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 最初に異変に気づいたのは、歯ブラシだった。

 その朝も、いつもと同じように目覚めて、慣れた動作で洗面台の前に立った。

 眠気まなこを擦りながら、歯ブラシに手を伸ばそうとした瞬間、目に入ったのはいつもとはわずかに違う角度で置かれた歯ブラシだった。

 ほんの少し、斜めに傾いている。その些細なズレが、なぜか妙に気になった。

 僕は几帳面な性格で、歯ブラシはいつも決まった場所に、決まった向きで置くことを自分の中のルールにしていたからだ。

 「気のせいだよな……」

 そう自分に言い聞かせて、そのまま急いで家を出た。

 忙しい朝、そんな小さなことに執着している暇はなかった。

 しかし、その日の仕事中も、心のどこかがざわついていた。いつもは気にならない雑音が妙に耳について、電話の向こうの声もどこか遠く感じた。

 次の日の朝、さらに違和感が積み重なった。

 冷蔵庫を開けると、昨晩確認した時よりも牛乳の量が明らかに減っているのだ。

 だが、僕にはその夜に牛乳を飲んだ記憶がまったくなかった。

 いったい誰が飲んだのか?

 それだけではない。流し台には、見覚えのないコップが一つ、ぽつんと置かれていた。

 僕は確かに、そのコップを使った覚えはなかった。

「まさか、誰かが家に入ったのか……?」

 恐怖心がじわじわと広がっていく。

 玄関の鍵はきちんとかかっているし、窓もすべて施錠されていた。

 侵入の痕跡など、どこにも見当たらない。

 だが、何かが確かにここにいる。誰か、僕の生活の中に。

 その後も、生活の中に小さな違和感は積み重なっていった。

 テレビのリモコンを触っていないのに、いつの間にかチャンネルが変わっていたり、ベッドのシーツに見慣れない折り目がついていたり。

 どこか部屋の空気が変わったように感じられた。

 まるで誰かの体温がほんのりと部屋に残っているかのような、湿り気を帯びた冷たさが漂っていた。

 僕は眠れない夜を過ごすことが増えた。

 ふと目が覚めると、部屋の隅に何かが立っているような気がして、鼓動が速くなった。

 何度も自分の目をこすり、確かめたが、そこには何もいなかった。

 しかし確かに、僕は「見られている」気配を感じていた。


 ある晩、決心した。真実を知るために、部屋のあちこちに録画用のカメラを設置した。

 寝室、キッチン、リビング。隅々まで監視カメラを仕掛けた。

 気のせいならそれでいい。僕は安心したかった。

 翌朝、僕は震える手で映像を再生した。

 深夜二時ごろ、寝室のドアがゆっくりと音もなく開いた。

 暗闇の中、何かが部屋に滑り込んでくる。

 映ったのは、僕だった。

 いや、僕にそっくりな「何か」だった。

 髪の長さも、服装も、よくする癖もすべて一致している。

 ただ一つ僕と違うのは、その「僕」の目がぱっちりと開いていたことだ。

 その「僕」は、ベッドに眠る本物の僕の隣に立ち、じっと見下ろしている。

 まるで自分自身をじっくり観察しているかのように。

 やがて、目を閉じたままの僕の頭に、そっと手を伸ばした。

 その瞬間、映像は激しいノイズに包まれ、画面が乱れた。


 その夜から、僕の記憶は次第に断片的になり、途切れることが増えていった。

 通勤中、ふと気づけば見知らぬ駅のホームに立っていたり、スマホの中に覚えのない写真が何枚も保存されていた。

 まるで自分の「中身」が抜け落ちてしまったかのような感覚。

 知らぬ間に入れ替わってしまったのかもしれない。

 ふと鏡を覗くと、そこに映る自分の目が笑っている気がした。

 いや、それは鏡の向こうの「何か」が僕を見つめているのだ。

 録画カメラの映像には、もう僕自身は映らなくなった。

 代わりに映るのは、僕の姿をした「何か」だけ。

 それは僕の生活をなぞるように動き、少しずつ僕という存在を「入れ替えて」いる。


 明日、僕は果たしてまだ僕でいられるのだろうか。


 もしも、この日常が明日も続くのなら、それはもう僕ではない「何か」がの生活なのかもしれない。

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