ライム・ア・ライト2(第三章、無垢の記憶)
今回で番外編は終わりだったりします。
ララティアの神殿での生活が始まってから数年後、運命の朝はなんの予兆もなくやってきた。
運命の朝。ララティアは突然、何の前触れもなく司祭に呼び出された。
とりあえずいつものように神殿の大広間に集まった神官達は、ララティアと同じように一様に不審顔だった。それは、ララティアが司祭に呼び出されたからというだけじゃない。
そう、この日、司祭の隣には見慣れぬ少年の姿があったからだ。
「ふうむ」
自分の部屋にララティアを招き、着席をうながすと、司祭は満足げにララティアを眺めて言った。
「随分、実力はついてきたみたいだな。 ならば、そろそろ我々とともに戦っていくことはできるな」
「・・・・・えっ、戦う? 誰と?」
首を傾げるララティアに、司祭は世界を襲った異変について語り始めた。そこでララティアは知らなかった様々な事実を知らされたわけだ。
巨大な空中要塞の到来――。
異界からの侵略者――。
そして、ゼフィア。
「この世界の支配者を巡って、ゼフィアとセルウィンとの戦いは日に日に増して大きくなってきている。 それと同時に、この世界も危機にさらされている。 我々も何とか対抗しようとしているが、我々だけでは彼らを止めることができない」
「だから、私にそのゼフィアって人を止めてきてほしいってこと?」
「その通りだ」
司祭はララティアの言葉に強く頷いた。
「そこで我々からも有力者を集め結成した部隊を、ゼフィア達のもとに派遣することに決定した」
「そこに私も参加するんだね」
「違う」
ララティアは首を傾げた。
今までの流れからそういう話になると思ったのだ。
「それでは、ゼフィアと戦うことはできない。 我々にとって切り札であるおまえをゼフィアと戦わせる前に疲労させてどうする? この神殿の神官と神官見習いの大半は、これからそこに向かってもらうことになる」
「でも、そこに私は参加しないんだよね」
「そうだ。 おまえには別の使命がある」
司祭はララティアの顔を見た。そしてララティアの肩に手を置いた。
「おまえは、この少年とともにゼフィアを倒すのだ」
「それって――」
「むろん、不安もある。 何故だかはわからぬが、おまえには星の女神から力を借りる魔法、そう星の魔法しか使えない。 だが、それを補ってあまりある潜在能力があるのも確かだ。 その力は、必ず我々にもたられた勇者様のお役に立つだろう」
司祭がそう告げると、ララティアは司祭の隣にいる少年をまじまじと見つめた。
「勇者って、その人のこと?」
「そうだ。 ――ララティア」
司祭はララティアの顔を見た。
「おまえは今日から、聖女と名乗るのだ」
神殿を出発前、ララティアは少年に尋ね、少年はララティアに答えた。
「ねえねえ、あなたの名前って何って言うの?」
「クラナドだよ」
「クラナドは何処から来たの? どうしてここに来たの?」
「・・・・・・・・・・」
「ねえってば!」
ララティアはしつこくクラナドの素性を聞いたが、彼は何ひとつ答えてはくれなかった。
そのうちにララティアはあきらめ、質問を変えることにした。
「じゃあ、ゼフィアっていう人って、どんな人か会ったことある?」
「・・・・・どんな人なのかは知っているけれど」
「そうなんだ!」
と、ララティアは感嘆の声を漏らした。
「クラナド、そのゼフィアって人と戦ったことがあるんだね!」
「・・・・・いや、違う」
ララティアは首を傾げた。
「違うの? なら、どうやって出会ったの?」
その話題には触れられたくなかったので、クラナドはずっと黙っていた。でも、一向に彼女が諦める気配がないのが分かると、仕方なく重い口を開いた。
「・・・・・会ったことはないけれど、その、ゼフィアは、俺の・・・・・姉なんだ。 だから、知っているわけで・・・・・」
「ええっ!? お姉さんなの?」
「・・・・・ああ。 歳の離れた姉だけどな」
「でもでも、ゼフィアっていう人は、私より年下の女の子だって聞いたよ!?」
ララティアは唖然とした。
司祭から、ゼフィアはララティアよりも年下の少女だと聞かされていたからだ。ララティアより年上のクラナドの姉だとはとても信じられなかった。
「・・・・・それには理由があるんだ」
クラナドは押し殺した声でつぶやいた。
「そして、それはゼフィアが天の魔王のミリテリアであるセルウィンと互角に近い力を持っていることの理由にもなっている」
「理由・・・・・?」
「星のまどろみという書記にこんな言葉があるのを知っているか。 『変わりゆく者は永遠の時を手に入れようとするけれど、それは不確実なものにしかすぎない―・・・・・』と。 ・・・・・彼女は、ゼフィアは絶対な力を、そして永遠の時を手に入れようとした結果、その力を使う度に歳が若返ってしまうという副作用のようなものが生じてしまったんだ」
「そんな・・・・・、そんなこと信じられないよ!」
正直な思いを、ララティアは口にした。
「それって、歳を取らなくなるってことでしょう? そんなの信じられないよ!」
「そうだろうな」
クラナドは遠い目をした。
「・・・・・でも、本当のことなんだ。 まして、姉さんの場合、巨大な力を手に入れすぎて――」
何かを言いかけて、クラナドは口をつぐんだ。ララティアにはクラナドが何を言おうとして、何をためらったのかよくわからなかった。しかし、クラナドが沈黙したのはほんの一瞬だけで、彼はすぐ顔を上げて言葉を続けた。
「いや、何でもないさ」
「そうなの?」
「・・・・・ゼフィアはいつか消えてしまうかもしれないな。 俺達が倒さずともいずれ・・・・・」
「えっ・・・・・?」
それはよく耳を傾けていなければわからないほど、微かなつぶやきだった。
クラナド・・・・・?
