第69話 躍進
以前は獄中死を回避するため、現在はグレン様の死と戦争を回避するため、私が変えてきた未来というのは少なくない。
良くも悪くも未来は変わりつつある。
それは重々承知の上なのだが──一体誰が、自分の実父と婚約者が潜入先に訪れて談笑している未来を引き起こすと予測できただろうか。
「(いや……まだ大丈夫よ、セレナ)」
幸いなことに、まだ2人はこちらに気がついていない。この2人部屋の前を通らないでミハイルさんの元に辿り着くルートもきっとある……はず!
まだなんとかなる、と思っていないとやっていられない。
私は気を引き締めて次の部屋へと足を踏み入れた。
***
当初の目的の人物、ミハイルさんの姿は大部屋にあった。
大部屋と言うほどだから2桁レベルの人数で貸し切っているのかと思ったのだが、中にいたのはジェロニアの使者2名とヴィレーリアの外交官2名の計4名のみ。
友好国の要人をもてなすのならば最高級の部屋を、ということなのだろうか。
「(……ああ、それとも)」
毒殺の犯人の範囲を広げる、ということだろうか? この部屋を指定したのが誰かわからない以上、その可能性も否めないだろう。
とても気になる話ではあるが今はどうにもならないことでもあるので、私はその思考を脳の片隅へと追いやった。
──クラリスに大部屋の給仕をしたいと頼み込んだ私は、現在数名の芸人達に紛れ込みながら仕事に勤しんでいた。残念ながらアーチは別の部屋へと移動してしまったが、クラリスやその他芸人達のサポートで上手く紛れ込めていると思う。
芸人一座の中でも見目麗しい女性陣ならば話は別だろうが、私達のような下っ端は始業前に言われた通り空いたグラスにワインを注ぎ、皿を下げるだけ。
ただし、“だけ”といってもどの料理に毒が含まれているかを目視して確認することなどは不可能。鳥兜はまだしも、河豚毒は無味・無臭・無色のフルコンボ。
いち侯爵令嬢に過ぎない私に判別は不可能です! 無茶振り過ぎる!
じゃあどう判断するのか?
私が導き出した答えは──ミハイルさんにのみ出された料理を警戒する、だった。
実際毒殺されたのはミハイルさんのみ……ならば、他の人物達は毒を口にせずに済んだということ。
ジェロニアには生魚を食べるような食文化もないため、考えられる毒の盛り方としてはスープに溶かす……などが妥当だろうか。
幸か不幸か、大部屋の給仕に当たってからは大皿の料理しか見ていない。しばらくは安心していられそうだが……気を緩めてうっかり見逃していました、だなんて全く笑えない。
全体把握のために一度壁際に移動したところで、不意に私は首回りのフリルの波に隠すように胸元につけていた魔法具の起動を察知した。
そう暫くせずに、その魔法具から小さく聞き慣れた声が響く。
「──も、もしもし?」
「もしもしネロ、セレナよ。そっちは大丈夫そう?」
「うわ……すげぇな、これ。遠くに居ても会話できるのか……ああ、うん、ちょっと色々あったからその報告を」
ネロがそう戸惑いの声を上げるのも無理はない。私が別れ際にネロのポケットにねじ込んだ魔法具は、一対の極小通信機。音声のみではあるが時間のラグもなく通話が出来るという優れ物だ。
結構高かったのだが侯爵家のコネ、もとい縁と財力でなんとか購入にありつけた。
今はまだその有用性があまり知られていないので金を積めば買えるのだが、その内これも規制されるんだろうな……なんて思ったり思わなかったり。
全部終わったら予備用にもう一セット買いに行こう、と密かに決心した。
そんなことを考えていた私をよそに、ネロは再び言葉を紡ぎ始めた。
「厨房に、異様に周りをキョロキョロ見回したり、受け答えが変だったり……とにかく変な動きをしている料理人がいたんだよ。だから隙を見てちょっと気絶して貰ったら、ポケットから変な小瓶が出てきて……多分これが“例のブツ”だと思う。昔、俺がまだ奴隷だった頃に、これと似たデザインの瓶に入った毒を元主達が仕入れていたことがあるから間違いないよ」
仕事が早い、早すぎる──というかもはや私の出る幕がなかった。勝手についてきてしまっただけのはずだったのに想像以上の戦果で、もはや乾いた笑いしか出ない。
私が言葉を失ってる間にも、彼の快進撃は続く。
「……あ、今は目が覚めても逃げられないように両足を折った上で、裏庭の木にその料理人を括り付けてるところ」
「あ、うん、そうなの……『ちょっと色々』の範囲が思ったよりも大きかった……かな……」
ネロのその言葉と共に、ぽき、とまるで小枝を手折ったかのような小気味良い音が通信機越しに響く。
……いや、違う。断じて違う。きっと今の音は手持ち無沙汰になったネロが近くの枝を弄って遊んでいただけだ。骨の折れた音なんかじゃない、きっとそうに違いない。
ああ、駄目だ! 黙っていると嫌な想像が浮かんできてしまう!
