第66話 旅は道連れ
「──それじゃあ、今日の授業はここまで。各自練習を忘れないように」
つい先ほどまで熱血指導を行っていた社交ダンスを専攻する教師の声で、緊張に包まれていたダンスホールの空気が一気に和らいだ。
蓄音用魔法具の回転が止まると華やかな舞踏曲は遠ざかっていったが、その代わりに生徒達の談笑の声が広がっていく。
ダンスホールの片隅に置いてあった荷物に手を伸ばしつつ、疲弊した表情のソフィアは座り込んだ。
「ああ、やっと終わった……。疲れましたよ、本当に!」
「先生、今日はやけに熱が入っていたな」
「うーん、やっぱり連休前だからですかねぇ……?」
ソフィアとルキアのやり取りを横目に、私は持参していたタオルで汗を拭いつつ、水筒のレモン水を喉に流し込む。乾いた体にレモン水が染み渡っていった。
──外交官連続毒殺事件、発生日当日。
かの戦争の引き金となる事件が発生することなど、まだ誰も知らない穏やかな夕間暮れ。窓の外を眺めれば、夕日はその体を半分ほど地平線に沈めている。
明日からは建国記念日などの祝日が重なり3連休となっている。つまるところ、今日の夜からは自由時間というわけだ。
そしてなんと幸運なことに事件が起きるのは今日の夜。
せっかくの3連休が台無し……! と嘆きたい思いもあるけれど、附属から抜け出すには格好の日取りだった。
ちなみに、この連休を利用して里帰りをする生徒もいるらしい──が、生憎今の私にはそんな予定も暇もない。
「(メルに帰って来るかって聞かれていたんだけどなぁ……)」
こればっかりは仕方がない、人の命と戦争には代えられないのだ。腹を括ろうじゃないか。
──今日の日まで念入りに念入りに準備してきたわけだが、やはり緊張する。ドキドキと逸る胸を押さえながら、私はその様子を悟られないように言葉を紡ぎ続けた。
「あらソフィア。あなた、ダンスが好きって言ってなかった?」
「言いました、言いましたけど! 女なのに男のパートを憶えなきゃいけないなんて、知らなかったんです……。また1から覚え直しだなんて……」
非常に残念なことに、社交界には連れてきた婚約者を放ってふらふらと遊び歩く貴族というのが一定数いる。逆行前の王太子と私の関係がまさにそうだ。
置いていかれた側としては相手と揉めるのも面倒なので、友人を見つけて暇を潰したり壁際でじっとしているのが大半。
悲しいかな、貴族には“婚約者と一緒に舞踏会にやってきた”という事実が重要なのであって、その後は知ったこっちゃ無い……という風潮があったりする。
これもまた仕事、と割り切るほか無いのだ。
──そんな哀れな子息令嬢のために一役買うのが騎士!
壁際で1人寂しく時間を潰す私達に「一曲いかがですか?」と伺いを立て、貴族の面子を維持させる。
相手は王家に仕える騎士なのでその誘いを承けても醜聞になることはないし、断ったとしても「あの方はちゃんと貞節を守っておられるのね!」と逆に周りからの高評価を得られる。
以上の経緯から、私達のような未来の騎士達はどんな場合でも対応できるように男女両方のパートを踊れるようになる必要があるのだ。
騎士の務めは物理的な攻撃からの守護だけに限らず精神的な攻撃からの守護にまでに至る、と。
ここで苦難するのは意外にも経験者──貴族家出身の生徒達だったりする。
幼少期より社交ダンスの教育を受けた生徒達は、男女パートの振り付けの違いという大きな壁に衝突する。
身近な物であるだけあって、その衝撃は凄まじい上に、踊っている最中でも普通に間違える。そして私もソフィアも例外ではなかった……と。
もうこれに限っては、練習あるのみなのだ。慣れ故の失敗ならば慣れで塗り潰す他無い。
各々が諦めの表情を浮かべたところで、群衆をかき分けてネロが現れた。
「お、いたいた、お疲れさん。……セレナはだいぶ顔色が悪いけど大丈夫か?」
「……一応、大丈夫よ。問題ないわ」
額には大粒の汗が浮かんでいるものの、その顔に疲労の色は無い。
……ネロは、体力お化けって奴なのかもしれないな。
そんなどうでもいいことを私が考えている間も、ネロは言葉を紡ぎ続ける。
「この後の自由時間、どうする? 聞いた話だと、遊戯室が開放されるらしいけど」
「あ! それなら私、チェスの練習に付き合っていただきたいです。もうすぐ試験ですけれど、私は軍略とかそう言うのはまるっきり駄目で……セレナ様もいかがですか?」
せっかくのお誘いだし、チェスは好きだから「もちろん!」と即答したいところを、ぐっとこらえる。
あまりにも穏やかすぎてついつい忘れがちだが、今日の私は外交官──ミハイルさんの毒殺を回避しなくてはならないのだ。
「あー……私はこの後お父様と街で会う約束をしていて……戻ってきてからでも大丈夫かしら?」
「今から? 危なくないか?」
怪訝そうな表情のルキアに対して私は僅かに口角を上げてみせた。こういうときに無理に笑顔を貼り付けるのは逆効果だと身を以て知っている。
あらかじめいい訳を用意しておいて良かったなぁ、とつくづく思う次第だ。
「平気よ、王都から附属への馬車もあるし、今日中には戻る予定だもの。……何かお土産を買って帰るわ」
***
今日、正門の門番を務めていたのは初老の男性だった。彼に学生証と外出届を提示して外へと出る。その途中で一昨日茂みに隠しておいたトランクを掘り起こした。
「(親に会うためにトランクを持参ってのはちょっと怪しいものね……)」
中身も中身で、解毒薬や変装用の魔法具それから視覚遮断のローブなど、明らかに親に会うための品ではないラインナップだ。
うんうん、私でも疑うよこれは。
夜露でトランクの側面に張りついた落ち葉を払い落としつつ、中を確認する。
幸いなことに魔法具が壊れていたり、なくなっていたり、ということはなさそうだった。
一応、まだここは校内だし? 盗られたりはしないと思ってたけど……一応ね?