ララティアはぴりっと張りつめた何かを感じて、目を見張った。
それがララティアがもたらされた少年、クラナドと初めて出会い――そして彼とともに旅をした、最初で最後の旅だった。
ゼフィアとの死闘から、すでに半日が過ぎていた。あの大敗北の後、アグリーはリアク達と協力して、意識を失ってしまったラト達をアズリアの街へと運んだ。
傷だらけになってしまったラト達の姿に、ラストとミューズは大変驚いたが、すぐさま、夢月の女神であるリーティングがいる地の魔王の城へと向かい、緊急に治療が行われた。幸い、ラト達の傷は命に関わるものではなかった。だが一応リーティングから安静にしているよう言い渡され、その後、ラト達はずっと寝込んだままだ。ララティアもまだ意識を取り戻したラトとまともに会話を交わしていなかった。・・・・・いや、本当のことを言えば、ララティアの方もラトと顔を合わせるのを避けていた。
「ねーねー、ララティアさん」
城の廊下の窓際で、ラトの部屋の方を眺めながらララティアがロールケーキを食べていると、誰かが服の裾を引っ張った。
見ると、赤いツインテールの少女がそこにはいた。
「・・・・・えっと、ティナーちゃん・・・・・だったっけ?」
「うん! よろしくね! ララティアさん」
ティナーは即答し、意味ありげにララティアを見た。
「ねえ、ララティアさんって、ラトさんのこと、すっーごくすっーごく心配そうだね?」
「・・・・・うん」
ララティアはうつむいたまま、こくりと小さく頷いた。
「大丈夫だよ、ラトさんなら!」
「う・・・・・ん・・・・・」
ララティアは力なくかぶりを振ると、ぽつりとつぶやいた。ティナーに視線を向けないまま。
「・・・・・でも、私、やっぱり、ゼフィア先生には全く歯が立たなかった・・・・・。 何とかなるってお父さんには言ったのに・・・・・」
確かにラト達の身体の傷は大したものではなかった。命に別状はなく、後遺症の残るたぐいのものではない。その気になれば、ラト達は今すぐにでもベットから這い出し、以前と同じように生活することもできるだろう。だが、肉体ではなく精神的な面で、ララティアは損なわれ、苦しんでいた。
リアク達が登場した後、「今日はやーめた」の一言を残して、ゼフィアはさっさと立ち去ってしまったのだ。だから、ラト達は意識を失いはしたし、それなりの傷を受けたが、こうしてわずかな期間で全快することができた。
でも、ゼフィア先生にはまるで歯が立たなかった。全く太刀打ちすることができなかった。
同じミリテリアマスターなのに――。
これから自分はどうすればいいのか?
ララティアはそれすらも分からなくなってしまう。その不安、その迷いが、ララティアをこの廊下に縛り付けているのだった。
ララティアは、ティナーから顔を背けたまま、深い溜息をついた。
と、そのときだった。
突然、ティナーがじっとララティアの顔を覗き込んできたのだ。
驚き、ララティアはティナーの顔を見た。
「ねえ、ララティアさん」
「えっ?」
「この本って何の本だと思う?」
ティナーが一冊の本を手に取り、にこやかに尋ねた。
「確か、『星のまどろみ』っていう書記だって、さっき、アクアさんから教えてもらったよ」
ララティアは、先程出会ったアクアとの会話を思い出した。ここに来る前のことである。
「ほしのまどろみ?」
「はい」
一冊の本を片手にとって、アクアはにっこりと微笑んだ。
かって書斎として使われていた薄暗い部屋は、今ではララティアの仮住まいとなっている。
本当はもっといい部屋があったのだが、ララティア自身、どこか赴きのあるこの部屋に興味をそそがれてしまったのだ。何よりも夜になると、この部屋の天井がプラネタリウムのようにライトアップされるのが最大の魅力だ。
「この書記の最後に興味深いことが書かれていたりするんです・・・・・」
アクアはそう言うと、何かを願うように天に祈りを降り仰いだ。
「そうなんですか?」
ララティアは不思議そうに首を横に傾げた。
そして、ためらいがちに訊いた。
「でも、どんなことが書かれていたりするんですか?」
「・・・・・6人の神々―。 それは変わらない者―。 歳も取らず、姿形も変わらない。 永遠の時を生きる者達。 変わりゆく者は彼らに憧れを抱くけれど、彼らもまた、変わりゆく者に憧れを抱いたのかもしれない―。 変わりゆく者は永遠の時を手に入れようとするけれど、それは不確実なものにしかすぎない―・・・・・」
「えっ?」
本の一文を読んで聞かせてくれたアクアに、ララティアは肩すかしを喰らった顔になってしまった。
そんなララティアに、アクアはにっこりと笑みを浮かべて言った。
「・・・・・確実にできることなんてないんですよ」
「あっ・・・・・」
ララティアはハッと息を呑んだ。
「・・・・・そうだ。 確実にできることなんてないんだ」
「うん!」
ぼうっとつぶやいたララティアに、ティナーはえへへと笑った。
「だから、今回、だめだったとしても、何度も挑戦すればきっと、そのゼフィア先生を止められるかもしれないよ! もし、それでもだめだったとしても、きっと倒す以外に方法があると思うもの!」
「そうだね!」
ララティアはティナーの台詞に嬉しそうに何度も頷く。しかし、それからすぐに表情を曇らせた。
「・・・・・でも、倒す以外にどうすれば、いいんだろう・・・・・」
ティナーは身じろぎもせず、きっぱりと言い放った。
「未来の世界から来た人なんだから、未来の世界に戻してしまうとかは!」
口にしながら、ティナーは我ながらいい考えだと目を輝かせた。
「ええっ――――!!!!!」
「なにぃぃぃぃぃ――――!!!!!」
思いもしなかったティナーの提案に、ララティアは目を丸くして絶叫した。
だがその直後、それ以上の――だがどこか聞き覚えのある叫び声が城内に響き渡ったのだった。
「お父さんっ!」
そこには扉を開け、部屋を出たラトの姿があった。
情けないところを見せてしまったせいだろう。久しぶりにララティアと顔を合わせたかのように、ラトは何だか気恥ずかしさを覚えた。その気恥ずかしさを隠すために、ラトはあえて笑顔をつくり右手を上げた。
「ララティア」
と、ラトは言った。
「・・・・・もう、いいの?」
ひどく真剣な顔で、ララティアは言った。
「まあな」
と答え、ラトはララティアの隣に腰を降ろした。
「心配するな」
「うん・・・・・!」
と、ララティアはかすかに微笑み頷いた。
「・・・・・でも、戻すって言ってもどうやって未来に戻したらいいんだろう」
「本当にな・・・・・」
ラトとララティアは表情を曇らせる。
「それは大丈夫だと思うよ!」
「「はあっ???」」
ティナーの意外なセリフに、ラトとララティアは顔を見合わせた。
「どういう――」
ラトはティナーに声をかけようとした。
だが、それよりも早く、ティナーは言った。
「レー兄にお願いしたら何とかなると思うよ!」
ララティアと肩を並べて、大きな杖をかまえながら、ティナーはそう言って笑いかけた。
その日は何かしら不穏な空気に満ちていた。
朝、コーヒーを飲んでいたら、コーヒーカップがペキリと割れた。
空を見上げていたら、いきなり、アグリー達がドカドカと見知らぬ者達を運びこんできた。
朝からティナーが一度も姿を現さない。 レークスはひとり、地の魔王の城の中で、ふんぞり返って時間を過ごしていた。
「・・・・・まったく、ティナーの奴は一体どこへ行ったのだ? アグリー達も、勝手し放題しおって、顔を見せたら、即刻、縛り首にしてやらねばいかん!!」
コンコン。コンコン。
アグリー達が戻ってきた。
「来たか! 喰らえ!!」
ドアを何者かがノックした瞬間、レークスはそう判断した。何しろ、ティナーがノックをした覚えはほとんどない。瞬時に炎の球を作り出し、ドアへと放った。
スベンバシンッッ!!
