走れルシアナ
いくら先生相手とはいえ、ここまま投げ飛ばされるとはルシアナは思ってもいなかった。
ルシアナは毎日身体を鍛えている。
将来は冒険者になるつもりでいるから、身体作りは基本だ。
なのに、全く歯が立たなかった。
「シアと言ったか。最後の魔法はよかった。相手に痛みを与える魔法か……並みの相手なら手を離しただろう」
「……ありがとうございます」
「なんだ、不服そうだな」
「実戦なら死んでました」
「そうだな。殺せていた」
チリアットはにべもなく言う。
「本来、こういうのは貴族のお嬢様相手には必要のないことだ。何しろお嬢様が襲われるときは大体が拉致目的。むしろ私なら抵抗をせずにそのまま攫われろと言う。下手に抵抗するより無事に帰還できる可能性が高まるからだ。だが、シアが狙われるとしたら――そうだな。その腕輪を奪うため……ならその場で殺しても不思議ではない」
そう言われ、私は思わず右腕をやや後ろに持っていく。
髪の色を変えるための魔道具だ。
子どもの頃は首からかけていたが、最近になってようやく腕輪として使えるようになった。
「修道女が付けるにしてはやや派手だ。着飾るにしては腕輪だけというのも気になる。見るものが見れば魔道具ではないかと疑う」
チリアットはそう言ってルシアナの反応を見る。
ルシアナは必死にポーカーフェイスを演じるが、表情筋が強張っているのが自分でもわかる。
この腕輪の情報は上級貴族や王族しか知らない。
逆に言えば、それだけ知られてはいけない魔道具でもある。
「警戒するな。没収したりしない。ただ、狙われないように隠す工夫はしておけ」
「……ご忠告感謝します」
確かに、学院内にはシャルド殿下もいる。
彼ならこの腕輪の存在を知っていても不思議ではない。そして、腕輪の出どころを探られたら、シアの正体がルシアナだと直ぐに気付かれるだろう。
(別に気付かれても口止めすればいいだけの話ですが――念には念をと言いますし)
ルシアナが魔道具の腕輪の隠し方を考えていると、チリアットが言う。
「よし、話は終わりだ。シアは訓練場三十周! 戦うにしても逃げるにしても体力は必要だ。全速力で走れ! 死ぬまで走れ! そこ、見ていないと思うな! 歩くな! 背後から敵軍が追ってきていると思え!」
チリアットがそう命令を出した。
ルシアナは慌てて走る。
普段から体力づくりしているルシアナだが、全力で長時間走る訓練はしていない。
(そうだ、魔法で)
体力の回復を――と思ったが、
「シア、魔法を使うな! 魔力の流れでわかるぞ! 」
すかさず注意された。
楽はさせてもらえないようだ。
しかも、走り終わったらもう1周と追加で走らされたときは流石に死ぬかと思った。
結局、走った後は体力も尽きて、護身術を学ぶ体力は残っていなかった。
チリアットは、生きるか死ぬかの瀬戸際で一番必要なのは体力ではなく限界を超えたときに必要な根性だと言ったがそれを理解したのは先のことだ。
(それにしても、さっき先生はファル様と何を話していたのでしょう?)
体力が尽きて倒れたルシアナはふとそんなことを考えたが、直ぐに忘れてしまった。
「し、死ぬ」
「誰か助けて」
「こんなの護身術じゃない」
「もう動けない」
私だけではなく、この講義に参加した皆さん動けないようです。
当然です。
動ける生徒は全員追加で走るように言われたのですから。
「さて、講義は終わりだ」
「……チリアット先生、回復魔法を使っていいですか?」
「いや、お前らを聖属性魔法の講義の実習に使わせる。皆、そこでそのまま待機してろ」
チリアットはそう言って背を向けて去っていく。
そういうことであるならと、ルシアナは上半身だけなんとか起き上がらせ、壁を背に座って待つことにした。
(疲れはしましたが、ファインロード修道院でのしごきに比べればまだマシですね)
ハンカチで汗を拭い、ルシアナは空を見上げた。
ゆっくりと流れる雲を眺め、風を感じ、そして息をする。
先ほどの話のせいだろうか?
それとも限界まで疲れているせいだろうか?
生きているとルシアナはそう感じた。
一度死んだはずの自分が現在、こうして生きている奇跡。
原因はまだわからないが、そのことに感謝を捧げないといけないと再認識させられた。
暫くして、何人かの生徒たちが講師とともにやってきた。
倒れている生徒から順番に治療が始まる。
ほとんどの生徒は講師の使う魔法を見学しているだけだったが、中には単独で治療をするものもいた。
きっと優秀な生徒なのだろう。
それでも、部屋の隅にいるルシアナの順番は後になりそうだ。
少しうつむき、順番を待つ。
「治療を行ってもよろしいですか?」
少女の声が聞こえた。
「はい、よろしくお願いしま――」
ルシアナは顔を上げて、そして声が詰まった。
そこにいたのはルシアナの知っている人物だった。
(ミレーユ……様?)
ここにいるはずのない聖女ミレーユ様がいた。




