを感じている。

 古顔とはいえ、辺境の迷宮都市に所属する位置冒険者が知っていい範疇を越えているとも思う。

 しかもネモネだけではなく、救われた新人たちも同様だ。


 ――わざわざ口止めする必要もない、ってことなのかしらね。


 『漆黒仮面舞踏団』が知っており、それに合わせて動いているとするならばエメリア王国中枢部ももちろん知っているだろう。

 つまりネモネたちが何を報告したところで握りつぶされるということ。

 

 それもまたありそうな話ではある。


 どちらにしても無事帰還し、ヴァグラムの冒険者ギルド中枢に話をするしかないだろう。

 その結果がどうなるにせよ、ネモネや新人たちが胸にしまっておいていい話でもない。

 必要となれば王都まで出向くことも視野に入れねばなるまい。


 ――もう一度会わなきゃ始まらないよね。


 それは今回の事件の真相についても、ネモネの想いについても同じことらしい。

 だったら踏み込むのが冒険者という生き物である。


 書いて字の如く、危険を冒す者なのだから。


 自分でも意外なことにネモネは、あの最後の瞬間、女の子扱いではなく、いっぱしの冒険者として扱われたことによって、もう取り返しがつかないほど顔も知らない『№0』に恋に墜ちてしまったのだ。


 目標が定まれば後は努力を重ねるだけである。

 まずその一歩目が、無事にノーグ村まで帰還することであるのは言うまでもない。


次話 『そらのおとしもの』①



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