第64話 毒と毒
寝返りを打ちながら小さな寝息を立てて眠るモニカの気配を頭上に感じる。そんな中、私は自分のベッドに借りた本を持ち込んで物思いに耽っていた。
──外交官連続毒殺事件。今から数ヶ月後に起こるはずの事件だ。
ヴィレーリア王国を始めとした諸国の外交官達が次々と毒殺されていった事件で、容疑者として各国で多くの人々が捕らえられ投獄されていった。しかしその犯行は止まらず、最終的には数十名の外交官が命を落とした。
──そしてこの事件が、2年後、ヴィレーリア王国がゾルド帝国へ宣戦布告を突きつける口実の1つとなる。
この事件の被害者となったヴィレーリアの外交官の亡骸からは植物由来の即効性の毒が検出された。また彼は就寝前に紅茶を飲むことを習慣としていたため、彼の身の回りの一切を行っていたゾルド帝国出身の使用人の女が容疑者として浮上し、そのまま捕らえられ──間もなく処刑された。
被害者は貴族であり、その貴族を毒殺したことは極刑に値する大罪であったのだ。
だがしかし、彼女が処刑された後も同様の手口で犯行が行われていった。
──彼女は冤罪だったのかもしれない。
そんな噂が国民達の間に広まり始めた頃、国はこれ幸いにとこの事件を口実にゾルド帝国へ宣戦布告を突きつける。
もし仮にゾルド帝国出身の人間を冤罪で捕らえ、なおかつ不当に処刑してしまったとすると、大義がゾルド帝国側にあることになる。ヴィレーリアはそれを避けたかったのだろう。真偽はどうであれ、グリスフォード戦争は王家にとって素晴らしい隠れ蓑だったわけだ。
私は検死に関わったわけでもないし、その道の専門家というわけでもないけれど、彼女が冤罪だったのだろうというのはなんとなくわかる。
確かに殺人というのは大罪ではあるがあまりにも対応が早かったし、それほど迅速な行動が取れるほどの証拠もなかった。
そして何より──
「(王太子は私がこの事件について尋ねたとき……あからさまに話を逸らしていた)」
あるときたまたまその話題を彼に振ったとき、彼は一瞬苦々しげな顔をしてやんわりと話を逸らしていた。
当時は既に王太子とはおおよそ仲が良いとは言えない状態だったし、ルーナが王太子にちょっかいを出し始めていたのも知っていた。
なので「私と話すのが嫌なのかな、もしかして喧嘩売ってる? 私だってそんな態度を取る人と話すなんて嫌なんだけど!?」くらいの心持ちだった。
しかしこれまでの推察通り、もし彼女が冤罪だったとするならば──部下が命を落とした事件の犯人が正当に裁かれなかったと父に知られるのは、王家側にとって非常に不味い展開だったのだろう。
さて、処刑された使用人が冤罪だったのは私の中ではほぼ確定となったわけだが──真犯人は一体どうやって犯行に及んだのだろうか。
使用したのは即効性の毒、事件発生推定時刻前後に被害者と接触できるのはあの使用人のみ。
毒の検査結果が間違っていたのだろうか。もしそうだとするならば一体どこで毒を盛られたのか。
それとも私の推察は全て的外れで、本当にあの使用人が毒を盛ったのだろうか。
まさか外交官が自らの意志で服用していたのか……?
この世界には魔法という便利な物があっても、当然即効性の毒を遅効性の毒にすり替える魔法なんてのは存在しない。
「(だけれど……)」
──実は1つだけ、そんな“魔法”に心当たりがある。
毒と薬は紙一重だ。使い方次第によっては毒も薬になるし、薬も毒となる。毒に犯された体に別の毒を加えることで毒性を中和することも出来れば、過剰な薬の投与によって死に至らしめることだって出来るのだ。
「(使われたのは即効性の毒で間違いない。それに、処刑された彼女の冤罪もほぼ確定だ。間違っているのは──)」
使われたのが即効性の毒“1種類”という点だろう。
毒性を持つ植物というのは少なくない。
例えば彼岸花、鈴蘭、紫陽花や水仙、それに夾竹桃。
残念ながら逆行前の私は王太子の婚約者でしかなかったので、犯行にどの植物の毒が使用されたのかはわからない。
正直、一介の侯爵令嬢にそんな重要事件の詳細をホイホイ話されても困るけどね……! 今回ばかりは話して欲しかったけれども。
しかしそれらの毒性のある植物の中で──鳥兜と言う植物は、とある非常に興味深い特性を持っていた。
枕の上に開いたソロル先生の本を捲り、鳥兜の項目を開く。日焼けのない真っ白なページのその片隅の記述を、私は誰に聞かせるでもなく声を潜めて読み上げた。
「──『鳥兜は即効性のある毒として知られる河豚毒と合わせて使用することで、互いの即効性を打ち消し合うことが出来る。場合によっては1時間半以上ものズレを生み出すことも可能である』……」
もう絶対これだ、間違いない。逆にこれ以外だったら土下座する。
……いや、別に悪いことをしたわけじゃないからしなくてもいいか。
当時お兄様がしきりに「毒は1種類だけか王太子に聞いてこい」と言っていた理由がよくわかる。お兄様は薄々感づいていたのだ。
これならば即効性の毒が使用されているし、真犯人は容疑者に入らずに済む。
問題はこの2つの毒が盛られた時間だ。
当時お父様から聞いた話によれば、あの日被害者となった外交官は昼頃から隣国の要人を迎え入れ、夕方頃までは王都の散策、そして夜は“とっておきのお店”で要人との会食をしていたらしい。
鳥兜と河豚毒の特性から鑑みるに、恐らく毒は夜の会食中に盛られている。
つまり、その店に潜り込むことさえ出来れば、事件を未然に防ぐことが可能になる! ……の、だけれど。
「(夜に行く、会食用の、とっておきって事は……)」
つまり、そう言う“大人のお店”って事で良いのか……?
「(わ、私、入れるかしら……)」
私は逆行前も含めて計算すると21歳。
なので生娘の様に顔を赤らめて──なんて事はしない。
しない、のだが……でもそう言うお店に潜入しなきゃいけないわけなんだよね!? 今まで一度も入ったことないけど!
不思議と胸が早鐘を打ち始める。
そうして私は酷く悶々とした夜を過ごすはめになるわけである。




