#56 狙撃
遅くなって申し訳ありません許してヒヤシンス
ヴェルの朝は早い。
日の出と共に起き、畑の井戸に水を汲みに行く。水道は通っているので、これは生活用水だ。
寝癖をとかし、顔を洗えば幾分かサッパリする。ディーナはまだ寝ているのか、特に反応しない。
太陽が完全に上ると、一度二階に戻ってシェスタを起こす。客席を整えさせると、ヴェルは厨房に入って軽い朝食を食べた後、簡単な仕込みを開始する。食材の在庫を確認したり、調味料類が切れてないかなど、だ。
それらが終わる頃、スグルが二階にやってくる。階段から下りてくる足音と、誰かと話す声が聞こえていた。多分、ノヴァと話しているのだろう。やがて、会話がはっきりと聞こえるまで下りてくる。
「……で、だ。今度ノヴァの能力の限界に挑戦しようかと思ってるんだよ」
『それは別に構わないけどな…』
「…おはよう、スグル」
「ん?あぁ、おはよう、ヴェル。いつも早いな」
「まぁね」
「シェスタは?」
「今客席の準備してる」
「そうか」
「それから、もうすぐ燻兎が無くなりそうだったよ」
「えっマジで?どうしよ……」
『なら今日は店を閉めて狩りに行けばいいんじゃないのか?』
「あ、そうか」
……なんだろう…今日のスグルは違和感がするというか…変。
「……ねぇ、スグル。何かあったの?」
「ん?何も無いよ?」
「…そう?なら良いんだけど」
嘘だ、いつものキレが無い。いえ、違う……心ここにあらず…と言う感じだ。
「……じゃあ、今日は休みにして狩りに行こうか」
「うん、そうする。ところでだけど、ショウとマミナは?」
「…………ショウは…今日は来ない。マミナは今ジュンさんの所だ」
「…そう、わかった。準備するからちょっと待ってて」
今のは禁句だったのかな。スグルの顔が少し歪んだ。一瞬で元に戻ったけどね。
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街の外、ここしばらく街の中に引きこもっていたからか、少し背伸びをしてみたい気分ではある。
「……さて、と。燻兎はどこだ?ノヴァ」
『えぇと……南南西に三匹、北北東に一匹……だな。この辺はまだ生息地域の端っこみたいだ』
「……よし、じゃあ南南西の三匹を狙おう。着くまでに生息地域の中心を探しといてくれ」
『…えぇ……メンドクセ』
「つべこべ言うなっての。昼飯をひよこ豆にすんぞ」
『やらせていただきます』
ノヴァには感知範囲を広げてもらい、俺はとりあえず燻兎を狩りに向かった。
南南西が終わると、ノヴァに連れられて数の多い方へと進んでいった。途中、ウルファングと遭遇したりもするが、ヴェルを見ると一目散に逃げていくから楽ではあった。
「…なんでウチを見ると逃げるんだろ」
「そりゃあ、死ぬとわかってて挑む奴はいないだろ?」
「スグルは、負ける相手でも挑むよね?」
「………俺は馬鹿だからな。その辺はよくわからないんだよ」
しばらく狩りを続け、ようやく俺たちは燻兎の生息地域を探し当てる。
街からは徒歩で約半日かけてたどり着く場所で、言うなれば草原と荒野の中間くらいの土地だった。
「……おい、本当にここか?」
「なんか不気味なんだけど、ノヴァ大丈夫?」
『……この辺のはず…というかまさにここなんだけど』
「……って言ってもなぁ…」
見渡す限りは枯草枯木に大岩小岩だ。兎の影どころか生き物の気配すらしない。
「…今更スキル使っても意味ないしなぁ……そもそも効果薄そうだし」
俺の【危機回避】は自分より強者にしか反映されない。それ故、明らかに自分より弱い燻兎が引っかかるはずが無いのだ。
『……まぁ、別にいいんじゃないか?ここに来るまでにかなり狩れたし、今日はこの辺で終わりにしても、な?』
「……まぁ、乱獲は良くないよな」
