第029話 『鬼が嗤う話』⑥
カインがいいヒトであることなど、『野晒案山子』の党員たちにとっては、それこそなにをいまさらという話である。
『野晒案山子』が今のカタチで活動できているのは、すべてカインの力によるといっても過言ではない。
装備を揃えることから迷宮で得るあらゆるものの資金への兌換、その管理はもちろんのこと、自分たちの情報が外部へ漏れないように細心の注意を払ってあらゆる手を尽くしている。
そもそもシロウがみんなの命を救えたお膳立てをしたのがカインであるのは確かだし、少なくともシロウたちにとってカインが「いいヒト」であることを疑う余地はない。
自分たち以外にも「いいヒト」なのかどうかは知らないが、そこは正直重要ではない。
ここでフィアが言う「いいヒト」とは、自分たちにとって利益になるように動いてくれているという意味と、身内に対して甘い――優しいという双方の意味を持っている。
あらためて明確に言葉にされるとどこかこそばゆいが、否定する者がいるはずもなく、みなそれを肯定するのに抵抗などない。
なんだってこんなタイミングで言い出すんだと思いはするが。
特に男同士において言わずもがなのことを口にするというのは、これでなかなかに難易度が高いのである。
『成長』を経た優秀な頭脳を持ってはいても、11、12歳の男の子であることには変わりないシロウとヴァンにしてもそれは同じことである。
なんの衒いもなく元気に肯定しているシェリルと違って、ごにょごにょぼそぼそと歯切れが悪くなることくらいは勘弁してほしいものである。
実はこの手のやり取りを一番苦手としているのがカインであるのだが、そこは何とか表情を変えることなく乗り切って見せる。
伊達にここ数年、海千山千の大商人や裏社会の人間とやり取りをしてきたわけではないのだ。
それらの『取引』はもちろん仮面を被って素顔を隠してのものとはいえ、素顔のポーカーフェイスの硬度も無駄に上がっているカインである。
「昔はそーと―感じ悪かったのに、ね」
そういうどこかいたたまれない男性陣の空気をあえて無視して、フィアが続ける。
だがその言葉の内容とは裏腹に、揶揄するような響きはまるで含まれてはいない。
冗談ぽく茶化しているわけでもなく、その瞳の光も声の響きも真面目なニュアンスしか含まれてはいない。
確かにあの日までのカインはフィアにとって「いいヒト」ではなかった。
それはフィアのみならず、シロウやシェリル、ヴァンにとっても変わらない。
『野晒案山子』が結成された日からずっと目標としていた『開かずの扉』を開くことは叶わなかったが、ここ数年の非日常の日常が一応の着地点を迎えた今日。
フィア本人としては意を決して振った話であるらしい。
それをなんとなく理解したシェリルとヴァンも、おのずと真面目な表情になっている。
「えっと……」
「…………」
シロウとカインが顔を見あわせて、お互い苦笑いを浮かべる。
カインが今のような自分たちにとって「いいヒト」に変わったあの日のことを、もちろん二人ともが明確に記憶している。
忘れるはずがない。
『野晒案山子』、その中核を成す二人が初めて組んだ日でもあるのだから。
「まあまずは、日が暮れる前にうちへ帰ろう。それがなによりも幸なんだったっけ? 我らが副長殿にとっては」
「古いことをよく覚えていますね、我らが党首殿は」
一つ嘆息してシロウが帰還を促し、それにカインがのっかる。
「ま、否定はしないかな」
「う、うん」
「…………」
なにげに初耳の情報を口にしているとはいえ、はぐらかされたとみたフィアもそれ以上自分から踏み込むようなことはしない。
どこか情緒的なカインの幸せの定義を肯定することで、上手くはぐらかされることにしたようである。
切り込み隊長が撤退を決めた以上、シェリルもヴァンもその判断に従う。
党首と副長がまだ話すべきではないと判断しているというのであれば、それに異を唱えるつもりなどはじめから無いのだから。
「うちは賑やかですし。ね、シロウ君」
「あれは騒がしいっていうんだと思うけどなあ……」
シロウとシェリルは孤児院が自分たちの帰るべき場所だ。
今ではシロウとシェリルが最年長とそれに次ぐ年齢だが、三、四歳離れた子供たちがかなりの数まだ一緒に暮らしている。
シロウたち『野晒案山子』がノーグ村から貧困を根絶してのける以前から、この孤児院出身のとある冒険者の援助によって、かなり恵まれた運営を可能としていた。
よって子供たちも、基本的に明るい。
親や家族を失ったことによる悲しみや心の傷こそあれど、貧しさによる仄暗さに晒されてはいないからだ。
「働かざる者食うべからず」よりも、子供は勉学や愉しさを覚えることが優先となったのはここ数年のことではあるとはいえ。
その元気さたるや、常に沈着冷静を売りとするカインですらもたじろぐほどのもの。
シロウやシェリルという家族だけではなく、カイン、フィア、ヴァンというお兄さんお姉さんにもとても懐いているが故なので、強く文句を言うわけにもいかない。
カインもフィアも、自分に純粋な好意を向けてくる相手にはその毒舌も滑らかには動かないものらしい。
年の離れた幼児相手ともなればなおのことだろう。
お兄さんらしく、お姉さんらしくあらねばならないというのはなかなかに大変なのだ。
なんにせよ今日はここまで。
転移魔法陣を起動すればあっという間にノーグ村だ。
だがカインがため息交じりに笑って言う。
「家路につく傍らでよければ話しましょうか。あの日になにがあったのかを」
――いや確かにそれなりに長い話になるけどね?
カインの言葉を聞いた瞬間、その場に正座を始めたフィアと、慌ててそれに倣うシェリルとヴァンはどうなんだと思うシロウである。
自分が何も知ることもできず、ただただ死なないことに全力を挙げるしかなかった日になにがあったのか。
それを知りたくない者など、いるはずもないのだというのはわかるけれども。




