第1話
「先生、若君の目はどうにもなりませんか」
「申し上げにくいのですが、どうにもなりません」
「400年未来から来た皇軍の医学をもってしても無理なのですか」
「本当に辛い話ですが」
「そうですか」
1546年、医師の話を聞き終えた田坂全慶は肩を落とさざるを得なかった。
「爺、目が見えぬからと言って、気を落とすではない。医師から話を聞いたら、点字を学ぶことにより、今では学問ができると聞いた。俺は点字を学んで、様々な勉学をするぞ」
「若」
田坂全慶は、目の前の若君、小早川繁平の言葉に涙が溢れるのを覚えた。
田坂全慶は、涙を溢れさせながら想った。
今後はお家、(沼田)小早川家をどのように守っていこうか。
最早、そんな時代ではない、と言われるかもしれない。
だが、40年以上、小早川家のために頑張ってきたのだ。
自分としては、この身が朽ちるまで小早川家のために奉公したい。
田坂全慶は、改めて決意を固めた。
それにしても、本当に皇軍来訪により、色々と時代は変わってしまった。
4年前の皇軍来訪により、幕府は(自分からすれば)瞬時にして崩壊してしまい、王政復古の大号令が行われて、「天文維新」が断行されてしまった。
そして、その時に月山富田城攻囲を目指していた大内軍は撤退を余儀なくされてしまい、更に「天文維新」の結果、勢力を激減させられるというてん末になった。
(もっとも、大内家と拮抗し、中国地方の二大勢力の一方だった尼子家も、大内家と同様に勢力を激減させられてしまったのだが)
そして、その時に大内軍に従軍していた(沼田)小早川家の当主、小早川正平は無事に帰国はしたが。
生来、病弱だったことがたたったのか、1544年に病没してしまった。
この時点で(沼田)小早川家に遺された血族、正平の子は2人だけだった。
1人が、1542年に側室から生まれた繁平であり もう1人が翌年に正室から生まれた永子だった。
田坂全慶は、末期の際にあった主君の小早川正平の枕頭に呼び寄せられた時のことを想い起こした。
「もう、いよいよ儂はダメのようじゃ」
「何をおっしゃいます。きっと本復なされますぞ」
「気休めは止せ。幾ら若いとはいえ、自分の寿命くらいは察せられる」
正平は、闘病生活のために頬がこけており、全慶の目からしても、最早、命旦夕に迫っていた。
「儂の遺命じゃ。次の当主は繁平にせよ。そして、繁平が成人するまで、そなたが後見人になれ。そなたが(沼田)小早川家を守ってくれ」
「必ずや、某の身命に代えて遺命を守りまする」
主の正平の遺命に対して、嗚咽を堪えながら、全慶は主に対して誓った。
「それから、言うべからざることがあれば」
正平は、そこで言葉を切った。
言うべからざること、繁平が亡くなるか、繁平が何らかの原因で、(沼田)小早川家の当主が務まらない事態が起きたときは、ということだ。
「永子に婿養子を迎えて、(沼田)小早川家を存続させよ。それから、その際の婿は(沼田)小早川家の血族に拘るな。永子は儂の娘だ。永子と婿養子の間の子は儂の孫ぞ。(沼田)小早川家当主に十二分に相応しかろうが」
「ははっ、仰る通りです」
主の正平の言葉に、全慶はそう言わざるを得なかった。
「それではな。くれぐれも後を頼むぞ」
そこまで話すのが精一杯だったのか、身振りで正平は全慶に下がるように命じた。
その少し後、病状が小康状態となった際に、正平は改めて主だった身内を集めて、
「次期の(沼田)小早川家当主は繁平とすること。繁平は幼いので田坂全慶を後見人とすること。繁平に不測のことがあれば、永子に婿養子を迎えて小早川家を存続させる」
と遺言をした。
そして、主だった身内はそれに従うことを誓ったのだった。
活動報告に詳細を書きますが。
皇軍来訪等により、史実とは色々と違えていますので、史実と違うだろうというツッコミは、少なくとも皇軍来訪の1542年以降についてはナシでお願いします。
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