第94話 とある元奴隷少年の言うことには2
豪奢なシャンデリアが天井から吊り下がり、数多の煌めきを床に落としている。
高名な彫刻家が施した柱や窓枠の彫刻は極めて繊細で、その窓枠の外に見える庭園もため息が出そうなほどに美しかった。
──贅、ここに極まれり。
そんな栄華を誇るヴィレーリア王国王城の大広間には、今宵成人を迎える令嬢子息とその家族、果ては国内外の要人までもが一堂に会していた。
壁際よりゆっくりとその群衆を観察していると、若い衆はみな意気揚々と目を輝かせているのが分かる。
もっぱら彼らが噂するのは、先ほど会場の中央でクズ男を追い詰めた、とある2人の少女についてだった。
言わずもがな、セレナとアルナ嬢である。あの一連の騒動は見ていて爽快なものがあったが、同時に王家の不興を買うのではとヒヤヒヤしたりもした。
友人として、恩人として、彼女の味方をしたいと願う気持ちは嘘ではない。しかし一騎士の養子に過ぎない──まして奴隷出身の自分が、王家などという絶対権力に立ち向かう術など持つはずもなく。
「(……まあ、大丈夫だろ!)」
青ざめたあの王太子の表情を思い出すと、思わず笑いが零れそうになる。近くで見ることが出来なかったのが本当に残念でならない。
万が一不敬だと言われても面倒なので、その思い出し笑いを誤魔化すべく俺は手近にあった料理を口に詰めた。
先ほどまで喋っていたルキアや友人達は既に会場にまばらに散っている。
文字通り、貴族にとって横の繋がりとはまさに生命線。一人前の貴族として認められる今夜、しっかりとコネを作っておくのが重要なのだと誰かが言っていた。
普段生活している分には、城下の青年と大差ないのにこうして社交界に出ると雲の上の人に早変わりしてしまうのだから不思議なものである。
セレナが近年稀に見るエンターテイメントを提供してくれていたお陰で今まで1度も退屈していなかった。しかし、いざ1人になると少しばかり寂しいような気もする。
我ながら、随分と恵まれた悩み事だ。
そんな風におかしく思いつつも次の料理に手をかけた瞬間、不意に誰かが背後に立ったのに気がついた。
「……ああ、よく食べている奴がいると思ったらヴォルクの息子か」
「クラウス総長……!」
音もなく現れたのは、純白の騎士服に身を包んだ王国騎士団のトップクラウス・ハルバートその人だった。
シャンと背筋の伸ばされた姿は高位貴族と見間違うほどであるが、彼はむしろ平民側の人間である。
そんな高貴な気品溢れる佇まいの総長は、肉料理を山のように盛った皿を片手に愉しげに微笑んでいた。
いや、よく食べるって……人のこと言えないのでは……?
高貴な貴族の印象があっという間に崩れ落ち、街の片隅の酒屋で飲み明かす船乗りの面影さえ見えるような気がした。
暫く皿と総長の顔とを視線を行き来させていると、彼は何を思ったのか「食べるか?」と皿を差し出されてしまった。
違う、そうじゃない……。そうじゃないんです総長。
しかし今日の日のために宮廷料理人達が真心込めて作ったらしいその料理は、一目見るだけで酷く食欲を刺激する。
先ほどまで暴食の限りを尽くしていたというのに、甘辛いタレの香りが広がった瞬間、きゅうと腹が空いた。
「どうも総長……ところで、モニカは一緒じゃないんですか?」
長い葛藤の末、俺は三大欲求の1つに打ち勝ち、話題を逸らすことに成功した。
俺の疑問に総長は「ああ」と小さく声を零す。
彼はすぐにその問いには答えず、皿の上の肉を一口頬張ってからすっと南の方角を指差した。
「あそこに男がたむろしているだろう。右から順に俺の兄、レスカーティア伯爵、アストラル侯爵、エドヴァルド公爵……そしてアーシェンハイドだ。今はもう姿は無いが、先ほどまでは彼らの娘達もいた」
