第97話 倫理観
「セレナさん危ないっ!」
その声と共に矢継ぎ早に飛んできた投げナイフが、ソロル先生の展開した壁に吸い込まれた。ととと、と軽い音を立て、壁にナイフが突き刺さりその動きを止める。
あ、危ない、助かった……!
突然の命の危機に心臓が大きく跳ねる。
「ひとまず、中に入りましょう。私達だけじゃあまりにも多勢に無勢だし、この立地じゃあどうがんばっても不利だわ。私が殿を務めますから2人は他のお客様を中へ!」
その声にニールさんが驚きを隠せぬ様子ながらも僅かに頷いた。
他の招待客の背を押しながら中に入る。
暗い外から明るい室内に入ったことでまた目が眩む。
まだ外の異変に気がついていない招待客らの視線が一気に集まる中、外から避難してきた客の1人が大声を上げた。
「賊だ!賊が侵入してきたぞ!」
その言葉に室内はまるで天蓋を外された蟻の巣のような混乱に突き落とされた。
ああもう余計な混乱が……! 気持ちはわかるけど!
苦々しい思いが胸に広がっていく。しかしそれに腹を立てている場合ではない。賊達の攻撃は刻一刻と勢いを増している。
ひとまず慌てふためく客人達を広間へと続く廊下に誘導する。
1つ幸いだったのは避難客が皆思いやりのある紳士淑女であったこと。我先にと逃れることなく順番を守って避難していく。
残りの避難客をニールさんに任せ、中庭へと踵を返す。やはり武器か何かあった方が良い……よね?
そう思い、次の瞬間ぱっと視界に入ったのは壁際に並ぶ鎧達の姿。その手には鈍色に仄明るく光る槍が携えられている。
むぅ……緊急事態だから致し方あるまい。
四苦八苦しながらも何とか槍を引き抜く。普段使用している練習の用の槍とは違い、ずっしりとした重厚感が伝わってくる。だがそれも身体強化魔法でドーピングすればどうにかなる程度の問題だ。
ぶん、と一振りして問題ないことを確認する。そしていざ中庭へ──と身を捻った瞬間、背後よりぽんっと軽く肩が叩かれた。
続いて焦りを一切感じさせない低い男性の声が響く。
「おい、悪いがその槍貸して貰って良いか」
「あ、総長……! これですか? 構いませんけど……」
そこに立っていたのはヴィレーリア王国騎士団の総長、ことクラウス・ハルバートその人だった。質問に頷くとクラウス総長はひょいと私の手から槍を取り上げる。
グレン様がそうであったように、団長にも事前に連絡が行き届いているはず。そうなると当然なにかしら武器を持っているでしょうに……?
まあ、いわば初心者に毛が生えた程度の私が振り回すよりは、一騎当千と名高い総長が扱った方が断然良いのだろうけれども。
そんな私の疑問を汲み取ってか、総長は平常の声で言葉を紡ぐ。
「殺す気でかかってきている相手がリーチの長い武器を使ってるのに、生け捕りの命令が出ている俺が短剣で何とかなるわけないだろ。そう言う細かい芸当が出来る奴らが飛び抜けて凄いんだよ、例えばセリアとかな」
何も誇れることはないはずなのに、ドヤ顔でそう言い放った総長。
まあ確かに……確かにそうだよな……。
附属で生活すると時たま各団長達や総長、副総長などの噂話が話題に出ることがある。
例えば街で歩いているところを見かけたとか、太刀筋が綺麗だとか、苦手なトマトをどうにか食べてたとか、野良猫に構おうとして引っかかれていたとか、奥さんと喧嘩して頬に真っ赤な紅葉を作っていたとか。
そんな中でなんとなく実感していたのは、クラウス・ハルバートという人は努力の人であるという事だった。
対する母は女性でありながら男性達よりも頭1つ飛び抜けた天才。当然、両者共に努力はしているものだろうけれど、天才と称される母に並び立つ総長の努力は計り知れない。
私の思考を余所にクラウス総長はわけのわからないお母様自慢を繰り広げている。
「──セリアはな、天才通り越してもはやバケモンなんだ。モンスターペアレントなんだよ」
「え、悪口ですか? お父様に言いつけますよ?」
モンスターペアレントってそう言う意味ではないのでは……? などという野暮なツッコミは控えさせて貰う。
そうこうしているうちにも賊は絶え間なく侵入してきているのだ。主戦力の総長にはこんな所で無駄話などせず、さっさと働いてきて貰わなくてはならない。
「やはり刃は潰れているか」と苦々しげに言葉を零す総長に心の内で敬意を表しながら、私は次の鎧から槍を調達しようと振り返る。
しかしいつの間にか、ほとんどの鎧の手からは槍が忽然と消え去っていた。
どうやら総長とやり取りしているあの短い合間に皆他の騎士達に回収されてしまったようだ。
「(……どうしたものだろうか)」
これで完全に手持ち無沙汰になってしまった。武器を持ち得ない今の私はもはやただのお荷物である。
魔法で加勢する?