「な、なんだぁ!?」
勢いよくドアはぶち抜かれた。ノックしていた人間は、その衝撃をもろに受け、思いっきり吹き飛んだドアの下敷きになってしまった。
「どうだアグリー、分かったか! 俺に無断で城を空けたり、何者かを運び込んだりするからこんなことに――ん? なんだぁ、だと?」
恐る恐るレークスはそのまま倒れているドアの下を覗き込んだ。下から聞こえた口調も声色も、まるでアグリーのものとは異なっていたからだ。ゆっくりとドアを持ち上げると、そこには目を回した見慣れぬ生物の姿があった。
唖然として、レークスは言った。
「だ、誰だ、貴様?」
「何で、俺がこんな目に・・・・・」
へなへなと、倒れた生物は助けを求めるかのように右手を差し出した。
レークスは憤慨した。
「ええーい! アグリーの真似などまぎらわしいことをしおって! 貴様のせいでドアが取れてしまったではないか!」
レークスの台詞に、彼の頬が小刻みに痙攣した。
「・・・・・ち、違うわーい! どうして俺がそんなよく分からない奴の真似なんてしなくてはならないんだ! それにドアが取れたのは自分のせいだろうが!!」
「言い訳をするな! 謎の生物め!」
「謎の生物じゃないわい! ガキ!」
「いい加減、俺を子供扱いするな!」 二人の次元を超えた(?)言い争いはいつまでもいつまでも続くかのようだった。
その様子を見つめていたララティアが、少し戸惑い気味の顔でつぶやいた。
「・・・・・お父さんと地の魔王さんって仲良くなるのが早いんだね。 それにしても、これっていつまで続くのかな?」
「うーん、さあ?」
と、ティナーがにっこりと笑って答えた。
結局、ラトとレークスの言い争いは、お互いの声が嗄れるまで続けられたのだった・・・・・。
「何なんだ、ここの連中は!」
「お父さん、落ち着いてよ」
テーブルにのしかかり、ラトが毒づくと、ララティアがラトの肩を慰めるように軽く叩いた。
「落ち着いていられるか!」
ララティアの言葉にもラトの心は休まらず、ラトはテーブルの上の水の入ったコップに手を伸ばして一気にぐびぐびっといった。
地の魔王の城の中には本当にいろいろな施設がある。ラトとララティアがいるのはこの城の一角にある、食堂だった。一日中、続いたレークスとの言い争い(説明)を終え、心身ともに疲弊したラトを気づかって、ティナーが案内してくれたのだ。
「ここの食堂の料理はね、結構、おいしいんだよ❤」
というティナーの説明どおり、それほど広いとは言えない店内は人々で溢れ返っていた。
でも実際のところ、人よりも魔族や魔物の方が多かったのだが。
そんな店内で、ラトはララティアに思いのたけをぶつけていた。ぶつけずにはいられないほど、ラトの胸のうちには不満が強く渦巻いていたのである。
「一体、ここの連中は俺達を何だと思っているんだ! 突然、柱の上から登場する変な男がいると思えば、いきなり攻撃してくる『地の魔王』だと名乗るガキもいる」
「大丈夫だよ、きっと! そのうち慣れるよ!」
「こんな奴ら、慣れたくないわい! ・・・・・それにしても、何で俺達はこんなところにいるんだ? まるで逃げてきたみたいじゃないか!」
「そうだよ」
ララティアは急に冷静な声で言った。
「だって、私達、ゼフィア先生に負けたんだもの・・・・・」
「た、確かに俺達は負けたかもしれないが、先に潜入した他の連中もいただろうが! そいつらは――」
「・・・・・負けたの、その人達も・・・・・。 その人達はアズリアの街の方で静養しているみたいだけど・・・・・」
ラトの台詞をさえぎって、ララティアはぽつりと言葉を漏らした。
ララティアの言うことも、少しだけ理解はできた。
確かに、俺達が潜入した時にゼフィアが出迎えれられたことから、他の連中はやられていたと考えるのが普通かもしれない。
でも、だけど、最初の疑問に戻ってしまうけれど、一体、どうやってゼフィアを倒せばいいんだ?
ルカ達や名のある英雄達の攻撃ですら、傷一つつけられなかった相手。地の魔王や時音の女神、またはミリテリアの力で何とかなる相手とは、俺にはどうしても思えない。セルウィンですら、勝てない相手なのに。
「まあ、でもね、ここの人達って意外といい人達ばかりなんだよ! ほら、お父さん、あの人を見てよ!」
ラトはララティアが指さした方向に顔を向けた。そして訊いた。
「おい、あの人って・・・・・?」
どうして俺がそんなふうに念を押したのか?
