第061話 『魔法』⑥
命を救われた直後である故の、吊り橋効果に似たなにか。
常に強者として扱われてきた自分を、まるでか弱い女の子のように扱われたというおそらくは錯覚。
なによりも初めて実際に目の当たりにした、冒険者としての歴戦を誇る己と比べるまでもない隔絶した力――『魔法』を使いこなす強者。
己が赤面している理由など、何度も命の危機を経てきたネモネであれば頭の片隅に常に存在する冷静な自分が、いくつも列挙することができている。
だけどそんな理論武装よりも、今は頬に灯った熱と、戦闘中でもないのにむやみに激しくなっている鼓動こそが真実なように思える。
その証拠というわけでもないが、常であればすらすらと出てくるはずの言葉が、何一つ声に乗せて外に出すことすら叶わない。
まるで本当にただの無力な、救われただけの女の子のように。
そして常であればそう扱われることをこっそり夢見ながら、実際にそうされたら烈火の如く怒るはずの自分などどこかに走り去って、いなくなってしまっている。
――ああそうなんだ。私めんどくさい女だったんだ。
周りからは何をいまさらと言われかねないことを、それでもネモネは今初めて自分自身で納得して自覚している。
冒険者としてかなり高位にありながら、自分よりも確かに強い相手にこう扱ってもらえなければ響かない類の女だったのだということを。
それが本質であるのであれば、今まで言い寄られてきた数少ない男性たちに、これっぽっちも反応しなかったことにも我ながら頷ける。
人間的にも、条件面的にも、いい人たちばかりだったのだ。
数こそ少なかったが、そのたびに周りから「何が不満なの?」と問われるほどには。
ただ一点、自分より弱いという点を除いては。
これでは世の男性たちの「自分より強い彼女、嫁さんはなんかヤダ」に何一つ文句を言うことなどできはしない。
命と貞操を救ってくれた強者相手とはいえ、漆黒の仮面のせいで顔はもちろん年の頃すらわからない男性――声からしてそこは大丈夫そう――にときめいてしまっているのだから。
ふとじゃあなぜそんな自分に、ノーグ村に里帰りした際に進んで「お嫁さんに要りませんか?」などと、冗談とはいえからかう男の子たちがいるのだろうと思ったが、まあ相手は子供だしね、と思考停止した。
まさか今自分が鼓動を速めている相手の中のヒトが、その男の子たちの一人だとはさすがに想像の埒外である。
いつになくテンパってしまっているネモネは、今の自分の様子が傍から見ればずいぶんわかりやすい態度だということにも気付けない。
もちろんその様子を見て、急速に機嫌の水位を下げつつある『№Ⅸ』の存在にも。
ちなみに『№ⅩⅢ』はやれやれ、『№Ⅴ』はにやにや、『№Ⅹ』はきょとんとしている。
最大戦犯である『№0』はまだまだそういった機微には疎く、『№Ⅹ』と同じくお子様なので何一つピンと来てなどいない。
だから「ここでお姫様抱っこなんてされた日には完全に好きになっちゃうなあ、顔も知らない男の人相手なのに」などと桃色思考のネモネに冷や水を浴びせるようなことを平気でできてしまう。
「ここからノーグ村に至る一帯に、魔物は存在していない。貴女と彼女たちであれば問題なく彼ら二人を護りつつ安全な場所まで退避できるでしょう」
ネモネの目が点になる。
いや勝手に桃色妄想を加速させていたのはネモネだけだ。
相手にそれに付き合えというのは無体が過ぎるというのもわかっている。
でももうちょっとこう、もう少し――
と思ってしまうのは、すでに手遅れになっているが故ということにネモネ本人は気付けていない。
一方シロウにしてみれば別に、上げて落とすという高等技術を駆使しているつもりなどまったくない。
自身がもっと幼く、魔法の力を手に入れる前から憧れていたネモネが今も変わらずにいてくれたことに素直に感動し、その手伝いをできたことに勝手に満足感を覚えているというだけだ。
そんなシロウに言わせれば、強く凛々しいネモネであれば救い出した新人一党を護りつつノーグ村まで帰還するくらいは簡単なことなのだ。
広域索敵によってノーグ村までの道中に魔物が湧出していないことを確認できている以上、それは事実でもある。
もしも小鬼級の、ネモネたちにとっては厄介な魔物が広域索敵に引っかかっていた場合は、シロウたちで始末すればいいだけのことだと思っている。
それにこれ以上近くにいて会話を交わし、ネモネに対して馬脚を露す――『№0』が自分だとバレることを単純に恐れているというのもある。
なのでネモネがなぜ赤面しつつもぽかんとした表情をしているのかも、背後から『№ⅩⅢ』と『№Ⅴ』の呆れたような、それでいて面白がっているような気配が伝わってきているのかもよくわからない。
「では撤収」
よって立ちあがって漆黒の長外套を翻しつつ振り返り、言葉少なに指示を出す。
振り返った視界に入る『№Ⅸ』が、なぜかご機嫌な感じなのかもいまいち解せないシロウである。
それぞれ内心どう思っていても、党首の指示に従わない党員など『野晒案山子』に存在しない。
瞬時にその言葉に反応し、小鬼の湧出点でもある巣穴から退避を実行する。
その速度は普通のヒトであればもちろん、ネモネたち冒険者の目を以てしてもまるで転移魔法でも使ったかのように一瞬でその姿が掻き消えるほどのものだ。
あとに残されたネモネと新人一党は、暴風のように一方的に救われた状況に呆然とするしかない。




