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普通とは

 これまで説明している通り、私は強迫性障害を持っています。

 私にとってはこの症状があって、それで生活していることが普通です。そして、私以外の人間が、手をしょっちゅう洗わずにいられるのがまるで異常のように見えます。

 しかし逆から見てみれば、周辺にいる人間のほうが普通で、私の方が異常なのかもしれません。

 ここで疑問が生じてきます。

 普通って何なんでしょうか?

 もしかすると、周囲の人間も、何かしらの異常性を持っている可能性は否定出来ません。そして、それを測ることは出来ません。

 すべては相対的であり、その平均が普通になるからです。

 去年までなら、私は異常者という立場になってました。しかし、昨今の社会情勢から、私は異常者から気にする程度の人になったことでしょう。それでも、異常な行動をしていることには変わりないですが。

 こうして私が異常である、普通ではないと感じているのは、周りに基準となる普通の人がいることに他なりません。それは家族だったり、よく行くコンビニの店員や客、はたまた様々な場所を行きかう人々であったりします。

 私は、彼らのような人から基準や標準を学び、それを自覚して生きています。

 しかし、それが普通なんでしょうか?

 前回記述した通り、時期にもよりますが中世ヨーロッパの衛生環境は最悪と言っても過言ではありません。この頃に比べれば、現代の衛生環境はまだマシと言ってもいいでしょう。しかし当時の人間にしてみれば、町は汚物にまみれており、特に手は洗わないことが普通だったはずです。

 すなわち、当時と現代では常識が異なるということです。これはどんなことでも言えることですが、常識が違えば文化そのものが違うこともあり得るのです。

 この常識は各個人が持つ価値観によって変異すると私は考えます。この価値観は各々が経験した異常性によって形成されます。

 つまり、世間一般でいう常識や普通とは、個人が持つ異常的な思考を平均化したものととらえることができるでしょう。

 これはかの有名な物理学者アインシュタインの名言にも似たようなものが存在します。


「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」


 偏見や異常的な思考の集まり、それの平均を常識と読んでいるのです。

 今回私が言いたかったのは、普通とは相対的であり、それまでに経験した異常や偏見によって構成されているものである、ということです。

 少し話がややこしくなりましたが、今回はここまで。また次回をお楽しみに。

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