第39話 お誘い
「──様、お嬢様……セレナお嬢様!」
「あっ、ごめんなさい! こっちよ!」
中庭でいそいそと準備をする中、私はノーラの3度目の呼び声でようやく顔を上げた。
アーシェンハイド邸には貴族の家らしく見事な庭園が備わっている。日々腕の良い庭師が管理をしているため、どの季節でも美しい花々を楽しめる上に、希望さえ出せば花壇などのスペースも使えるようにしてくれる。そのためお兄様は中庭の東側に薬草園を、私はその少し先にガラス張りの温室を持っている。
貴族のプライドなのかなんなのかやけに広い庭園のため、今回はノーラの声に気がつくのが遅れたのだった。
「こちらにいらっしゃったのですね」
私の姿を見つけたノーラは迷うことなくこちらへと歩み寄ってきた。
「ええ、ごめんなさいねノーラ。何かあったかしら?」
「とんでもないことにございます。グレン・ブライアント様の馬車が正門に到着なされたそうですのでそのご報告に」
「あら? 早いわね」
温室の振り子時計を見上げると、やはり聞いていた時間よりも30分ほど早いことがわかる。道がすいていたのかな?
「到着次第、応接間にご案内する予定ですがいかがなさいますか?」
「すぐ向かうわ」
「かしこまりました」
私はいくつか摘み取っていた薔薇の中から一輪抜き取り、その茎に手近にあったリボンを結んだ。その様子をノーラが不思議そうに見つめているのに気がついて私は微笑んだ。
「──私特製の魔法具なの。きっとびっくりするわ」
「それは楽しみにございますね」
私特製というか前回の18歳の頃の私特製というか……? とにかく今の世界には絶対にない技術だ。どうせ未来の私が作るのだから今作ろうが6年後に作ろうが大差ないはず。それに利権者は私なので良心も痛まない!
ノーラに導かれ応接間に入室するものの、グレン様の姿はない。確かに正門から応接間に行くには馬繋場とエントランスホールを経由しなくてはいけないから、中庭から応接間に移動する方が早くなるのは当然だ。
私はソファーの一角に腰を下ろした。
──ううう、緊張する。
この1ヶ月間誠心誠意準備に努めてきた。喜んで貰えるかどうかはわからないけれど精一杯やった。そわそわと落ち着かない様子の私を、「お嬢様?」とノーラが諫める。
「だ、だって、初めてのデートですのよ!?」
グレン様は違うかもしれないが、前回ことごとく何かと理由をつけて避けられてきた私にとって今日は初めてのデートと言っても過言ではない。
……いや、何回かあったか? まあでも思い出さなければ実質初回だよね! 前回の話だし!
そんな私を元気づけるようにメルは口を開いた。
「大丈夫ですよ、あんなに準備も頑張っていらしたではないですか! ね、ノーラさん!」
「そうですね──今日お嬢様が心配しなくてはならないことは一つ。もめ事に巻き込まれないようにすることです」
ノーラがメルに同調するかのように頷いたので、応援してくれているのかと思ったらまさかのお小言だった。いつものやりとりにだんだんそわそわと落ち着かなかった気分が穏やかになっていく。私がくすりと笑みを零したちょうどその時、執事が応接間の扉をノックした。
「失礼します。ブライアント様をお連れいたしました」
「失礼します。おはようございます、セレナ。清々しい朝ですね」
扉を開いた執事の後ろから現れたのは、お待ちかねのあの人、グレン様だった。その見惚れてしまうような穏やかな笑顔を見るとまた顔と口の中が熱くなるが、私は侯爵令嬢スマイルでそれを誤魔化す。
「おはようございます、グレン様。きっと豊穣の女神が今日という日を祝福して下さっているのでしょう」
まずは心落ち着かせるためにもカーテシー。
カーテシーをしたことで“偶然”顔に髪がかかって、“偶然”その顔色が読み取れなくなっても仕方がないのだ……!偶然って素敵な言葉だなぁ。
「この良き日の贈り物として、私からグレン様にこれを」
私は先ほど摘んできた一輪の薔薇を差し出す。
グレン様が手に取ろうとしたタイミングで、リボン型の魔道具を起動させた。
魔道具は一瞬光を孕んだかと思うと、ぽんっと軽やかな音を立てて煙となった。──魔法具の煙が晴れ、次の瞬間私の手の中にあったのは一輪の薔薇ではなく、薔薇を象った飴細工だった。
「私に今日一日、グレン様の時間を下さいませんか?」
「──ふふ、喜んで」




