第032話 『嚆矢濫觴』③
シロウにとっては、まずはシェリルを助けることがなにをおいてでも最優先。
理由は単純、自分がシェリルを好きだからだ。
もっと幼い頃から、シロウの服の裾をつまんでどこへ行くにもついてきた可愛らしい少女が、この世界のなにと比べることもできないくらいに一番大切。
だからそれはシロウにとって、利己的な優先事項である。
シェリルを失ってしまったら、自分を含むその他のすべてが助かってもシロウにとってはなんの価値もない。
だから圧倒的な最優先事項として「シェリルを助ける」ことをまず己の中で強く固定する。
逆に言えばそれは、シェリルが助かりさえするのであれば、他の全てを犠牲にしてもかまわないという覚悟を持つということに他ならない。
ネモネ・ハーヴィンという女性冒険者がこの孤児院出身だったおかげで、その支援をうけることができたシロウたちは、エメリア王国の中でもかなり恵まれている孤児だといえる。
というよりも辺境の寒村で孤児院が存続できているのは、ひとえにその冒険者のおかげといっても過言ではない。
おかげで今日まで貧しく厳しいながらも、わりとのほほんと多くの同じ境遇の仲間たちと共に生きてきた子供でしかないシロウである。
当然、明確にそんな選択を強いられた経験などありはしない。
だがあっさりとそれを肯定してしまえる自分に軽く戦慄しながらも、今からでも「全員が助かる最善手を探すべきだ」などとは毛先ほども思えなかった。
まずはシェリルを助ける。
それ以外はどうでもいい。少なくとも今この瞬間においては。
もう一度強く己の意志を固定し、自分でも足りないとわかっている頭をそれでも回す。
当然流行病を治療するために有効な知識など、9歳のシロウの頭の中にあるはずもない。
だから風邪などにかかった際、自分が大人たちから言われていたことを一から思い出す。
曰く、暖かくして、水分を取って、できるだけ安静にする。
それらはすべてもう行っている。
幸いにして温かくするための毛布の類は無駄にたくさんあるので、シェリル以外の分まであえて奪う必要はなかった。
水も己が村の井戸を往復しまくればなんとでもなったので、潤沢な量が用意できている。
だが孤児院全員の枕元にいつでも飲めるように用意したとはいえ、病に侵された者たちが自分で飲めなくなってしまえばそれまででもある。
シェリルはまだ付きっ切りで看病する必要はない程度にしっかりしているとはいえ、それもこのままでは遠からず重篤化してしまうことは疑う余地もない。
安静については、発症した者はまともに動けなくなるので可能な限りそうしているといえる。
では次だ。
お薬があったらねえ、というのもよく耳にした院長の嘆きだった。
だが薬などという高価なシロモノが、この孤児院にあるはずもない。
村長の家や教会であればあったのかもしれないが、そんなものはとっくにもう与えるべき人に与えられて、無くなってしまっているであろうことくらいシロウにもわかる。
そもそもその薬ですら効かなかったからこそ、今ノーグ村はこんなことになっているのだ。
今まだシロウが流行病に侵されず、元気ままでいることがすでに奇跡のようなものだろう。
だがその元気さを活かしてシェリルを救うことが出来ないのであれば、そんな奇跡などシロウにとってはなんの価値もない。
薬はない。
あってもあてにならないとすれば、その次はどうするのか。
可能な限り栄養を取ることだ。
冒険者からの支援を受けているとはいえ、孤児院そのものがお金を生み出す手段などほとんどない以上、贅沢などできるわけもない。
それでも誰かが風邪をひいたときには院長の老婆が「栄養を取るのが一番なのよ」と、いつもは口にできない滋味溢れるごちそうを、少ないながらも用意してくれていた。
みんな自分も食べたいのは当然だったけれど、風邪で苦しそうにしている仲間が一日でもはやく元気になってもらうために、そのごちそうを我慢するのみならず自分たちの食事がいつもより貧しくなることにも空元気で耐えてみせていたものだ。
だが薬以上に滋味あるごちそうなど、今のこの孤児院にあるはずもない。
たとえノーグ村のどこかの家にあるにせよ、今から土下座して頼み込んだところでそんな大事なものをシロウにわけてくれるはずもない。
シロウはそれをあたりまえのことだと思う。
シロウがシェリルを一番大切だと想うように、誰もがみな己にとって一番大切な者がいるのは当然のことなのだから。
それが妻や子供、親という家族であったり、恋人や友人であったり――あるいは自分自身であったりするのはその人の自由だ。
シロウは自分がそうであるように、他者の優先順位を否定することはない。
それでもどこかにあるのであれば、シェリルのためにそれを誰かから奪うことを躊躇うつもりもない。




