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深夜のエレベーター

 夜のオフィスビルのフロアは、ほとんど灯りが落ちていた。

 広告代理店に勤める黒崎圭介はプレゼン資料の修正を終え、深く長い息を吐いた。

(また終電ぎりぎりだ……)

 時計は二十三時五十八分を指していた。

 パソコンを閉じ、コートを羽織り、無人のフロアを歩く。

 清掃用具の匂いと、蛍光灯の唸る音だけが響いている。

 廊下の突き当たりにはエレベーターが一基。

 ボタンを押すと、「チーン」という軽い音が返った。

 扉が開く。

 中は誰もいない。

(早く帰りたい……)

 そう思いながら乗り込んだ瞬間、エレベーター内の液晶表示が、ぴくりと揺れて数字を変えた。


『13』


 黒崎は眉をひそめた。

(このビルには、十三階はないはずだ)

 縁起が悪いと、建設時に省かれた階数。

 十二階の次は十四階になっていたはずだ。

 にもかかわらず、表示は確かに『13』を指していた。

 扉が閉まる。

 冷たい沈黙が満ちる。

 機械の振動が、体の奥まで響くようだった。

 ふいに、非常ベルの隣に貼られた古い紙が目に入った。


『深夜零時に13階で扉が開いても、決して外へ出るな』


 印刷ではなく、手書き。

 紙は黄ばみ、文字は滲んでいた。

 黒崎は喉が鳴るのを感じた。

(誰かの悪ふざけだ……)

 その瞬間。

 エレベーターが止まった。

 液晶表示が明滅する。


『13』


 ゆっくりと扉が開く。

 目の前には、暗く長い、見たことのない廊下が広がっていた。

 照明はほとんど割れている。

 床は黒ずみ、奥の方で誰かが立っているように見えた。

 人影。

 細く、背の高いシルエット。

 動かない。

 しかし、確かにこちらを向いている。

 黒崎は息を止めた。

 足が勝手に前へ出そうになり、慌てて手すりをつかんだ。

(出るな……)

 扉が閉まることを祈る。

 だが、数秒経っても閉じない。


 そのとき、廊下の奥の人影が、首だけをぐにゃりと傾けた。

 関節のありえない方向に。

「……み、てる」

 耳元で誰かが囁いた。

 しかし、エレベーター内には黒崎しかいない。

 背筋全体が凍りついた。

「みてるよ」

 声は確かに、

 廊下の奥の影から聞こえていた。

 だが、影の口は動いていない。

「でてきて」

 黒崎は叫びたかったが、声が出なかった。

 影は、一歩、こちらへ近づいた。

 照明が揺れ、薄暗い顔が浮かぶ。

 顔面の中央には、深く黒い穴が開いていた。

 鼻も口も眼もなく、ただ空洞だけがある。

 空洞の奥で、赤い光がちらついた。

「みないで」

 黒崎はすがるように閉ボタンを連打した。

 指先が震え、汗が滲む。

 扉が閉まる寸前、腕のような何かが、エレベーターに滑り込んだ。

 骨ばった手。

 冷たい、濡れた皮膚。

 黒崎は反射的に腕を蹴り上げた。

 手は扉の外へ弾かれ、再び扉が閉まった。


 エレベーターは激しく揺れ、警告音が鳴り響いた。

 数字表示は乱れ、

 『↑』『↓』『×』『13』『13』『13』

 と狂ったように点滅した。



 気づけば、黒崎は一階ロビーに倒れ込んでいた。

 警備員たちが駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか!?」

「息が……できなくて……今……十三階に……」

 黒崎の言葉に、警備員は顔を曇らせた。

「十三階……? 何を言っているんですか。ここに十三階はありません」

(いや、確かに……)

「もしかして、聞いたことありますか?」

「このビルの噂を」

 黒崎は顔を上げた。

「数年前、深夜に一人で残業していた社員が、エレベーターで行方不明になったんです」

「その時の非常ボタンの録音が……」

 警備員は震える声で続けた。


『やめろ……そこは……十三階じゃない……誰だ、お前……顔がない!』


 黒崎の全身が粟立った。

「以来、噂が広がったんです。深夜に十三階へ行く扉が開くって。呼ばれた人は、戻れないって」

 黒崎はふらつきながら立ち上がった。

「噂は、信じられるほど強くなる。だから……今夜あなたは“見られて”しまった」

「見られた……?」

「ええ。これからは、鏡には気をつけた方がいい」

 黒崎の手が震えた。

 そのとき、ロビーにある鏡が視界に入った。

 そこには自分が映っていた。

 コートの肩に、埃がつき、顔は青ざめている。


 そして、自分の左肩の後ろに、黒い空洞の顔がのぞいていた。


「みつけた」


 その声は黒崎の耳元で笑った。

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