ララティアの示した方向には小さな調理場のようなものがあって、そこから金色の髪の少年が注文を取りに行こうとしていた。年はララティアよりも年上だろうか。でも、ずいぶん愛らしいクリーム色のエプロンに身を包んでいるため、実際の年齢より幼く見えてしまう。
「アグリーさんっていうんだって! 『光の勇者』さんなんだよ!」
・・・・・エプロンを身につけた・・・・・光・・・・・光の勇者ねえ・・・・・。
「アグリーさん達が私達を助けてくれたんだよ! ここまで運んでくれたのもアグリーさん達だし!」
「・・・・・そ、そうなのか」
などとララティアがラトに説明している間に、「ハンバーグ定食、二つ!」とカウンタ越しに注文を言い残して、アグリーは調理場に入っていった。
というか、ハンバーグ定食とかもあるのか?
「そういえば、お父さんは何か注文をしないの?」
「・・・・・おまえはいいのか・・・・・って、もう注文しているのか!?」
ラトは我が目を疑った。
ララティアの前には、先程廊下で食べていたロールケーキと幾分変わらない、同じロールケーキが置かれていたのだ。
いくら本当のお母さんであるフロティアの大好物だからって、娘のララティアも食べる必要はないと思うが。というか、もしかすると、同じものを好きになる遺伝とかでもあるのか?
わけのわからないことで悩みながら、ラトはとにかく何か頼もうと、メニューに目を落とした。
「おまえ、本当にロールケーキが好きなんだな・・・・・」 うわぉっ!
と気を抜いていたラトはいきなり聞こえてきた声に驚き、口をパクパク心臓バクバクさせてしまった。
視線をやると、ララティアの横に小柄な少年が立っていた。ララティアより年下だろうか。あどけなさが漂う大きな青い瞳と銀色の髪が特徴的だった。水色の服を身にまとい、その上から少し大きめのクリスタルのペンダントをかけている。。そしてその手には、料理に使うにしては少し大きいフライパンを持っていた。
ラトは呆然とその少年を見つめていた。ラトの心臓がバクバクとラトの意志と一切関係なくわめきちらしていたのは、何も突然その少年が話しかけてきたからというばかりではなかった。
「・・・・・おまえ、あの時の!?」
そうなのだ! その少年は先程までラトと言い争いという名のバトルを繰り広げた、自称『地の魔王』の少年だったのだ。
「というか、何でこんなところにいるんだ?」
「そ、そんなこと、貴様らには関係ないだろうが!!」
ピシャリ。
レークスはラトの言葉をさえぎった。
まさか、こいつも、ここで料理をふるまっていたのか?!
あまりの動揺を隠せずにいるその振る舞いから、ラトはそう推測した。
レークスはそんなラトの様子などおかまいなしにテーブルから身を乗り出して言った。
「そんなことより、貴様。 聞けば、ゼフィアとかいう奴を未来に戻したいらしいな」
「できるのか?」
「地の魔王である俺に不可能はない!」
実のところ、この時になってもまだ俺は、こいつが何者なのか、さっぱり理解してはいなかった。どうも本当に地の魔王らしい。とにかく生意気なガキだ。俺に分かっていたのはその二点だけだった。でも、それを言い出したらまた話がややこしくなるし、こいつの機嫌を損ねてしまうかもしれない。
たとえ、本当にそうなったとしても俺としてはどうでもいいことだったりするので構わないのだが・・・・・まあ、全く話が進まなくなりそうな気もするが。
俺は言葉を押し殺し、とにかく大声で叫んだ。
「そ、そのとおりだな!!」
「だが、この俺が出向いて未来の世界に戻すことは、ある意味、そいつの思惑どおりに動くことになって気に入らん。 ――そこでだ、ティナー?」
「はぁ〜い」
陽気な返事をして現れたティナーが何かを取り出し、テーブルの上に置いた。紙の束だ。一枚目の紙にはでかでかと《雇用契約書》という文字が躍っていた。
ララティアが訊いた。
「何ですか? これって」
「どうせ、貴様らも先に行った連中と同じく、そのゼフィアのもとに行くのだろう。 そうだな? ならば、貴様らがこの俺の家来になるのなら、俺達も行ってやっても構わん」
話の流れが理解できなくて、ラトは口を半開きにしたまま、じっとレークスの顔を眺めていた。
ラトのまぬけ面に気分を害したようで、レークスは眉をしかめて言った。
「貴様らが誠心誠意、俺に尽くすのなら、俺も行ってやってもいい、と言っておるのだ」
「はあっ・・・・・」
答えて、ラトは尋ねた。
「家来になれって言われても、何をするんだ?」
「アグリーさん達みたいなことかな」
とこれはティナーだ。
「つまり、私達の仲間になってほしいってことだよ!」
家来ね。家来というか、何か雑用係のようなことをしていたような気がするが。
「断っておくが、貴様に選択権などないのだぞ」
悩むラトに、冷水を浴びせるようにレークスが言った。
「すでに貴様の娘のララティアが、貴様のサインまでもしてしまったのだからな」
「なにぃぃぃ―――――!!!!!」
慌てて叫ぶラトを尻目に、いつのまにか交渉は成立。雇用契約書の最後の一枚の一番下の部分にララティアの字で二人分の名前が書かれていた。
「よし、これで貴様らも俺の家来だ」
その時、ラトは大事なことを聞き忘れていることに気がついた。
「でも、どうやってゼフィアを未来の世界に戻すんだ? それに、どうして未来の世界でのセルウィンは、ミリテリアの力を使うことができるんだ?」
「・・・・・セルウィンが未来の世界でもミリテリアの力を使えるのは、恐らくフレイムの気まぐれだろう」
「じょ・・・・・、冗談だろう?!」
のんびりとそう言うレークスに、ラトは思わず絶句した。
「俺は冗談は好かぬ」
「まあ、実際、何で未来の世界では六人の神々が始まりの地に戻ってしまったのかもよく分からないしね!」
と、ティナーが嬉しそうな声で追い打ちをかける。
というと、何だ。天の魔王、フレイムとその時、ちょうどやってきたゼフィアの気まぐれが重なったせいで、未来の世界は危機に陥っているというのか!?
