第050話 『死地』①
「あそこですね」
焦点をシロウたちに合わせれば、背景がもはやなんだかわからない解けた油絵のようになる速度で目的地――小鬼たちの巣穴に到着している『漆黒仮面舞踏団』のフリをした『野晒案山子』の面々である。
それだけ驚異的な躰の酷使を行った直後にも拘らず、巣穴の入り口を確認したカインの呼吸はほんの僅かすらも乱れていない。
「歩哨が立ってないな」
平然としているのは隣で状況を確認しているシロウも、その言葉に頷くシェリル、フィア、ヴァンも全く同じだ。
呼吸以前にそもそも普通のヒトの眼では、シロウたちが巣穴の入り口と看做しているところをはっきりと捉えることもできまい。
まだそれだけの距離があるにもかかわらず、シロウたちにとっては一気に突入するスタート地点とするには十分な距離までつめているという感覚なのだ。
だがシロウの言葉に皆が頷いたように、巣穴の入り口に小鬼の歩哨は確認できない。
ヒトほどではないとはいえ、小鬼には知恵がある。
あからさまにではないように自分たちの拠点の入り口に歩哨を立てることくらい、通常時であれば当然のこととしてやっているはずだ。
「つまり最悪の状況です」
シロウたちの眼を以てしばらく観察してもそれがないということは、カインの言う通り最悪の状況となっている可能性が高い。
つまりはちょっとした知恵など、欲望に引きずられた本能にあらがえないほどの事態が巣穴の奥で発生しているということに他ならない。
その大前提を確認するために、貴重な時間を使ってまでできるだけ正確な状況を把握しているのだ。
ただ殲滅すればいいだけの場合と、最悪の場合の救出を想定しての突入では心構えも準備もまるで異なったものになるのは当然。
命のかかった戦闘において、その認識の差が結果を大きく変え得るのだ。
今回の場合は自分たちではなく、救うべき対象の、だが。
ゆえにシロウたちは己の意識をただ突入しての殲滅から、最悪までを含めた状況からの救出へと切り替える。
1、2体の歩哨程度になら勝てると踏んだ新人一党が戦闘の末あっさり無力化され、巣穴の奥に引きずり込まれているであろうことはほぼ間違いない。
つまりまだ死んではいない。
女であればもちろんのこと、余裕で勝てる相手であった場合、小鬼たちは男であってもすぐには殺さない。
知恵と意思を持った獲物は、死ぬまで遊べる玩具にできるからだ。
問題はそれにネモネも含まれているのか、戦闘終了からどれだけ時間が経過しているか。
時間が経っていれば経っているほど、獲物の状態は酷いことになる。
だが今はそんなことを考察している場合ではない。
最優先されるべきは最悪の状況を想定した上で、1秒でも早く迅速に行動を開始することである。
意識と同じく、たった数秒の差が大きく未来を変えることもあるのだから。
「シェリル。周囲に魔物がいないことは確認できているけど、入り口付近でフィアと待機。フィアは治癒術起動の準備を頼む」
「はい」
「了解」
大前提が確定したことにより、当初の予定通りシェリルとフィアは巣穴には突入しない。
ただし負傷者の存在を想定して、治癒術の起動に入っておく。
シロウの指示に素直に従うフィアとシェリル。
そこに否やはない。
シロウの『黒の魔導書』も、フィアの『白の魔導書』も、その弱点はすべての魔法が起動するまでにそれなりの時間を要することだ。
だからこそ毎日繰り返される『水の都トゥー・リア』での魔物との戦闘も魔法をぶっ放して即終了するわけではなく、前衛であるカイン、ヴァン、シェリルの連携の末に、シロウが魔法で止めを刺すという流れになっているのだ。
魔法の同時並行起動はまだできない。
一つ一つ順番に起動する必要がある以上、接敵する魔物が確定してから、その相手に最も適した魔法の起動に入る必要がどうしてもあるのだ。
よって今回のような場合、対象がいないまま魔力を無駄にすることも想定内として、治癒魔法は即起動可能な状態までもっていっておくことが肝要となる。
救う手段を持ちながら、起動までのタイムラグで死なせてしまった時に受ける精神的苦痛は、多少の魔力を無駄にすることとは比べ物にならないのだから。
本当の意味でそうなのかどうかはまた別の問題として。




