第056話 『魔法』①
「それは悪手だ、女冒険者」
口調も声色も変え、万が一にも自分がカインだとネモネに悟られるようなことがないようにしている。
もっともいつもどおりに話したとしても、ネモネがカインを思い浮かべることはまずないだろう。
冒険者の脚を以てしても、たどり着くまでにそれなりに時間のかかったのがこの場所だ。
そんなところまで『聖別』で認められた上に聡明でとんでもない男前とはいえ、『成長』を一度もしていないただの12歳の男の子が来られるはずなどないのだから。
常識とは本人が思っている以上に、インプットされた情報を正しく把握することを阻害する。
多くの場合は一つの判断基準として正しく機能するが、文字通り常識外れの事態に対しては害悪になることの方が多い。
そのことを分かってはいても、それに縛られずに済むことなど不可能なのだが。
よってあらゆる事態に対して十全の対応を取らんと望むのであれば、どうしても縛られざるを得ない自身の『常識』の方をアップデートするしかない。
すでに『魔法』すら己らの常識としているシロウたちのように。
「Ⅹ。最悪の事態は回避されている。ⅤとⅨを呼びに行け」
言われた瞬間、Ⅹ――ヴァンの姿が掻き消える。
カインの指示通り、全速で入り口付近に待機しているⅤ――フィアとⅨ――シェリルを呼びに行ったのだ。
確かにこの状況で最も必要なのが、フィアの治癒魔法であることは間違いない。
この場はカインとシロウに任せていれば間違いなどないと確信して、一秒でもはやくこの場にフィアを連れてくるべく動いたのだ。
よってこの状況で小鬼どもから目線を切ることの危険も忘れて思わず振り向いたネモネの目に映ったのは一人だけ。
この状況を前にしても「最悪の事態ではない」と言い切った、漆黒の仮面と長外套にその身を包んだカインの姿のみである。
噂には聞くその姿を直接目にしたのは、ネモネも初めてだ。
だが話に聞くだけでも特徴的すぎるその姿は、冒険者であれば知らぬ者などいるはずもないほど有名なもの。
それも仮面と長外套に真紅で記されている№は『ⅩⅢ』
『№0』と共にたった二人で、一時は誰にも不可能とまで言われた階層主を撃破した者の№。
冒険者であれば知らぬ者などない現代の英雄、その片方であることを指し示している。
ここが辺境の酒場などであれば、なりすましを疑うこともできただろう。
その特徴的な風貌はわかりやすい半面、真贋を判断できる者など極端に少ないことも確かな事実である。
辺境であればなおのこと。
実際にその勇名を騙り、それによってもたらされる利益を享受せんとする不届き者など、掃いて捨てるほど存在している。
中には犯罪者紛いの荒くれ者どもを制するために、ある程度実力を持った者が不本意ながらも騙っている場合などもあるにはあるが。
だが騙りが通用するのは安全な場所においてのみだ。
万が一本物であった場合の不利益を鑑みて、真贋そのものよりも黙って信じた方が得だと判断できる相手に対してのみ意味を持つ。
そんなものは冒険者の戦場においては、そんなものは一切通用しない。
まだしもヒト同士の戦場であれば、その勇名を有効利用することもできるだろう。
だが敵が魔物である冒険者にとっては無意味に過ぎる。
強者を装ったところで、自身の力が変わるわけなどないのだから。
ゆえに死地にてそんな恰好をしているということはつまり、本物だということだ。
普通はそう思う。
突出した力を持っていることを隠すために、世間で英雄視されている冒険者のフリをするなどという発想が出てくる方が異常なのだから。
「まさか『漆黒仮面舞踏団』!? どうしてこんなところに!?」
「たまたまだ。そんなことよりもこの場をどうする?」
『№ⅩⅢ』と『№Ⅹ』はネモネに声をかけるまで完璧に気配を絶っていたので、その存在を今になって気付いた小鬼たちが騒ぎだしている。
繰り返している滑稽にも映るその仕草は、ネモネにやっていたのと同じように武装を解除しろという意味だろう。
だがそれに従おうとしていたネモネに対して悪手と言い切った者が、まともに取り合うはずもない。
「なんとか……なりませんか?」
「私にそれを聞くのか」
驚愕と混乱はしていても、ネモネは自分は救われたのだということを正しく理解している。
小鬼という魔物を甘く見て、自身の甘い考えに囚われて自ら死地へ踏み込んだネモネと、一瞬で目の前に移動してきている『漆黒仮面舞踏団の№ⅩⅢ』は立っている位置がまるで違う。
それはこの期に及んでも我ながら甘いとしか言いようのない、力もないくせにどうにかして欲しいと縋るような身勝手な問いに対して、落ち着いて答えてくれていることからも明白だ。
皮肉な響きが含まれているとはいえ、その言葉に明確な否定の色は感じられない。
ざっと見て二桁いる小鬼どもを前にしても、『№ⅩⅢ』は間違いなく勝てると確信している。
そしてそれはけして思い上がりでも、都合のいい思い込みでもない。
実績に裏打ちされた、単なる事実。
ネモネの戦力などまるで当てにせず、単騎で小鬼の群れを殲滅できることはすでに『№ⅩⅢ』の中で確定しているのだ。




