第055話 『死地』⑤
叫んだからとてどうにもならないことなど、ネモネにもわかっているはずだ。
それでも叫ばずにはいられなかったのだろう。
小鬼たちの手に落ちている新人一党は5人構成。
男性二人、女性三人の少々珍しい人数構成である。
武技や魔法が失われていることの影響なのか、魔導器官を持ち魔力の存在する場所で圧倒的な戦闘能力を発揮できるのは、男の方がずっと多いのが現状である。
ネモネのような女冒険者はごく少数なのだ。
その女性冒険者三人は肉体的にはまだ無傷。
苗床とする大前提があるうえに、小鬼どもの遊び方も男と女では異なるので、囚われた直後であればそう珍しいことでもない。
手に入れたばかりの玩具は、飽きるまでは大事に扱われるものなのだ。
その分、二人の男性冒険者はより無惨なことになっている。
死んではいない。
すぐに死に至るような、いわゆる致命的な傷もつけられてはいない。
だが冒険者としては、もう終わってしまっている。
すでに取り返しがつかないところまで、完全に壊されてしまっているのだ。
四つの眼窩は空虚な洞になっており、完全に眼球を潰されている。
もはや言葉とも悲鳴とも区別がつかない、嗚咽のようなものが漏れ出している口にはまともな歯など一本もなくなってしまっている。
両手の指は半数がへし折られ、爪はすべて剥がされている。
二人とも片耳はなく、力づくで引きちぎられた頭髪が頭皮を剥ぎ、血に塗れた動死体のような様相を呈している。
新調したばかりであっただろう鎧をはじめとした武具はすべて剥ぎ取られ、全裸に剥かれたその躰のいたるところに打撲による青黒い斑が浮かび、明らかに複数個所の骨がへし折られている。
歯がほぼすべて砕かれているためにまともに聞き取れないが、嗚咽のように聞こえる音は「殺してください」と懇願しているのだ。
洞となった眼窩から流れている涙は血と混じって朱色に濁っている。
すぐには死ぬまい。
だがこのまま数時間放置すれば、間違いなく冷えた元冒険者の肉塊が出来上がることは疑いえない惨状。
もしもここから助かったとしても、冒険者としてはもちろん普通の暮らしをすることすら絶対に不可能な、徹底した躰と精神の破壊。
ヒトの尊厳というものを、ヒトのカタチを壊すことで徹底的に踏み躙っているかのような醜悪な行為。
男性冒険者二人をそうしながら、小鬼たちはげたげたと嗤っているのだ。
本能に従って生きる魔物が、獲物としてヒトを捕食する際に結果として与えてしまう恐怖や苦痛とは、決定的にその本質を異にするもの。
小鬼には知恵がある。
ヒトよりも劣っているのはその質、量だけであり、狡さ、醜悪さという点ではそこまで後れを取っているわけではない。
ヒトの真の闇に触れたことが無い者であれば、小鬼こそが最も醜悪な行為を成す知恵ある存在に見えるくらいには。
本能に依らず、小鬼たちはヒトを壊すことを自身の意思を以て愉しんでいるのだ。
極一部のヒトと同じようにして。
そしてそれは自身の愉悦の為ばかりではない。
自分たちが愉しみながらヒトをここまで壊せるのだということを、より遊べる玩具である雌どもに思い知らせているのだ。
もっと数がいれば抵抗されながら、壊しながら愉しむこともまたよしだが、たった3体しかない貴重品ともなれば大事に扱う必要がある。
少なくとも、もっと在庫を確保できるまでは。
そうと判っていても、抵抗されればすぐに切れて壊してしまうことを止められないのが小鬼の本能であり、限界でもある。
だからこそ最初に抵抗する意思を圧し折る。
殺してもらえることが救いとなるほど徹底的に、目の前で同族の雄を壊しつくすのだ。
そうするとたまに怒り狂う個体もいるが、ほとんどは小鬼たちに媚びるようになる。
色欲に濁った小鬼たちの目を見れば、女になにを求めているかなど想像するまでもない。
仲間の命よりも、自身の尊厳よりも、自分がああならないことを最優先するのであれば、自身の躰を以て媚びるしかなくなるのだ。
自決できればまだ救われるのかもしれない。
だが小鬼たちはそれを赦さない。
最悪最低の汚泥の中で、よりマシな方の地獄を選択することしか赦されなくなる。
それが女の身で小鬼に囚われるということなのだ。
事実、複数の小鬼たちに四肢の自由を奪われている三人の女性冒険者の目の光は、すでに常軌を逸したものになっている。
涙は枯れ、声を出せないように塞がれた口は剛力で押さえつけられながらも歯がカチカチと震えることを止めることはできていない。
三人とも悔しさや怒りなど磨り潰されて、恐怖のあまりに失禁してしまっている。
小鬼たちはまたそれで興奮してげたげたと嗤うのだ。
そんな惨状を目の当たりにして、逃げ出さずに制止の叫びをあげることのできたネモネを、勇気ある者だということもできるだろう。
だがそれ以上に愚か者だ。
16体もの小鬼を相手に勝つ術がない以上、止めようがない。
まだ無事な女性冒険者三体を人質として扱われれば、まともに戦うことさえできはしないだろう。
初手で切り込めずに、制止の声を上げることしかできなかったのがその証左だ。
どちらにせよ状況はすべて詰んでいるとしか言えない。
ネモネが武器を捨てて投降したところで、小鬼たちにとっての在庫が1体増えることになるだけだ。
そんなことはネモネにも嫌というほどわかっている。
それでもそうするしかない。
王立学院を卒業したばかりで、冒険者としての自分の将来に輝かしい夢を見ていたであろう男性冒険者二人はもう手遅れだ。
奇跡が起こってこの瞬間に助けられたとしても、間違いなくノーグ村まですら持たない。
というよりもここまで壊されてしまっては、ネモネが弓で止めを刺してやった方が慈悲になるほどの状態である。
だが女性三人は肉体的にはほぼまだ無傷なのだ。
すでに心には二度と消えない、深刻な傷を刻み込まれているとはいえ。
それはネモネとてそう変わらないともいえる。
魔物が恐ろしいということなど、誰に言われるまでもなくよく知っている。
一手間違えただけで想像を絶する苦痛を伴う死に見舞われるのが、冒険者という稼業なのだということも。
ネモネとてその長い冒険者暮らしの中では、生きながら魔物に喰われる仲間を救えなかったことだってあるのだ。
――でもそういう恐怖と、これは違う。
力を信奉するもの同士がその存在をかけて戦い、敗者が勝者の糧となる自然の在り方とは決定的に異なるモノ。
ヒトという種も確実に持っている、弱者をいたぶって愉悦を得るという、心を持つ者ゆえの悍ましき醜悪。
それを遠慮も会釈なく叩きつけられれば、普通のヒトの心は圧し折られるしかない。
だが逃げるという選択肢を放棄した以上、少しでも時間稼ぎをするしかない。
救援など来るはずもなく、今ここで死んでおけばよかったと間違いなく数分後には思い知らされることが判っていてもだ。
言葉は話せずとも脱力した女性冒険者三人を乱暴に扱い、剣を捨てろという仕草を繰り返す小鬼ども。
唇をかみしめながらも、それに従うしかないと思い定めたネモネに、後ろから唐突に救いの声がかかる。




