三日後の訪問者
玄関のチャイムが鳴ったのは、夜の十一時を過ぎたころだった。
非常識な時間だとは思ったが、仕事で荷物が届くこともたまにあるため、真理子は警戒しつつもインターホンを手に取った。
「はい?」
だが、返事はない。
インターホンのモニターには、暗い玄関灯に照らされた誰もいない玄関前が映っている。
(……イタズラ?)
ため息をつき、モニターを切ろうとしたとき、
コン、コン。
今度はドア自体が叩かれた。
「どちら様ですか?」
沈黙。
もう一度モニターを見る。
やはり、誰も映っていなかった。
それでも“そこにいる”気配が、手に取るように伝わってくる。
真理子は息をひそめ、チェーンを確認し、ドアから離れた。
……やがて、叩く音は止んだ。
その夜は、ほとんど眠れなかった。
翌朝。
出勤のため玄関を開けると、足元に茶封筒が置かれていた。
宛名はない。
不審に思いながらも拾い上げると、中には一枚の紙切れが入っていた。
乱雑な手書きの文字。
「三日後に行きます」
(……なにこれ)
胸がざわざわと落ち着かなくなる。
悪質な嫌がらせかもしれない。
だが、この手のイタズラにしては妙に執念めいていた。
会社で同僚に相談しようかと思ったが、変に勘ぐられるのも嫌で黙っていた。
ただ、その日から家に帰るのが、少し怖くなった。
一日目。
特に何も起こらなかった。
ただ、夜になると、玄関のほうから誰かの視線を感じる。
ドアスコープを覗く勇気はなかった。
二日目。
帰宅すると、ポストがわずかに開いていた。
(閉め忘れた……?)
いや、一度だってそんなことはない。
中にはまた茶封筒が入っていた。
開くと、同じ筆跡で一文。
「あと一日」
膝が震えた。
(誰……? なんで……?)
警察に行くべきかもしれない。
でも、被害が出ているわけではないと
どこまで取り合ってくれるかわからない。
その夜、リビングの明かりをつけたまま眠った。
暗闇があるのが、嫌だった。
三日目。
仕事に集中できなかった。
終業後、会社から出るとき、誰かが後ろを歩いている気がして何度も振り返ったが、
誰もいなかった。
マンションの前に着くと、玄関灯が壊れたようにチカチカと瞬いていた。
(いや……今夜で終わるんだ)
三日前のチャイムの音が蘇る。
胸が苦しいほどに鼓動し、手のひらが汗で湿る。
玄関の前に立ち、深呼吸して鍵を入れた。
そのときだった。
中から、ふっと物音がした。
(……誰か、いる?)
恐怖が喉を締めつける。
だが逃げるわけにはいかない。
ここは自分の家だ。
意を決してドアを開けた。
玄関には誰もいなかった。
しかし、靴箱の上に置いた覚えのない茶封筒があった。
震える手で開いた。
中の紙には、たった一行。
「いま、うしろにいる」
息が止まった。
すぐには振り返れなかった。
背中に、誰かの気配がべったりと貼りついている気がする。
粘つくような空気。
呼吸音のようなもの。
(振り返るな……振り返ったら……)
しかし、ゆっくりと背後から“熱”が近づいてきた。
真理子は耐えられず、勢いよく振り返った。
「ーーっ!」
そこには誰もいなかった。
けれど、確かに何かがいた“形跡”がある。
玄関の床に、濡れた足跡が点々と続いていた。
裸足ではない。
靴でもない。
指が異様に長い足跡。
それが、真理子の足元に向かって伸びている。
息が上手く吸えない。
そのとき、
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
さっきまで無人だった玄関前のモニターに、今度は確かに“人影”が映っている。
顔は暗がりに隠れ、細く長い腕だけが不自然な角度でドアを叩いている。
コン、ココン、コン。
リズムが一定ではない。
まるで焦れているような叩き方。
次の瞬間、インターホンからノイズ交じりの声が聞こえた。
『ひ……らい……て……』
「嫌……やだ……!」
真理子は玄関から後ずさり、リビングへ逃げ込んだ。
ドアスコープ越しに誰かが覗いている気配がする。
やがて叩く音が止まった。
静寂。
だが、終わってはいない。
壁の向こうから、床の下から、空気の隙間からーー
ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン
まるで家全体が鳴らされているように、どこからともなくチャイムの音が響き続けた。
それは深夜まで止まなかった。
翌朝。
真理子は警察を呼んだ。
だが、異常な足跡は跡形もなく消えており、玄関の前にいたという人物もモニターには記録されていなかった。
茶封筒だけは残っていたが、指紋は検出されなかった。
けれど、真理子は確信している。
“あれ”はまだ終わっていない。
その証拠に、家のどこにいても、ふとした瞬間に聞こえるのだ。
ピンポーン……
チャイムのようで、呼吸のようで、声のような音が。
そしてある夜、真理子のスマートフォンに
差出人不明のメッセージが届いた。
「つぎは三日後です」




