第027話 『鬼が嗤う話』④
実際この数十年でメダリオン大陸は『大迷宮時代』とも呼ぶべき発展と拡大の時代に突入しているといっても過言ではない。
そんな未曽有の好景気の中で国を統べる者たち、そして迷宮をその領内に持つ国家で形成された『迷宮保持国家群』を管理運営する『愚人会議』は現在、深刻な二律背反に頭を悩ませている。
冒険者がこれ以上強力な力をその身に宿すようになれば、その制御は今以上に困難になる。
だが一方でそうなってもらわねば、迷宮、遺跡、魔物領域、その深奥から湧出し続ける強大な魔物に抗する力を、現在のヒトは持ち合わせていないのも事実なのだ。
数千年前に一度魔力がこの世界から消滅したことをきっかけに、現在では魔法と魔力の基礎知識さえ失伝してしまっているため、なぜ強大な魔物たちが今なお迷宮の深部にとどまり、地上に出てこないかを理解できている者すらほとんど存在しない。
だがこのまま世界が魔力を取り戻し続け、地上にも大魔導期の如く膨大な魔力が満ちるようになれば、遠からず強大な魔物たちが地上を跋扈するようになるのは間違いない。
それまでにそれに抗する手段を確立できなければ、ヒトは一時の繁栄を経て、その繁栄の原因によって滅びの道を辿ることになる。
魔物が湧出するようになったその理由、つまりは再び世に満ちつつある魔力。
その魔力を以て魔力を基とする全てを制することにより、数千年前にヒトの世の隆盛を極めた大魔導期。
求められているのはその再現。
魔法の再起動こそが、ヒトの世がこれからも繁栄するためには絶対に必要なのだ。
今はまだその方法の裾さえ掴めぬ『迷宮保持国家群』を支配する者たちが、己の無能に対して付けた名称が『愚人会議』
愚か者が一時の繁栄を謳歌しながら、その果てに必ず訪れる終焉に対して打つ手を見いだせずにいるという自嘲である。
それが今のメダリオン大陸の置かれている、確かな側面の一つではあるのだ。
そういう状況もすべて理解した上で、シロウとカインの判断で、王立学院卒業の肩書は得ておいた方がいいと判断したのだ。
この時代をただ普通に生きていくだけであればノーグ村での教育で充分ともいえるが、支配者階級や迷宮に関わる子供たちがどんな教育を受け、どの程度身に付けているかを知ることは確かに重要である。
幾度もの『成長』を経て、脳の性能が飛躍的に向上している『野晒案山子』の党員であればなおのこと。
平均レベル、一般的な知識、その浸透度――いわば常識を知っておくに如くはない。
卒業までの三年をかけてたった三回の『成長』
冒険者になってから引退するまでの長い時間をかけても、通してその回数が一桁を超える者など皆無なのが現在の常識である。
事実、成長回数が6を超えた者は、まだ浅いとはいえ冒険者の歴史に名を遺すほどの強者となっている。
そんな中、シロウら『野晒案山子』の成長回数は遠の昔に二桁に乗っている。
シロウたちが「最近なかなか成長しない」と言っているのはもっともなのだ。
レベルが上がれば上がるほど、次の成長に必要となる経験は膨大なものになってゆくのだから。
冒険者どころか、現代社会において最も魔法に詳しいであろう聖シーズ教、その精鋭である『神聖騎士団』
それをその目で直接見ても強くない――よりはっきり言えば弱いと見做せるシロウたちはもはや、文字通り人外の域の強さに達しているのだ。
化け物がヒトの世に溶け込んで暮らそうとするのであれば、ヒトの常識を身に着けることは絶対に必要なことだといえるだろう。
まあせっかく金も時間もあるのだから、この時代に最も恵まれていると看做されているルートを辿ればいい、というのもシロウとカインの本音でもあるのだが。
実利的な意味においては人脈の形成もある。
それ以上に多感な時期を学生として過ごすことに、特にカインは高い価値を見出してもいる。
是非両論あるのは承知しているが、カインは学園編に対して否定的ではないのだ。
今の時点ですでに11、12歳の子供の集まりとはとても思えない精神年齢になってしまっているシロウたちには、もはや手遅れとも言えなくもないだろうが。
だが普通のフリを身に付けるという意味においては、まだまだ有意義ではあるだろう。