気を紛らわすために、私はそっと話題をすり替えた。
「素晴らしい手腕ね……ねぇ、ネロ。附属を卒業したらアーシェンハイド家に就職しない? 個人契約でも良いけれど」
「マジ? 雇ってくれるの? 就職したら結婚後も嫁入り道具としてついて行くけど大丈夫そう?」
ネロったら嫁入り道具だなんて、何をおかしなことを──とツッコミを入れようとしたのと、大部屋に追加の料理を載せた銀のワゴンが到着したのはほぼ同時だった。遠目にも、小皿に盛られた料理がワゴン上に鎮座しているのが分かる。
──毒を盛った料理を搬入するならば、これが絶好のタイミングだろう。
同じく料理の搬入に気がついたらしい数名の少女達に紛れて、ワゴンの近くへと移動する。
ワゴンの上には手前から順に、トマトとモッツァレラチーズ、ベーコンとポテトの炒め物、それから──スープ!
普段は働かない私の野生の勘が、この時ばかりは良い仕事をした。
うん、これだ! 間違いない!
しかし、ここで問題が浮上した。なんとワゴンの上には全く同じスープが4つ載っていたのだ。いやまあ4人で会食を行っているのだから、当然と言えば当然なのだけれども……。
目立った違いと言えばスープの盛られた器に描かれた薔薇の色くらいだ。
赤、白、青、黄の4種類の色の薔薇が、花片ひとひらひとひらに至るまで丁寧に描かれている。
先ほどから言っている通り、河豚毒は無味・無臭・無色のフルコンボ。当然、ド素人の私に分かるわけもない。
……これは本気で詰んでいる。
ど、どうしよう。適当に選んで持っていく? それとも少々勿体ないことだが、ワゴンごとひっくり返してしまおうか?
そんな風にぐるぐると思考を巡らせていると、事態は私が手を出すまでもなく好転していった。
思考に浸っていた私を現実に引き戻したのは、毒が盛られていると推測されるその陶碗だった。温もりを孕んだ碗が肌に触れ、私ははっと我に返る。
その碗を持っていた人物は、意外なことに他の部屋へ移っていたはずのアーチだった。
彼女は私にその碗を手渡しながら早口に囁く。
「──これ、右奥に座っているお客さん用の、ね? 香辛料が苦手だから抜いて欲しいって要望があったから、間違えないようにって言われたの」
当然のことだが、逆行前──即ち、私がこの場にいなかった場合、ミハイルさんの手元には毒入りのスープが渡ることとなる。
つまり、私がこの店に潜入していようが居なかろうが、過干渉さえしなければおのずと毒入りのスープはミハイルさんの手元へと向かうわけで。
「(それじゃあ、これが河豚毒の盛られたスープなの……?)」
私は震える右手と青薔薇の描かれたスープを、束の間見下ろしていた。




