○小噺9・召喚聖女はハチメイドを鍛えたい
聖女の匣迷宮、第4層。
普段であれば農作物の収穫や調理、マユの服の縫製など、忙しなく働いているハッチー達があちこちにいるはずだが、今日は見当たらない。
代わりに、ハッチー達の休憩場所となっている円錐形の屋根の東屋にはマユがいた。
「あっ、ハッチー!」
ぶんぶん、とマユが大きく手を振ると、何かを抱えたハチメイドその1が真っすぐに飛んできた。マユの前に降り立ち、さっと白い紙切れと茶色く丸いものを差し出す。
「えーと……これは、『ぱん』ね。んー、惜しい! ほら、よく見て」
“……?”
首を傾げるハチメイドに、紙切れをある一部分を指差す。
マユ
「ほら、ここ。『ん』は合ってるけど……」
“……、……!”
急に閃いたように肩をビクンと揺らしたハッチーは、ロールパンをマユに渡すと慌てたように飛び立った。地面に開いた第5層へと繋がる穴へ、ズボッと入っていく。
ふふふ、と微笑んだマユがロールパンを口に放り込んでいると、また別のハチメイドが物凄い勢いで飛んできた。
「はぐ、ふ、来たわね」
“……、……!”
その勢いのまま右手を突き出したハチメイドの手の平を、マユが覗き込むと。
「ふひ、イ、イタ、イタター!」
開いた手の平から現れた赤いハサミがマユの小鼻をキュッと挟んでいた。
「ふが、は、鼻がーっ!」
“……、……!”
それは、ザリガニのハサミだった。
慌てふためいたハチメイドが右手でザリガニの胴体を掴むと、ようやくマユの鼻からハサミを離す。
「あた、たたた……」
“……、……!”
「あー、うん、大丈夫よー。えーと、『ざりがに』? そんなお題出したっけな。4文字もあるし……」
マユが首を捻ると、ハッチーが左手に持っていた紙切れを見せる。“ほら、ここ”とでも言うように。
それを見たマユは「うーん」と唸り、しばし考える。ハッチーの右手の中でワキワキとハサミを動かしているザリガニを見て、ポンと手を打った。
「ハッチー、ひょっとして『かに』のつもりだった?」
“……、……”
コクコクと頷くハッチーにマユは「あはっ」と笑い声を上げた。その小鼻はというと、真っ赤になっていたが。
「うん、ハサミはあるけどね。でもこれは『ざりがに』。それにね、お題は『かに』じゃないの。『か』はあってるけど……。えーと、これはもっとのんびりな生き物で危険もなく……」
“……、……?”
ハッチーはまだよくわからないらしい。首を傾げながらブーンと飛び去って行った。
とりあえず水の生き物というアタリはつけているらしく、第1層へと向かうべく天井に開けられた穴へと消えて行く。
そして、入れ替わりに現れたのは。
「あのー、マユ? ソールワスプがすごい勢いでわたしを引っ張るんですが」
魔王セルフィスだった。ハチメイドその3に腕を掴まれグイグイ引っ張られ、怪訝な顔をしている。
「えっ、セルフィス!?」
“……、……!”
セルフィスの腕を掴んでいたハッチーが興奮したように顎をガシガシ言わせていた。『これが正解でしょう!』とでも言わんばかりに。
「どうしたの!? 何でここに!?」
「こっちが聞きたいんですが。いったい何をやってるんです?」
「借り物競争」
「は?」
「ちょうど今日はみんな暇だったから」
「意味がわかりませんが?」
「ハッチー、『まおう』だと思ったの?」
とりあえずセルフィスのことは置いといて、とマユがハチメイドに顔を向けると、ハチメイドは力強く頷いた。
「おかしいな、2文字限定にしたはずなのに。ハッチー、お題を見せて?」
“……、……”
「あー、惜しい! 『ま』はあってる。……そうか、『まお』って読んじゃったんだね」
“……”
魔王を連れてきたハチメイドは、紙切れを片手にガックリと項垂れる。
「いいの、大丈夫。そんなガッカリしないで。まだチャンスはあるし」
“……、……!”
「うん、ファイトー!」
気を取り直してブーンと飛んでいくハッチーに声をかけ、マユは勢いよく右手を振って見送った。
一方、途中から捨て置かれていた魔王セルフィスが憮然とした様子で佇んでいる。
「マユ、いい加減どういうことか説明してもらえませんか」
「だから借り物競争だってば」
「何です、それ?」
「知らないか。あのね、紙に書いたものをゴールまで持ってくる、という競争よ」
ゴールはここね、とマユが東屋の地面を指差す。
「それで何でわたしが?」
「『まめ』ってお題だったんだけど、グルンってところが似てるから間違えちゃったんだね。惜しかったなー」
「……はぁ」
わかったようなわからないような顔をするセルフィスに、マユがにっこり笑いかける。
「でも、思いがけなくセルフィスに会えたから嬉しい。忙しいもんね、魔王は」
「それはそうですが……目を離すとマユは何をするかわからないので心配でもあります。ソールワスプにいろいろ教えて、どうするつもりですか?」
「文字がわかるようになったら、いいかなって」
以前、土の王獣マデラギガンダのもとへ訪れたときのこと。
聖女シュルヴィアフェスが匣迷宮を作り上げたように、後世の聖女のために自分は何ができるだろう、と問いかけたマユに、マデラギガンダは
『音楽とか、絵画などの芸術方面。それと、文学、算術などの学術方面だ。ルヴィは字の読み書きはできなかった』
と告げた。
それを聞いたマユは、ハチメイドたちに少しずつひらがなを教えていたのだ。いろいろなものに『ほん』『こむぎ』など、自分が書いた紙を貼り付けて。
まずはそれらを記号のように覚えたハチメイドに、次は『ぱん』『ころも』など似たような言葉を並べ、発音してみせて、五十音を少しずつ覚えさせていった。
言葉を発することはできないもののマユが言ったことは理解できるハチメイドたちは、こうして「物には名前があること」「表記する方法があること」を知った。
そして今日は急いでやる仕事もない、ということで、中間試験よろしく『借り物競争』を行うことになったのである。
「わたしの魔法で知識を植え付けることはできますよ? 多分、簡単な言葉ぐらいなら」
一連の話を聞いた魔王セルフィスが、「随分と手間のかかることを」と言外に匂わせつつそう口にすると、マユは
「駄目よ! こういうのは過程も楽しみながらちょっとずつやらなくちゃ」
と言い、両手を腰に当てた。
「知識はね、得られればいいってものじゃないの。ちゃんと考える力を養わなくちゃ、正しく使えないのよ。それに変な力を加えて歪んじゃったら困るじゃない」
「魔王の魔法を変な力とは……」
「生物の進化って、本来は長い年月をかけて少しずつ為されるものでしょう? 不自然で急激な変化は歪みをもたらすかもしれないし。ハッチー達には今の純粋なままでいてほしいもの、本質が変わっちゃったら嫌だわ」
「まぁ、それはそうですけどね」
魔王セルフィスは一応そう答えたものの、
「マユは妙な事ばかり思いつきますね、本当に……」
と深い溜息をついた。




