第023話 『力と金』③
今日までは日々の周回で入手できるほとんどの魔石を、『開かずの扉』に対する魔力充填に費やしてきたのだ。
各々の魔導武装に魔力充填するのに必要な数や緊急充填用の予備、行きと帰りの『魔法転移陣』に使用する分を十分な安全率を持って確保しても、相当な数が明日から余ってくることは間違いない。
そしてその『魔石』は市場に流せばとんでもない値が付く、文字通り迷宮で魔物から得ることができる宝物、その代表のようなものなのだ。
シロウが今さらりと口にした台詞は、迷宮都市でトップクラスと看做されている冒険者一党の連中にしてみても、一度は言ってみたい台詞ではあるだろう。
『魔石』は魔物からしか得ることができない。
とりもなおさず余るほど魔石を得られるということは、それだけの数の魔物を狩れるということに他ならない。
宝物が余ってしょうがねえな、などという台詞は、圧倒的な強者にしか許されない類のものなのだ。
「とはいえあまり多くの量は捌けませんよ? 今の量でも聖シーズ教にそういう組織があれば、目をつけられている可能性もなくはないですからね」
澄まし顔でカインがシロウに答える。
村長とはいえ、ノーグ家の商会への伝手など当時あってないようなものだった。
その存在を知る者の方が少ないほどの辺境の寒村に過ぎないノーグ村であれば当然のことだ。せいぜいまだ都市に店を構えることのできない、駆け出しの行商人くらいが関の山。
当然『魔石』などという希少鉱物の最たるブツを、出所を秘したうえで流通させるなどという中堅商会でも不可能な離れ業などこなせるはずもない。
よってカインの言う『裏ルート』とは、カインがこの数年で一から構築したものに他ならない。
直接的にブツを扱う商会は、とある事情からカインを絶対に裏切ることが無いとほぼ断言できるが、それだけで裏に潜み続けられるというわけもない。
流す量が一定を越えれば、紛れ込ますという域を超える。
そうすればどうしたって出所を隠しきれなくなるのは当然のことなのだ。
それに『魔石』の流通の終着点、聖シーズ教の『奇跡認定局』が、想定外の魔石の出所を追跡、掌握していないと考えるのはあまりにも楽観が過ぎる。
迷宮都市から流れる魔石の量にわずかでも疑問を持たれれば、そういう組織が精査に乗り出すことも十分にあり得る。
間違いなく『奇跡認定局』はその手の機能も有しているであろうし。
一度でも疑惑を持たれ精査の俎上にのってしまえば、金の流れから乖離点を見つけることはそう難しいことでもない。
手間こそかかるが、一定期間における迷宮からの魔石の産出量と、その迷宮を抱える迷宮都市から聖シーズ教へ流れる量を、冒険者一人一人の単位まで精査すればよい。
高い値が付く商品ほど、その取引の記録はきちんとした形で残りやすい。
産出量>入手量であれば聖シーズ教以外への横流しが、産出量<入手量であれば聖シーズ教が掌握できていない魔石の産出経路があるということになる。
目立てば必ず捜査の手が入る。
今流している量であっても、そうなっていない可能性を完全に否定できないのはカインの言うとおりなのだから。
それに今や『野晒案山子』が運用可能な資産も含めれば、ノーグ村がその気になれば動かせる資金の総額は下手な城塞都市を軽く凌駕する。
これもカインがうまく隠してはいるものの、一点の綻びから疑いを持たれ、その手の専門家に調べられれば隠しきれるものでもない。
金の流れというモノはどうしたってその痕跡が残り、魔法を以てしてもそれを消しきることは不可能なのだ。
その額が一寒村ではあり得ないような額となれば、間違いなく領主にとどまらず所属国家であるエメリア王国の直接介入を招くことになる。
ある程度の対策はすでにできているとはいえ、それはカインとしては、現時点|で《・》は避けたい事態であるのだ。
その潤沢な資金を以て、贅沢三昧を村人全員が享受しているというわけではない。
だがノーグ家による支援の態で、ノーグ村から事実上貧困は根絶されている。
不作、不猟には返済期間をフレキシブルに対応できる資金貸与を。
有効な治療方法と薬品が確立されている病に対しては薬の常備と発生時の無料配布を行い、村に新しくできた商会所属という形で医療の知識と技術を持った人材も常駐している。
近くの河川の氾濫や山の土砂崩れにはその商会経由で手を入れ、自然の猛威にされるがままだった数年前とはまるで違っている。
直近の迷宮都市であるヴァグラムへの街道も整備が進められ、そのためとは気付かれぬように定期的に冒険者ギルドへ街道周辺の野獣討伐の依頼が発行され、可能な限りの安全も確保されている。
野獣たちも本能に従っているだけではなく、種として生き延びる知恵も持ち合わせている。近づけば確実に殺される存在がいる可能性のある場所は、危険と看做して避けるようになるのはいわば当然である。
シロウたち『野晒案山子』の持つ戦力は大国の軍すら凌駕するものだが、それに頼りきることをせず、医者と同じように商会所属という形で自警団も成立している。
貧しさゆえの雑役から解放された子供たちに対する教育にも力を入れており、下手な城塞都市の富裕層の子供たちよりも、基礎学力を得ることが可能な素地も出来上がりつつある。
いまやノーグ村は大げさではなく、メダリオン大陸で一番、誰もが|人間らしく暮らせる集落となっているといっても過言ではない。
努力する者が可能な限り報われ、人事を尽くしてもどうしようもない不運に対しては、それを蹴飛ばせる力を以て対処する。
この時代に本来はあり得るはずのない奇跡を辺境の小村に現出させているのは、言うまでもなく『野晒案山子』が生み出すお金である。
この世はお金さえあれば、大概のことはどうとでもなるのだ。
とはいえ、煎じ詰めればお金とはあらゆる『力』をわかりやすく兌換するためのモノ。
ありとあらゆる形で存在する無数の『力』を、社会というヒトの集まりに対して有効活用するべく生み出された、潤滑油のような道具に過ぎない。
にも拘らず社会が成熟すればそれ自体が力と化し、他のあらゆる力を統べるかのように振舞いだすモノでもある。
だが本当に強大な力を持つ存在は、お金に支配されたりはしない。
その力が腕力や知力、美貌やカリスマ、どのような形をとっていてもそれは変わらない。
そういう意味では今の世界に於いて最強と言っていい力――『魔法』をそのほんの一部とはいえ使いこなすシロウたちだからこそ、今のノーグ村を成立させることが可能なのだ。
ノーグ村が今のカタチになっているのは結局のところ、そうあることをシロウとカインが望んだからに他ならないのだから。
得た力をどう使うか、自分たちの思い描く理想をどういう形で現実にするか。
シロウとカインはそれが正しいからではなく、自分たちにとって楽しい、おもしろいから進めたに過ぎない。
立派な思想や理想によって成された奇跡の具現ではない。
力による理想の現実化。
それが今のノーグ村なのである。