トランクの中から変装用の魔法具を取り出しつつ立ち上がると、不意に違和感に気がついた。違和感、というよりは視線というのが正しいかもしれない。
──見られている。
戦闘も偵察もまだまだひよっこな私でも気がつける程度のものなのだから、相当じっと見つめられているのだろう。まるで背中に穴が開きそうだ。
辺りをぐるっと見回してみるものの、当然人影は無い。
うんうん、まあそうでしょうね。
このまま強行突破しても良いけれど、やっぱり気になるし……不穏の芽は摘んでおくか。
いつでも身体強化の魔法を展開できるよう体中に巡らせておいた魔力のうち、足下の物だけを拝借する。
足が一瞬薄ら寒くなったが、代わりに足元を溢れ出た稲妻が円環を描くように取り巻いていく。
「──《探知》」
無駄な魔力は使いたくないけれど、致し方ない。必要だったと割り切るほか無いな。
精度にはこだわらない──というか、詠唱末に防がれても困るので簡易詠唱に留める。
足下で蜷局を巻いていた稲妻が私の簡易詠唱と共に、全方向へと網状に地を這いながら伸びていく。
「は!? あぶっ……」
魔力の出力を増やして樹上まで範囲を広げると、そんな驚愕の声と共に何かが空から降ってきた。
おお、なんか聞いたことのある声だな……?
夕日は落ちてきた人物の頬を赤く染める。
「……あれ、ネロ?」
「あいたたた……」
ネロは、腰をさすりながら横たえていた上半身を起こす。それから今まで浮かべていた少しばつの悪そうな表情から一転、悪戯っ子のような笑みを浮かべて、ペロリと舌を出してみせた。
「バレちゃった?」
バレちゃった? じゃないのよ!
そう思う反面、ついてきていたのがネロで──生徒で良かったとも思う。もしこれが先生だったら心折れてたよ、本当に。
「もう……なんでついてきちゃったの?」
「あはは……なんか怪しかったから? 絶対父親に会いに行くような雰囲気じゃなかったし、それに面白そうだったし……」
悪びれもせずそう答えるネロに、思わずため息が出そうになった。
……オーケーオーケー、演技しきれなかった私にも多少非があるようだ。
「(さてさて、どうしようかな)」
異変に気がついて追ってきてしまったネロだけれども、彼はまだ私がいまからどこに行って何をするかは知らない……はず。
出来ることならば迅速に寮へお帰りいただきたいところだけれど──まあ無理だよね! そこで簡単に折れてくれるんだったらそもそも尾行なんてしないでしょうよ。
なんとか説得すれば帰ってくれるかもしれないが、こちらは時間との勝負。
事件発生時に立ち会えなければ今までの努力は水の泡と化す。
「(やっぱり、連れて行くしかないか……)」
脳内でこれからの行動を一通りシミュレーションする。
まあ、手数が多いことは悪いことではないよね。ネロにとっては泥船だろうけれど、これに関してはついて来ちゃった本人が悪いし! 私は悪くない!
そこまで思考を巡らせ、覚悟を決めた上で、私は地面に座り込んでいたネロに右手を差し出し口を開いた。
「……気になるなら、一緒に来る?」
「え? あ、ああ、うん。良いのか?」
「ええ、私は構わないわ」
──そりゃあ被害を被るのは私ではないし? 一向に構わないですよ!
恐らく反対されると思っていたのであろうネロは、その瞳をぱちくりと瞬かせる。
目の前に差し出された私の腕を見つめること数秒、やがてネロはその手を握り返した。
「じゃ、行くよ。もうあまり時間が無いし」
「おう……ところで、これからどこに行くんだ?」
ごもっともな疑問だ。確認するのが遅すぎたような気もするけれど。
今更帰りたいなんて言っても、帰してあげないもんね! 乗りかかった船なのだから、ちゃんと共犯者になって貰わないと困る。
ネロの問いかけに答えるよう、店の名前を口にしようとしたところで、ふと悪戯心が湧いた。これくらいならやっても良いよね?
零れかけた言葉を呑み込んで、私はニッコリと令嬢スマイルを浮かべてみせる。
「うーん……そうだね。いかがわしい店、かな?」
「は?」
乾いた声が零れ、束の間の沈黙が私達の合間に降りた後、今度はボンッと音を立てるかのようにネロの顔が朱色に染まった。
……あら、可愛らしいこと。