そんなことのために、未来の世界は危機に陥っているのかよ!!
がっくりと肩を落とすラトに、ララティアが気楽な調子で声をかけた。
「よかったね、お父さん。 一つ、謎が解けて!!」
解けてないわい!
四万歩譲ったとしても、これは解けたとは言わんわい!
「ゼフィアを未来の世界に戻す方法は、強制移動をさせた後 ネブレストの森を封じればいいだろう! さっさと行くぞ、謎の生物! 俺のもとに来たからには、のんびりしている暇はないぞ!」
「おい! 『謎の生物』って何だ? それって、まさか俺のことなのか? ・・・・・っておい、俺の名前はラトだ! ラトなんだぁぁぁ―――――!!!!!」
そんなラトの叫びはむなしく、ただ地の魔王の城に響き渡るだけだったのだ。
傾きかけた日の光で赤土色に染まったゼフィアの城。
「お父さん、先に行ったルカさん達を助けよう!」
「ああ。 それにしても俺達を無視して先に行くとはかなり無茶する奴らだな」
「お父さんほどじゃないと思うよ!」
「なにぃ!?」
にっこりと笑うララティアに、ラトは肩すくめて怒鳴る。
ふとその時、思い出したかのようにララティアは手をポンッと叩いた。
「そういえば、えびこさん、今頃、どこにいるのかな?」
「さあな」
ララティアの言葉もどこ吹く風という感じで、ラトは無表情にそう答えた。
「ここにいるっス!」
ババァンッ!!
まるで見計らったかのように、えびこがラト達の前に進み出た。
瞳をきらめかせ、満面の笑顔を浮かべて、えびこはビシッとポーズを決めてみせた。折良く風が吹き、見事な尻尾が優雅(?)になびく・・・・・のか??
「お久しぶりっス! 頑張っているっスか?」
「頑張っているっスよ!」
ララティアがそれを見て、嬉しそうに右手を上げて応える。
だが、対照的にラトは嫌そうに顔を背けた。
「貴様っ! なんでここにいるんだ!」
「もちろん、救援に来たっスよ!」
「来るなよ!」
ラトは吐き捨てるように言った。
こいつが来ると、いつも俺はとんでもない目に遭わされることになるのだ。きっと、今回もゼフィアを未来の世界に戻すどころではなくなるような気がする。いや、間違いなく。
「わ―い! えびこさんだ! えびこさんだ!」 ラトの思いなど露知らず、ララティアは喜びの表情でとび跳ねた。
「で、今までどこで何をしていたんだ?」
ラトは仕切りなおすと、とりあえず、話を聞いてみた。
えびこはその態度が気に入ったのか、鷹揚に頷き、笑顔を浮かべる。
「未来の世界に戻って、ゼフィアとの初恋の思い出を甦らせていたっス!」
「はあ?」
ラトは思わず、目を丸くした。
えびこはそれを見て、満足げに頷いてみせる。
「ゼフィアは、えびこの初恋の人っス!」
「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
「ええっっっっっっっっっっっ!」 言葉の違いはあるものの、ラトとララティアは思いっきり声を合わせていた。
知り合いだと訊いてはいたが、それにしてはあまりに意外な台詞である。
「ゼフィアが異界からこの世界“アーツ”に来た時、えびこは彼女にひとめぼれしてしまったっスー。 それで何とか気づいてもらおうと思って、『恋に落ちた』と『鯉が落ちた』とをひっかけて、湖に鯉を落としてギャクってみたのに、彼女は全く気がついてくれなかったっスよ・・・・・」
「いきなり、そんなことやってわかるかよ!」
「・・・・・でも、そんなことで諦めるえびこじゃないっス!」
ラトの言葉をさえぎって、えびこはバツが悪そうに大きな汗をかくと、さっと話を続けた。しらじらしいえびこの態度に、ラトはげんなりとする。
「聞けよ!」
「そんな彼女に、『そうだ、時間をかける時の旅人になろうっス!』と言ったっスよ!!」
「また、わけのわからんことを・・・・・」
と、ラトはすかさず言葉を挟む。
「『じかんをかける、ときのたびびと』と『じかたび』・・・・・見事にマッチしていると思ったのに、これまた、大きくはずしてしまったっスよ・・・・・」
「何のためにやっていることなんだぁぁぁぁぁっっ―――――!!!」
ラトは思わずカッと血を頭に上らせて、そう叫んでしまったのだった。
真新しいドレス姿のゼフィアが玉座に腰をかけようとしたその時、玉座の間のドアが、何者かによって大きく蹴り開けられた。再びゼフィアのもとに戻ってきた、ラトとララティアである。
「あら? 今日はお客さんが多いわねー」
真新しいドレスに身を包んだゼフィアが、ひらりと大仰な仕草でくるりと回った。
玉座の周囲には、ルカとアリエールが荒い呼吸をたてながらかろうじて立っている。
ゼフィアはわざとらしく間をおいて、くすりと笑みを浮かべた。
「・・・・・ってよく見たら、ララティア達じゃん〜♪ また、来たの」
「貴様、俺達の登場を、友達感覚で表現するなぁぁぁっ!」
「お父さん、だめだよっ! さっき、レークスさんが言った作戦どおりにしなくちゃ!」
「・・・・・じょ、条件反射だ、仕方ないだろうっ!」 あからさまな挑発に剣を抜きかけたラトを、ララティアは慌てて止めた。
途端に、ルカとアリエールは首を傾げる。一体、どんな作戦があるというのか。彼らの目は明らかにそう言っていた。
気を取り直し、ラトはゼフィアに見下しきった言葉を浴びせかけた。できるだけねちっこく。
「残念だったな、ゼフィア。 俺達は遊びに来たのでも物見遊山に来たのでもないわい! 貧相極まりないへなちょこのお子様から、この世界を守るために来たのだからな!」
「なっ!」
「貴様がミリテリアマスターに憧れるのも分かるけれどな、それは選ばれた者だけがなることを許される存在だ。 わざわざ過去にまで来て城を作り、玉座に座ってミリテリア気分を味わおうとするお子様には、もったいないわい!」
「なっ、なっ、何ですってっ!」
ラトは小枝のようなしなやかさでふんぞり返り、高らかにこう宣言した。
「さあ、ゼフィア! そんなしみったれた行為をするくらいなら、もう一度、俺達と勝負しろ!」