ノヴァの誤魔化そうとするのが手に取るようにわかるが、まぁそのへんは騙されといてやろう。
「さて、と。ここに来るまでに半日かかったワケだが、どうやって帰る?」
『そりゃあ、飛ぶか転移だろ』
「まぁそうだよな」
「じゃあ、早く帰ろ?ウチもうお腹空いて死にそう」
「そんじゃまぁ転移結晶使って帰って、それから昼食にするか」
そう言って、アイテムBOXから転移結晶を取り出そうとした、その刹那。
『あぶないっ!』
突如として、ノヴァから顔面にタックルを食らったのだ。それに合わせて地面へとダイブ。
その後、間髪入れずに高速の何かが地面をえぐった。
「んなっ!?」
えぐられた地面を見ると、何やら粒子が登っていくのが見える。残った後から推測するに、銃痕だろう。
つまりは狙撃されたのだ。
『あぶねぇ……後ちょっと遅かったら街に強制送還だったぞ』
その言葉が意味するのはつまり、弾丸は俺の頭を狙って放たれたという事。すかさず、飛んできた方向を向いた。
「…………遠いな。あの距離を撃ったのか?」
周囲にポツリポツリと点在する大岩のうち、特に高い位置からの狙撃。殆どカンスト状態の【鷹の目】を使っても見えるか見えないかの位置だ。
スグルがつぶやく頃にはもう移動を開始しており、見えたのは鈍い砲身の光沢だったという事を付け加えておく。
「だ、大丈夫なの、スグル!?」
「あぁ、大丈夫だ。それより早く帰ろう……嫌な予感がする」
『……そ、そうだな』
俺とヴェルは空を飛び、歩いて半日かかった道を小一時間で戻る。
……結晶を使えば良かったと、後悔しながら。
気が動転してたんだよ、察しろ。
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カフェに戻ると、とっくにお昼を過ぎていたので、簡単な食事を作ってすませる。
それが終わったら、狩ってきた燻兎を下処理して食料庫へ。
「早かったわね」
「まぁ、ちょっとな。午後は店を開けられそうだから、準備だけはしておいてくれ」
「わかった。そうそう、さっき愚民の友達とか言う、マミナって女が来たわよ。面倒だから追い返したけど」
「……マジか…絶対怒ってるよな」
急いでメニューのフレンドリストからマミナを選択し、チャットを送った。
「悪い、マミナ。ちょっと街の外に出てた」
しばらくして、返信が返ってくる。
「あそ。で?あの生意気なのはどちら様で?」
「あれは俺の作ったNPCだ」
「ふーん」
どうやら、マミナはかなりご立腹の様子で。ピリピリとしたイラつきが伝わってくる。
「まぁいいや。それで、少し調べが付いたからその報告」
マミナは今、DBのデータベースに直接入り、ショウの昨日の行動を調べている。
ショウが消えたのは、昨日の夕方のログアウト直後。置手紙があったから、連れ去られたって事は無いだろう。つまり、何かしらの理由があって自分から行動した事になる。
その理由を探るべく、マミナはショウの痕跡を探していたのだ。
「まず前提として、『ショウが目覚めてから誰かに会った』っていう可能性は捨てたわ」
「どうして?」
「あたしがログアウトして目覚めたのは、ショウがログアウトしたほんの数十秒後。いつもカーテン開けっ放しの窓からショウの部屋は見えるけど、ショウ以外の人影は無かったわ」
「なるほど」
「となると、誰かと接触したのはゲームの中。それも、かなり意識の浅い…現実とゲームの境で」
そんな事が出来るのかと、書きかけたが消した。今は報告を聞くのが先だ。
「それで、ログを昨日までさかのぼって見てみたんだけど」
「うん」
「予想通り、ショウのアカウントにだけ、何者かが接触してるわ」
「それはつまり、バーチャルの回線を途中で横取りしたって事なのか?」
「まぁ簡単に言えばそうね、その解釈でいいわ」