約1名、敬称がなかったのは私怨か何かだろうか。
追求する間もなく──そもそも追求する気もないが、クラウス総長は続けて言葉を連ねる。
「兄──モニカの父も居ることだし、友人と積もる話もあるだろうから、とあそこに置いてきた。身分平均偏差値がどうのこうのとよくわからないことを言っていたが、まあ問題ないだろう」
総長のその言葉に思わず苦笑いを浮かべる。高位貴族に囲まれて四苦八苦するモニカの姿が容易に想像できた。
これが善意の行動から来ているというのだから、モニカも咎めるに咎められないだろう。
ところで、と今度は総長が問いかける。
「ヴォルクとグレンを見なかったか? セレナでも良いが」
「セレナとグレン団長は知りませんけど、父ならバルコニーの方へ向かってましたよ。ネズミがどうのって言いながら……」
無意識のうちに、声がぴたりと止まる。王宮に、特によく掃き清められたこの大広間に野ねずみが湧くだろうか。いや、湧くかもしれないが、わざわざ野ねずみの駆除をしに行くだろうか?放っておいても使用人の誰かが駆除するだろう。それに騎士として職務に勤しんでいたならばまだしも、今日の父は招待客としてこの場に来ている。父はネズミ嫌いというわけでもなければ、凄まじい潔癖症というわけでもない。
改めて考え直してみると、父の行動には違和感が残る。
では、もし父の言った『ネズミ』が野生のそれではなかったとしたらどうだろう──?
真意を問いただすべくクラウス総長の伏せられた瞳を見つめる。するとクラウス総長は俺の違和感を肯定するかのように口角を上げた。
「俺の背後の扉に、メイドが2人立っているのが見えるか?」
「……茶髪と金髪の?」
「ああ。茶髪の方を見てみろ。王宮メイドの印であるブローチがないだろう? 随分とザルな変装だな。金髪の方もそうだ。先ほど歩いている姿を見たが、恐らくあれは武器を持ってるぞ。他にも数匹“ネズミ”──侵入者が紛れ込んでいる」
言われてみれば確かにそうだ。
エプロンで不自然にならぬように何とか隠してはいるが、茶髪のメイドにブローチは見当たらない。
「仕留めなくてもいいんですか?」
「まだ仕留めていないだけだ。相手方に感づかれないよう警備をザルにするのも骨が折れる。出来ることならもう二度とやりたくないからな。漏れのないよう、まとめて捕らえておきたい」
そう言いつつ、総長がまたぱくりと大口で料理を頬張る。
そこでようやく俺は、彼が魔力補充のために暴食の限りを尽くしていることに気がついた。
「悪いが、少年。グレンを捜し出し、必要であれば援護を頼みたい」
「援護って……俺、武器なんて持ってないですよ? それに、あの人が苦戦する相手に、俺がどうこうできるわけないじゃないですか」
グレン・ブライアントと言う人物は騎士団史上最年少で団長の位に上り詰めた男だった。
昇進昇格というのは入れ替わりのスパンや運なども関わってくるだろうが、彼が実力者であることは変わりない。
小声でそう言い返すと、クラウス総長は侵入者と思しきメイド達からこちらが見えぬようそっと重心を変えた。
そして細心の注意を払いつつ、袖口から短剣をこちらに渡す。
「悪いが、アレに悟られぬよう渡せる武器はこれくらいだ。支障があるようだったら他の奴を当たってくれ。援護は、万が一の話だ。味方は居ないよりはマシだろう。今日は抜刀許可は下りているが、陛下は生け捕りをご所望だからな。その時はなんとしてでも死者の出ないよう援護を頼む」
「……善処しますけど、あんまり期待しないで下さいね」
「大丈夫だ、君の才能はヴォルクから聞いている」
「それは身内の贔屓目ですよ」
差し出された短剣を袖の下に隠す。
冷たい金属の温度が、浮かれていたらしい気分を現実に引き戻す。
戦闘前の痺れるような感覚が身を包んだ。