「・・・・・いっ、言われなくてもそうするわ!」
耐えかねたゼフィアが立ち上がり、魔法を放とうとする。ラト達は剣に手すらかけず、いきなり背を向け走り出した。
「なに、逃げる気?」
追いすがって魔法を放つ態勢に入ったゼフィアの足元を狙って、
「えぇいっ!」
ララティアは両手いっぱいのビー玉を投げつけた。
「きゃあ!」
ラトに意識を向けていたゼフィアは、見事に足を取られて転倒した。色とりどりのビー玉とゼフィアという、敵ながらとてつもなく愛らしい組み合わせに、思わずルカ達は笑みをこぼした。
その隙に、ラト達は廊下へ一気に走り出た。
屈辱で、顔を真っ赤に染めたゼフィアが、距離を縮めようと、呪文を唱えようとする。その頭上に、ばしゃあっ! と水が降りかかる。
「やっぱり、初恋は実らないものっスね・・・・・」
掃除用のバケツを抱えたえびこが、清々しい笑顔をみせた。
まあ、あれでは実るはずもないが・・・・・。
「なっ、なんなのよ! もう!」
今の横やりのせいで、練り上げた魔力は霧散してしまった。反撃しようとしたゼフィアに、今度はララティアが入り口の方から、ひらひらと手を振る。
「迷子になっちゃったの? ゼフィア先生。 私達はこっちだよ!」
「なっ・・・・・!」
ゼフィアの顔が再び真っ赤に染まり、両拳をぎゅっと握りしめた。
「一体、何がしたいの、ララティアっ!?」
「・・・・・それにしても何だかむなしくないか、この作戦?」
「えー、私はいいと思うよ。 結構、楽しいし」
「そうか? 俺には果てしなくまどろっこしく感じるのだが・・・・・」
城の外を疾走しながらぼやいたラトに、ララティアは微笑んだ。
ラト達は、レークスが創り出した移動用の魔法陣を使って、ゼフィアをネブレストの森へおびき出そうとしていた。
言い出しっぺはもちろんレークス。普通に未来の世界に強制送還しただけでは、また、この時代にゼフィアが戻ってきてしまうだろう。それだけは絶対に避けたかったのだ。
手を替え品を替え挑発し、ゼフィアに悟られないようにじりじりとネブレストの森を目指す。旧都ソルレオンでラミさんからビー玉をもらったのが、思いがけず役に立って嬉しい。
きっと、大丈夫だよ!
ララティアは確信に満ちた表情で、魔法陣を走り抜けていった。
「・・・・・まいったわね」
城に取り残されたかたちとなったアリエールは、目を丸くして頭をかいた。
一緒にいたルカも、一様に驚きを隠せずにいる。
「一体、何をするつもりだ・・・・・?」
「・・・・・さあ」
ルカの言葉に、アリエールは落ち着きのあるような声でそう答えた。
そしてルカとともに、城の外の方へと向かい始める。
「こんな姿見せられたら、私達も頑張らないといけないわね・・・・・」
それはよく耳を傾けていなければわからないほど微かなつぶやきだった。
――そろそろいいだろう。
ラトはネブレストの森の奥でぴたりと足を止めた。
レークスの願い(命令?)を受けて、今にも飛びかかりたくなるのをこらえてはみたが、もうそろそろ限界だ。ここまでゼフィアに手をかけずに済んだのも、奇跡に近い。
今度こそ本当の、そして最後の勝負のときである。
「いい加減しなさい、ララティア!」
怒り心頭のゼフィアは、見るからにみずぼらしい姿と化していた。得意げに翻していたドレスは、水で体に張りつき、無残なものである。ふわふわだった髪の毛の先からも、ぽたぽた水滴が垂れていた。
自分達がやったこととはいえ、何だか申し訳ない気持ちになりながらも、ラトは失笑した。
「未来の世界の支配者が無様だな」
「ゼフィア先生、ごめんね・・・・・」 背後から、心配そうなララティアの声もした。
「ぜんぶー、あなた達のせいでしょうが! もう、許さないんだから!」
ゼフィアがすっと、手のひらを前に突き出す。
「ひっかかるおまえもおまえだろうが!」
呆れ果てながら、ラトも愛用の剣をようやく抜き払う。
「ごめんなさい。 ・・・・・私、ゼフィア先生のこと、すごく感謝しているよ」
ララティアは力なくかぶりを振ると、ぽつんとそう言った。
「じゃあ、私の邪魔をしないでどっかに行ってよ!」
「それはできないよ。 だって気がついちゃったから! 逃げてばかりじゃだめだって。 立ち向かわなくてはだめだってことを。 それを気がつかせてくれたのは、お父さんやみんなだよ!」
「ララティア・・・・・」
ラトは嬉しそうにそっぽを向いて、鼻先をかいた。その顔がほんのり赤いのを、ララティアは見逃さなかった。
「私には、どうしてゼフィア先生がこの時代に来てまでミリテリアマスターになろうとしたのか、よく分からない。 でもずっと考えて、一つだけ理解していることがあるの」
「なによー」
不機嫌そうに、ゼフィアはムッと表情を曇らせた。
「ゼフィア先生が、セルウィンのことを恐れているってこと」
「なっ、私がセルウィンの何に恐れるっていうのよ!? 何も恐れることなんてないのに!」
ゼフィアは動揺のあまり、さっと顔色を変えた。そのうろたえ方にララティアはますます自分の考えを確信した。
「そんなの嘘だよ! ゼフィア先生は、自分では決して持つことが叶わない、セルウィンの天のミリテリアの力を恐れているんだよ!」
ララティアは身じろぎもせず、きっぱりと言い放った。
「・・・・・どうしてっ、どうして私がセルウィンなんかを恐れなくちゃならないのよ! セルウィンより私の方が強いのに!」
「それだよっ! 気づいている、ゼフィア先生。 よく自分で『セルウィンより強い』って言っていることを!」
ララティアはすっとゼフィアの目をのぞきこんだ。
ゼフィアは視線を逸らそうとするが、この近距離ではうまく逸らせない。
「・・・・・私、クラナドから聞いたよ。 ゼフィア先生が絶対な力を、そして永遠の時を手に入れようとした結果、その力を使う度に歳が若返ってしまうという副作用のようなものが生じてしまったってことを・・・・・」
「なにぃ!?」
ラトは驚いた。
だってそうだろう?