そんな芸当が出来る人は、俺は一人しか知らない。それも、ショウ一人に用があるとするなら、尚更だ。
「まぁ、犯人はショウの親父さん……翼おじさんだろうな」
「十中八九そうね」
おそらく、マミナはチャットの向こうで深いため息でも吐いているのだろう。
数十秒だけ間を空けてから、マミナからチャットが届く。
「ともあれ、翼おじさんがショウを連れ出したなら、何も心配はいらないわ。一週間もすれば帰ってくるでしょうし」
「それもそうだな、調べてくれてありがと。今度何か作るよ」
「別にいいわよ。あたしも知りたかったし、今回は利害の一致って事で」
「そうか?マミナがそう言うなら、それでいいが」
「じゃあね、スグル。この後ジュンさんに呼ばれてるの」
「おう、わかった。じゃあな」
それっきり、マミナとのチャットは途絶えてしまった。
そう書くと、なんだか俺が名残惜しそうな感じがするが、そう言う事では断じてない。
「あ、スグル終わった?」
「あぁ、終わったぞ。ショウの奴、人がどれだけ心配したと思ってんだ」
『戻って来たら、ロシアンシューでもやらせたらどうだ』
「はは、そりゃいい」
張り詰めた空気が和んだところで、午後の開店準備を開始を始めた。
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一通り準備を終え、ある程度区切りが着いた所で、何気なく気になった事をつぶやく。
「……そういえば、ディーナは」
ーースグルくーーん!おかえりー!
「……スグルが呼ぶから」
『またやかましいのが来た…』
畑につながる裏口から、身体が液体の水精霊……通称〈ディーナ〉が姿を現した。ただし、井戸が遠いのか元の大きさより頭二つ分くらい小さい。
ーーごめんね、スグル君。こんなに小さくて…でも安心して?アソコの締め付けはその分増してるし、胸もほら、スグル君の手の中に全部収まるんだよ……?
「ごめん何言ってるかわかんない。とりあえず……ちぇすとぉ!」
ーーイッ……たくない!もうっ!いきなり頭に手刀はやめてよねっ!驚いて身体がビクンビクンするでしょ?……まさかそういうプレイ?
「そんなわけあるか。それに、身体がビクンビクンじゃなくてプルンプルンだろ」
ーーえっ?胸がぷるんぷるんの方がいいって?
「誰も言ってねぇよ!」
ぎゃあぎゃあと、夫婦漫才のような流れをしばらく続け、その展開はスグルの深いため息で終わりを迎える。
「……で、だ。ディーナ」
ーーなぁに?スグル君。
「一つディーナに、仕事を任せたい」
ーーうん、わかった。
「……やけに聞き分けがいいな。仕事内容も言ってないのに」
ーースグル君の頼みだもん。断るわけないでしょ?あわよくば借りを作って貞操を捧げて私とスグル君のぐへへへ。
「……ディーナには、裏の畑を任せようかと思う。土壌管理はお手の物だろ?」
ーーまぁね。
「……ロクでもなさそうだが、一応聞いておく。仕事の報酬は何がいい?」
ーー何がって言われたら、迷わずナニが欲しいって言うけど……
しばらく沈黙が続き、やがて答えが出たようだ。
ーーじゃあ、毎朝私と禊をして欲しい。
「…ミソギって言うと……あれか、体を清める」
ーーそう。それで、私の加護を、スグル君に……
「…まぁ、それならいいか。わかった、それじゃあ今から畑の事はよろしくな」
そう言って、小さくなったディーナの頭を撫でつつ……液体を撫でるというのも変だが……ひとまずは満足気なディーナ。
何も起こらない事に安堵するヴェルとノヴァは、やれやれと落ち着く中。
「……なっ」
「ん?どうした、シェスタ」
ーースグル君。この女の子は何かな……?
「……ちょっと、愚民…その、精霊様は……」
ーーちょっとぉ?スグル君を愚民呼ばわりとはいい度胸ね、子ねずみちゃん?
