第035話 『嚆矢濫觴』⑥
シェリルの健気さのおかげで、シロウは迷いのいっさいを振り切ることができた。
あとはやるべきことをやるだけだ。
孤児院を飛び出し、この村で最も武器らしい武器がある可能性が高い村長の家へと一直線に突っ走る。
辺境の寒村のわりにはそれなりの規模を誇るノーグ村だが、勝手知ったるシロウにかかれば、そもそもそんなに離れていない孤児院から村長の家まではすぐだ。
気にはなっているものの、教会にも鍛冶屋にもあえて行ったりはしない。
フィアもヴァンもすでに流行病に罹患してしまっているという話は聞いているし、もしも二人が元気なのであれば、今頃決断が遅いシロウの尻を蹴っ飛ばしに来ているに違いないのだ。
だから魔法好き仲間の二人も、今はきっとシェリルと同じように流行病と闘っている最中。
だったら今、流行病以外と戦うのがシロウの役目だ。
フィアもヴァンも、シロウが熊をぶっ転がして捌いた後、シェリルの分を十分に確保してから手土産持参で二人を見舞うまで、流行病に勝てないまでも負けないでいてくれればそれでいい。
ノーグ村においてシロウと歳が近い子供は4人いる。
一人は言うまでもなく、同じ孤児院で暮らしているシェリル・ウォーカー。
二人目も女の子。
メダリオン大陸において、辺境の寒村選手権でも開けばかなりいいところまで行くのは間違いないのがノーグ村だ。
だがそんな寒村にもメダリオン大陸中、というよりも信仰の篤さの差こそあれほとんどすべてのヒトが信じているであろう世界宗教、聖シーズ教の教会はしっかりとある。
そこを任されている神父の一人娘である、フィア・ノート・リード。
シロウと同じ歳の、なかなかにおませな美人さんである。
物心つく前に母親を亡くしており、男手一つで育てられたわりにはなのか、せいなのか、9歳にしてすでにあざとい美少女として完成されつつある趣がある。
頭もよく口の回転もはやいので、シロウなどは口喧嘩になって勝った試しなど一度もないくらいだ。
それでいて村人たちには優しくてか弱い、儚げな美少女という分厚い皮を被り続けているのが、シロウにしてみればちょっとした恐怖である。
そもそもいくら教会のお嬢様とはいえ、こんな辺境の村でそんな皮を破綻なく被り続けられるという時点で相当なものといえる。
三人目は、辺境の村ゆえにこそ必須となる鍛冶屋。
そこの老大将の孫がシロウより一つ歳下、シェリルと同じ歳の男の子、ヴァン・ステイル。
ヴァンも物心つく前に両親を亡くしており、おじいちゃんである鍛冶屋の大将一人に育てられている。
老大将は鍛冶職人として、辺境の寒村などにはもったいないくらい良い腕をしている。
腕のいい職人にありがちな寡黙で偏屈な人物だが、ヴァンにとっては優しいじいちゃんであることに変わりはない。
そのヴァンと仲のいいシロウたちにも無愛想ながらもいつもよくしてくれていて、今シロウが装備している木の盾も冒険者ごっこ用の玩具として老大将が作ってくれたものである。
きつい鉄火場仕事をずっと手伝っていたせいかどうかは不明だが、ヴァンは実際の年齢より5、6歳上に見られてもまるで不思議ではないほど恵まれた躰をしている。
育ての親に似て、ものすごく口数は少ないのだが。
フィアはともかくヴァンが元気でいてくれたら、シロウが今からしようとしていることの成功確率はずいぶんと上がったことだろう。
だがない物ねだりをしていてもしょうがない。
それにフィアはともかくなんて一瞬でも考えたことが万が一にでも露見すれば、それはもう長いことチクチクと責められることにもなるだろう。
とにかくシロウはきっちり単独で熊を狩り、その肝と肉で二人の流行病も治した暁には、「口は達者」「肝心な時に寝てた」あたりの嫌味を投げつけてやる所存である。
言い返せない立場でそれを言われた二人がどんな情けない顔をするのか、必ず拝んでやるのだ。
この四人までは結構な仲良しである。
子供にも当たり前にある日課の仕事と勉強を終えた後、自称「ぎるど・ほーむ」に集まっては魔法や古代種といった、大魔導期の御伽噺に想いを馳せる。
いわばこの時代の子供らしい、夢見がちな魔法大好き少年少女たちである。
だが最後の一人はちょっと立ち位置が違う。
こんな辺境の寒村であっても、身分が違うと言ってしまってもいいかもしれない。
カイン・エル・ノーグ。
村と同じ家名をその名の内に持つ、つまりは村長の長男である。
歳はシロウ、フィアと同じ9歳。
だが次代の村長になることが生まれた時から確定している立場のため、勉強も仕事もらしさを求められ、シロウたちとはまったく違う扱いをされている。
貧しい寒村ではあれ、いや半ば以上独立した生存環境を確立している寒村だからこそ、その指導者、支配者的立場である村長の力は強い。
巧遅よりも拙速、即断即決が求められるのが辺境という土地なのだ。
ヒトが相手ではなく、野生の獣や時に魔物などとほぼゼロ距離で日々相対している辺境の集落では、合議制のメリットよりデメリットの方が顕著となってしまうからだ。
例えば村の近隣で発見された野獣の群れをどうするかなど、のんびり会議を開いて決めている時間など与えられはしないのだから。
だからこそただ血を継いでいるというだけの無能には、その与えられた特権をはるかに上回る重責を担うことなどとてもできはしない。
厳しい現実に晒されている辺境の地における組織で、その責任者に求められる最低限のことはまず有能であること。
お飾りの指導者擬きに率いられた集落が存続できるほど、この時代の辺境は甘い場所などではないのだ。