いきなり、絶対な力を手に入れたために、歳が若返ってしまうようになったんだよ、って言われては、俺でなくても驚くに決まっている。
ところがそんなラトを、再び動揺させることをララティアは言った。
「クラナドはずっと、ゼフィア先生と会いたがっていたよ! ずっと、お姉さんに会いたがっていたんだよ! 結局、あの時は、私もクラナドもゼフィア先生に会えずじまいだったけれど・・・・・」
「なっ、なんだと!」
ラトは思わず、驚愕する。
ゼフィアに弟がいたのかよ!?
ララティアはラトの戸惑いなんて関係ないようで、続けざまに言った。
「ゼフィア先生には、もう一度、クラナドに会ってほしい。 だから、私はゼフィア先生を未来の世界に戻すよ!」
ララティアは重く息をつくと、はじけるように笑った。
「よし、行くぞ!」
「はい」
ゼフィアの前に、森の中に隠れていたレークスとミューズは緊張した面持ちで並び立った。背中に少し離れたところで見守るティナー達の視線を感じた。
まず、ミューズが強制送還の呪文を唱える。ラトにはわからないが、彼女からまばゆい光が溢れていくのを感じていた。
「レークスさん――」
ララティアは両手を胸に当て強く握りしめると、すうっと大きく息を吸い込んだ。
「ゼフィア先生をお願いします」
ララティアはしゃんと背筋を伸ばし、深々とお辞儀した。
「・・・・・・」
腕を組み、レークスはあらぬ方向を向いた。耳の先まで火照らせたままで。
「高くつくぞ。 覚悟しておけ」
「はいっ!」
ララティアもつやつやした頬を染め、はにかむように笑った。
それを見て、ゼフィアはくすりと笑った。
「もしかして、強制送還でもする気? そんなことしても無駄よ! この森がある限り、何度でも――まさかっ!」
ゼフィアはハッとした。
レークスも封印の呪文を唱え始める。厳かながら力強い響きの呪文だ。
このネブレストの森に秘められた、時を越える力を封じるための魔法だ。
「そ、そんなこと、させないわよ!」
瞬時に自らの状況を察したのか、ゼフィアは慌てて森の外へと手を伸ばした。が、もう遅い。既に完成した結界の電撃にはじかれ、ゼフィアは苦悶の声をあげた。
ラトはそれを見て、目を丸くしてしまう。
「一応、地の魔王というだけはあるな」
あの一瞬で、封印の魔法を唱えてしまうのは大したものである。
「俺の勝ちだな、ゼフィア」
ラトは力強くそう宣言した。
だが、実際のところ、ラトは何もしていなかったりする。
「ラスト!」
「ああ」
ラストとミューズは頷き合い、バッと片手を天へ向けた。
「終わりだ」
「この者を元の時へ――」
漆黒の闇と空間塗りつぶすほどの閃光が混じり合い、うねり、柱となって天へと突き刺さる。
「や、やめてっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!」
ゼフィアの絶叫が黒白の力の奔流に呑みこまれていく。
おぉぉぉ・・・・・ん・・・・・。
断末魔の名残なのか、気流の音なのか。どちらともつかない唸りをあげて、流れは空へと消えていく。まるで、天へと昇る竜のように――。 辺りが痛いほどの静寂に包まれる。
ララティアは静かに、ゼフィアがいた場所を眺めていた。ゼフィアを飲み込んだ場所の跡には、一枚の葉が落ちている。
「あっ?」
手にとって、ララティアはハッとした。
これって・・・・・プリカの葉!
巨大な霊力の名残が感じられる葉。何度見ても間違いなくプリカの葉である。
「ゼフィアが落としていったのか・・・・・」
ラトはまじまじとプリカの葉を見つめる。
その様子を傍観していたリアクはしばらくぽかんとしていたが、やがて口元をゆるめた。顔がどんどん輝いていく。
「・・・・・ハーッハッハッハッハッハッ! 実にいい気味だっ! ゼフィア、どうやら俺様の勝ちのようだなっ!」
がばっと立ち上がって、リアクは豪快に笑い始めた。その高笑いに、アグリーとアクアは顔をしかめる。
「リアク・・・・・、何かしたのか?」
「さ、さあ・・・・・?」
アグリーとアクアは不可解そうにリアクを見つめた。
「レー兄、やったね」
「当然の結果だ!」
嬉しそうに手を振るティナーを見て、威厳溢れる声でレークスはそう叫び返した。
「ゼフィア先生、またね・・・・・」
優しい微風の囁きに、ララティアは元気な少年と少女の笑い声を聞いた気がした。
ゼフィアはずっと孤独だった。
長い長い時の流れを、彼女はたった一人で生きてきた。力を手に入れれば、自分は認められると信じ、絶対的な力を求めたこともあった。
時には、友を求めたこともある。時には、家来を召抱えたこともあった。
だが、信用は裏切られ、常に彼女のまわりには孤独のみが存在した。
彼女のミリテリアマスターとしての力を求め、どの世界も数え切れない者達が、彼女に戦いを挑んだ。
彼女の望みはそのようなものではなかったのに。
それに倦み、絶望したからこそ、彼女はこの世界“アーツ”の過去に行くという道を選んだ。
真のミリテリアマスターとなれば、孤独から解放されると希望を抱いて。
だけど、もう、その願いは叶わない。二度と過去の世界にはいけなくなってしまったのだから。
セルウィンが羨ましかった。世界の支配者と言われようと、決して孤独ではない彼が羨ましかった。彼と敵対しながらも、彼の力に彼の強さにずっと憧れていた。決して自分には手に入れることのできないものを持っている彼を――。
・・・・・ん・・・・・さん・・・・・ね・・・・・さん・・・・・。
闇の中で、誰かが彼女のことを懸命に呼んでいた。誰の声だろう。もっとも愛しい、それでいて、どこか痛みを伴っている声。悲しげな響きを伴った声。
・・・・・さ・・・・・ん・・・・・・ね・・・・・さん・・・・・ね・・・・・さん・・・・・
答えなければ。一面の闇にもがきながら、彼女はそう思った。この声に、答えなくてはいけない。彼女は必死に闇であがき、彼女を呼ぶ声に答えようとした。待ってて。今答えるから。必ず答えるから。だから、そんな悲しい声を出さないで!!