「あ…いえ、そ、そのような事は……」
どうしたのだろうか。いつもは強気なシェスタが、急にオドオドし始めた。
「ぐみ……いえ、店長さん……その精霊様はどうしてここにいらっしゃるのでしょうか…?」
「うん?ディーナの事か?……裏の井戸に住んでもらってるんだけど」
「……精霊様に、真名を…?裏の井戸って……毎朝使うあの水……まさか」
ーーどうした、人間。私の顔に何か付いてるか?
俺たち二人と一匹を無視して、精霊と従業員は言葉の攻防を繰り広げる。
正確には、ディーナが攻撃してシェスタが防御する側だったが。
そのうち、シェスタは黙り込んでしまい、ディーナはお怒りのようで罵詈雑言を述べると、身体を軽く沸騰させながら井戸まで戻って行ってしまった。
「「『……何だったの、今の…』」」
わけのわからない会話が終わるとシェスタはその後、スグルの事を愚民と呼ぶ事は無くなった。
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午後の仕込みをある程度済ませ、店の看板をOPENに返してからしばらく後の事。ドアの開く音とシェスタの声が来店客を知らせる。
「……珍しいな、新規か」
今まで来たお客といえば、ショウとマミナを主に、時々ゲシュタルトとブラウンさんだ。一度だけ、DBの人たちが来たが…あれは例外みたいなものだろう。
そういう訳で、新規のお客様はこの人が初めてだったのだ。
「店長、オーダー入りました。スタミナパスタとコーンスープです」
「はいよ」
スタミナパスタ、というのは燻兎のミンチとトマトを使ったソースのパスタで……早い話がミートソースだ。コーンスープは言わずもがな。
「……出来た。持っていけるか?」
『俺が行ってくる』
「あ、ありがと」
スタミナパスタとコーンスープを浮かせ、落とさないように席まで運ぶ。
厨房では使ったフライパンやら寸胴鍋を洗っていると、客席の方から皿の割れる音が聞こえた。
「おいおい、早速トラブルかよ……シェスタ、何があった」
「あ、店長。お客様がノヴァを見た瞬間から何故か怒ってるみたいで……」
起こったことを全て見ていたシェスタは、そう説明する。
それほど広くない店だ、意識するだけで誰が何を言っているかは聞き取れる。
「大人しく潰れろ!ドラゴン!」
『おいおい、待てよ。皿が落ちたらどうする』
「黙れ!」
客は腰に差したナイフを抜くと、ノヴァに斬りかかる。その攻撃を、ノヴァは紙一重で避ける。
……なんとなく状況が分かったぞ。これはよくある光景だな。
『おいスグル!こいつ止めてくれ!』
「お前たち何をしている!逃げるか戦うかしろ!」
面白いから放っておくのもいいが、あまり暴れられても困るからな。止めてやるか。
「ノヴァ、運ぶのはもういいから、こっちに来てくれ」
『…わかったよ』
未だナイフを振り回す客は、逃げるノヴァを追いはしないが、完全に敵意を持たれてしまった。
「……お客様、すこし落ち着いたらどうですか?」
「…お前……なぜあのドラゴンをかばう」
「なんでって……まぁノヴァは俺のだし。細切れにされるのを黙って見てられないからな」
「っ……お前も〈竜遣い〉か!」
……お前、も?
「…ならば、貴様に恨みは無いが……死んでもらう!」
いやいや、ゲームで死なないだろ。という野暮は言わない。
構えられたナイフを振り、的確に俺の喉を狙ってくる。軌道が読めれば止めるのは簡単なわけで。
「っぁぐ…」
腕を掴み内側へと大きくひねれば、ねじ伏せるなど容易い。
「くっ……殺せ!」
「ンな事しねえよ。寝覚めが悪いわ」
「………っ」
……何やらドラゴニクスに恨みがあるようだが、力の差を理解したのかそれ以上は暴れようとしなかった。
「ノヴァ……いや、ヴェル。上から何か縛る物を持ってきてくれ。シェスタは、椅子を」
「うん」
「わかりました」
とにかく、話し合う為にもこの体制は解いたほうがいい。そういうわけで、このお客を椅子に縛る事にした。
ご愛読ありがとうございます。