よくよく外を見てみろ、外は真っ暗なんだぞ。雷系魔法なんて目立つに決まってる。どうせ避けられてしまうだろう。
じゃあ周りの騎士達に身体強化魔法でもかけておく?
雷系魔法の身体強化魔法は合う合わないの個人差が凄まじく、最悪の場合、黒焦げになって戦闘どころじゃない。つまり、雷系魔法は身体強化に向いていないのだ。というかそもそも私は人に身体強化魔法をかけるのが得意じゃない。
こんな状態で身体強化魔法なんてかけたら「お前はどっちの味方なんだ……?」と締め上げられてしまう。
じゃあもう大人しくしているしかないじゃないか!
そう結論づけるものの、やはり目の前で乱闘が起こっているのにぽけぇっと眺めているのは居心地が悪い。
どうしたものかとうろうろ視線を彷徨わせていると、ふとある物が視界に飛び込んできた。
「(武器もない、魔法も使えない。やはりこれしか……)」
目の前にあるのは全長約60㎝程度の壺だった。美しい紺の色味と金を使って施された花や蔦の模様は、思わず見惚れてしまうほど美しい。
恐らく、いつかの時代のどこかの高名な陶工が作った一品なのだろう。
その歴史的価値は計り知れないが、残念ながら手近にはこれしかないのでこれで何とかするしかない。
そう思いつつ壺に手を伸ばした瞬間、背後より怒声が飛んできた。
「──待て、まてまてまて! 振り上げた国宝でお前は一体何をするつもりだ!」
「あら、お兄様! 随分と遅い到着ですね!」
私の憎まれ口も届かない様子でお兄様はずんずんとこちらへ歩み寄り、遂にはがしっと私の肩を掴む。
走ってきたのだろうか、切れ切れの息の合間からお兄様は何とか言葉を振り絞った。
「まて、セレナ。正気を取り戻してくれ。それ1つで城が幾つ買えると思ってるんだ?」
「でも……人の命には代えられません」
ひしっと壺を抱きしめ、上目遣いで訴えてみる。
しかしお兄様には効果がない。こんな程度では誤魔化されてはくれないのだ。
「ああ、そうだな。人の命は何物にも代えられぬほど尊いな? だがしかしその壺を割ったならば、壺の作者と王宮の管理人達、そして数多の学者が絶望の淵に落とされるんだよ。……というかお前が鈍器を振り回して何になるんだ」
「いや、割って破片で戦おうかと」
「発想が蛮族なんだよなぁ……わかった。どうしても戦うと言うならこれで戦いなさい。大した物ではないが気休め程度にはなるだろう」
そう言って持ったりとした黒のローブの内ポケットから、銀に煌めく短杖を取り出す。私はその銀の杖とお兄様を幾度も見比べた。
「大した物じゃないって……これ、アーシェンハイド家の当主に代々伝わる短杖じゃないですか! 建国の際に下賜された国宝級の一品! 流石にこれはマズいです!……それに、会場では魔法の使用制限がかけられているのでは?」
「その程度の倫理観があるのに、どうして国宝を割ろうという思考回路に至ってしまったんだろうな……」
そう、そうなのだ。
雷系魔法が気づかれてしまうから使えない、というのは中庭での話。
では城内は? といえば暗殺などを防ぐために強力な結界が張られており、魔法の使用が制限されている。どちらにしろ使えないことには間違いないが、そんな理由があったりするのだ。
……まあこの後、賊の手によって結界が破壊されて、魔法が使い放題になるんですけれども!
結界云々については、よくよく知られている話だ。王宮勤めのお兄様が把握していないはずがない。想定通り、私の言葉にお兄様は頷く。
「ああ、だからこれで賊を殴れ」
「やっぱり物理攻撃が推奨されるんですね」
「ほら、先端も尖ってるし素手よりは威力があるんじゃないか? 折ったら流石に父上に怒られるだろうが……」
拒否するために出した手に無理矢理握らされ、私は中庭とは反対方向に背を押される。
「……?中庭はあっちですよ?」
「大広間でも賊の侵入が確認されたんだ。こっちはもう人手が足りているからお前は大広間に向かえ」
なるほど、前回とは少し事情が違うようだ。
私は微かに頷き1度だけ後ろを振り返ると、急いで大広間に向かった。




