第043話 『たいせつなひと』②
だが現実というものはもちろん、いつだってそんなことに一切頓着などしない。
善意に基づいて動いていれば悲劇が起きないやさしい世界など、絵本の中くらいにしか存在するまい。
世界は優しくもなければ、特に残酷というわけではない。
ただ厳密なだけだ。
強ければその美談は成り、弱ければそれは惨劇となる。
ただそれだけのことに過ぎない。
もしもその時に『野晒案山子』の党員が一人でもいれば、ぶん殴ってでも愚かな駆け出し一党全員を止めることは容易だっただろう。
もっともシロウたちは今のところその実力を隠しているので、村を出た直後に全員の意識を刈り取るとかいう、少々乱暴な手段になったではあろうが。
だがもう遅い。
その新人一党も、その監督官であるネモネもとっくにノーグ村を後にしてしまっている。
「どのくらい時間が経過していますか?」
「二時間ちょうどくらいです」
「……ふむ」
問いに対するアレンの答えを受け、カインが腕を組んで黙考する。
ネモネ級の冒険者が関わってしまった以上、迂闊で運の悪い新人一党が全滅してしまいました、で済む状況ではなくなってしまっている。
常識として認識されている地上の魔物領域、そこに湧出する魔物程度に、冒険者としてトップクラスに近いネモネが後れを取ることなどないはずなのだ。
それが新人一党共々全滅したとなれば、その常識がひっくり返されることになる。
稀にある不幸な出来事どころでは済まない深刻な脅威が発生していることを、少なくとも冒険者ギルドという組織の上層部は理解するだろう。
そうなればよほど組織としての機能不全に陥っているのでもなければ、上位組織であるエメリア王国中枢や、聖シーズ教の『奇跡認定局』にもその情報は共有されるはずだ。
まあ莫大な利権が絡んでいるのが今の冒険者ギルドという組織である。
迷宮都市ヴァグラムの冒険者ギルド支部、そこの現責任者の為人にもよるが、間違いなく上が動く事態になるその情報を厭い、「より正確な情報が出揃うのを待つ」などというお題目で一時的に自分のところで止める可能性もなくはない。
だがそれに期待するのはいかにも楽観が過ぎるし、もしもそうであったとしてもそれはあくまでも一時的なものに過ぎない。
自分の配下を使っての調査まで行わないことはさすがにあり得ないし、そうなれば遠からずシュタインアルク辺境領の異常には気付かざるを得なくなるのは明白だからだ。
もはや隠蔽しようもないほどの、冒険者たちの犠牲を伴って。
数千年の時を経て再び湧出を始めた魔物、それらが跋扈する迷宮を、ヒトにとって有益な資源とできることこそが『冒険者』――成長を可能とする者の価値、存在意義だ。
だがそれが通用するのはヒトの管理下にある迷宮、遺跡、魔物領域に限った話であり、冒険者たちでも歯が立たない魔物が湧出している場所があることを、嫌でも知ることになるだろう。
いや初めから知っていたことを思い出さされるだけだといった方が、より正確かもしれない。
『迷宮保有国家群』が管理運営する迷宮は、そのどれひとつをとっても最下層まで攻略されてはいない。
今の冒険者たちの戦力では接敵がそのまま死と同義となるような強力な魔物たちが、下層に潜れば潜るほどいくらでも湧出しているからだ。
そんな情報はもう何十年も前から支配階級にある者たちは把握している。
なぜかいまのところ、ヒトの力では勝てない魔物たちが自ら浅い階層へと、最終的には地上へと出て来ないというだけにすぎない。
どの魔物も自身が湧出した階層にとどまり、そこから離れようとしないのだ。
昨日がそうだったから今日も、今日もそうだったからおそらくは明日も。
それが続くだろう、続くはずだという楽観を妄信して、今日までヒトの世界は続いてきている。
それが突然、終焉を迎えるかもしれないという現実を突き付けられるのだ。
有力な冒険者が、実際に殺されるという目の逸らしようがない事実を以て。
最終的にはこのシュタインアルク辺境領を最警戒地域として、徹底した調査が行われることになるのは間違いのない事実である。
それはカインの望むところではない。
その状況へ移行するのは今はまだはやい。
シロウたちのようにネモネが自分たちにとって大切なヒトだから助けるというだけではなく、カインにとっては助けなければ状況の推移が己の思惑から外れることになるという実利的な理由もあるということだ。
ネモネに死なれてしまえばそうなる未来がほぼ確定されてしまうが、まだ出立して二時間というのであれば充分に取り返しがきく。
『野晒案山子』がその力を全力で行使すれば、まだ余裕があるとさえいえる。
それがわかっているからアレンも慌てていたし、今ならまだ間に合うタイミングでカインに情報を伝えられたということを理解できるのでほっともしたのだ。
「久々にアレの出番かな?」
「それしかないよ、ね?」
「…………」
ネモネが関わっていることがわかった以上、『野晒案山子』が動かないことなどはあり得ない。
党首は言わずもがな、副長もそうすべき明確な理由を持っているとなれば、救出へ向かうことはもうすでに決定事項と言っていい。
そんなことは『野晒案山子』の党員であればわかっていて当然。
にも拘らずフィア、シェリルがどこか気の進まない表情を見せ、ヴァンすらも沈黙無表情の中に躊躇いの微粒子が混入している。
これはけしてネモネが女性陣にとって、潜在的な敵だからというわけではない。
フィアは冒険者として得た富の多くを孤児院につぎ込んでくれたネモネを尊敬している。
シェリルとて自分やシロウはもちろん、歳の離れた義弟や義妹たちが何不自由なくすくすくと成長できているのはネモネのおかげだということくらい理解しているし、それには心から感謝している。
万が一恋敵となる可能性を込みでも充分に懐いている同性の先輩であり、尊敬する恩人だとの想いに嘘はない。
その命が危険に晒されているとあって、自分たちの力をその救出に行使することに否やなどあるはずがないのだ。
ゆえにヴァンまで含めてどこか躊躇いがちなのは、フィアが口にした「アレ」なるモノに起因する。
「アレとはなんですか。カッコいいじゃないですか『漆黒仮面舞踏団』」
三人の言葉とアイコンタクトを察したカインは、珍しく憮然とした表情で抗議口調である。
大概のことはニコニコと受け流すのが常態であるカインには、めったに見られぬ表情だ。
「いえその……カインがつけた名前ってわけじゃないのは知ってはいるんだけどね?」
そのちゃんと年齢相応にむきになっているように見えるカインに対して、いつもは最も舌鋒が鋭い立ち位置であるフィアがフォローめいたことを口にする。
「エメリア王国最強でありながら、党員の素顔は誰一人として知られていない神秘の一党。……カッコよくありませんか?」
悪い笑顔のシロウに肩を叩かれつつ、なお一層憮然とした表情となったカインが理解できませんという風に首を振る。
カッコいいを繰り返すあたり、カインの感覚ではその名称はもちろんその在り方もとてもカッコいいと思っているのがよく伝わってくる。
とある病に罹患している者にとっては間違いなくそうではあろう。
その病の名は『厨二病』という。
天才であろうが男前であろうが、一度罹患すれば本質的に二度と快癒など望めぬ呪われた病である。
だがそのアレ――『漆黒仮面舞踏会』がシロウたちのたいせつなひとを救うのに、どんな関係があるというのだろうか。