「姉さんっっ!!」
目を開けると、目の前には天井の光と涙で瞳を潤ませた弟の顔があった。
彼女はすぐには自分の置かれている状況が理解できなかった。自分が寝ているのはベット。胸にすがりついてくるこの少年は弟のクラナド。
時間が経つにつれて、だんだんゼフィアは様々なことを思い出していった。
「クラナド・・・・・」
「姉さん、無事だったんだな!」
孤独じゃなかったんだー。
抱きついてきた弟をなでつつ、自分も涙をうるませながら、ゼフィアは一番欲しかったものだけは、手に入れられたことを知った。
窓から見える空は、今日もいい具合に青色に染まっている。
あの後、レークスの家臣となったラト達に待っていたのは、地の魔王の城での地獄のような生活だった。
「一体、いつ、終わるんだ、これは?」
ラトがブツブツ文句を言いながらもデッキブラシをかけている音に耳を傾けながら、ララティアは机に向かっていた。
「えっーと・・・・・」
ララティアは何を書こうか考えてから、ペンを走らせる。
ゼフィア騒動からもう一ヶ月が過ぎた。地の魔王の城では毎日が忙しく、見るもの聞くことが珍しいことばかりで毎日があっという間に過ぎてしまう。
そんな中で久しぶりに書く手紙だから色々と書きたいこともあるが、書くまでもないような気もする。
必要最低限のことでいいかなと、ララティアは書き終えてペンを止めた。
と、その時、窓の外からティナーの声が聞こえてきた。
「ララティアさん、そろそろ出かけるよ!」
ララティアは机から離れて、窓から外を見下ろした。
アグリー達が手を振っている。待ちくたびれて、どこか不機嫌そうなレークスの姿も見えた。その脇でティナーが声を張り上げる。
「今日は、レーブンブルクの街に行って、スノーティルの花を探しに行くんだからね!」
「はーい!」
ララティアは手を振って、ティナーに返事をした。
「すぐ、準備していくね」
ララティアは急いで机に戻って手紙の最後に何か書き加えると、四つに折って封筒に入れた。そして荷物を引っつかむと部屋を飛び出し、何故か、廊下にいたえびこに手紙を渡す。
「これ、ラミさんに送っておいてね」
「何で、えびこに頼むんっスか?」
「えっ? だって、そこにいたし・・・・・」
ごく当然のことのように言うララティアに、えびこは悲しげにうなだれた。
「ひっ、ひどいっス・・・・・」
「・・・・・絶対に届けてね」
突如、凄みのある笑みをしたララティアに、えびこは「ひいっ」と悲鳴を上げた。
「ひどすぎるっス―――――!!!!!」
えびこは素っ頓狂な声を上げながら、逃げるように手紙を持ってパタパタ走っていく。
「ひどいのは貴様だろうがっ!」
そこへ、どこからか聞きつけてきたのか、ラトの怒鳴り声が聞こえた。
結局、あの後、レークスの家来になったのは、雇用契約書にサインをしてしまった自分とララティアだけだったというのが、気に入らないらしい。
ラト達がゼフィアをネブレストの森におびき出している時、ルカ達は城に残っていたゼフィアの部下と戦っていた。ラト達が地の魔王の城で働いている時、ルカ達はラト達に軽く挨拶をした後、そのまま旧都ソルレオンに戻ってしまっていた。
そして、肝心の全く役に立たなかったえびこなのだが、この有り様である。
こんなことをするために、俺はゼフィアと戦ったわけではない。そんな不満をラトは抱いたが、今更、そのことをブツブツ言っても始まらないのが現実である。
でも、だけど、これだけはどうしても、ラトは納得ができなかった。
何故、自分だけがここで留守番なのだろうか――?
「じゃあ、お父さん、行ってくるね!」
ラトの気持ちなど露知らず、ララティアは明るく手を振ってそう言った。
そして、ララティアはレークス達のもとに駆けていった。
ラミさんへ
久しぶりだけど、お元気ですか? 私は元気だよ。
この前、ルカさん達が旧都ソルレオンに行くって言っていました。
って、もう会ったよね?
私とお父さんは今、地の魔王さんの城で地の魔王さんの家来になっていたりします。
毎日、大変だけど、楽しいのも事実かな。
ところで・・・・・
ラミさん、もうルカさん達から聞いたかな?
未来の世界に戻れなくなったこと。
ごめんなさい。
でも、未来の世界に戻れなくなったことは辛いけれど、私、もう決めたんです。
お父さんとここで暮らすって。
ラミさんが、ルカさんと同じこの時代に残るって決めたのと同じだと思います。
私・・・・・、お父さんと初めて出会った時のこと、今でも覚えているよ。
お父さん、私が抱きついた時、びっくりして倒れちゃったんだよね。
でも、あの時はとても嬉しかったよ。
あれから色々なことがあったんだよね。
いつも私のそばにはお父さんがいて一緒に泣いたり笑ったりして、すごく楽しかったっけ。
でも、未来の世界に戻ったら、そんな日々ともお別れしちゃう。
そう思ったら、私はこの時代に残りたいと思ってしまったの。
聖女失格かも・・・・・。
でも、後悔はしていません。
私は、この時代でこの世界を救っていこうって決めたんだから――。
それじゃ、ラミさんもたまには地の魔王さんの城に遊びに来て下さい。
ルカさんとアリエールさんにも、よろしくって伝えてね。
ララティア
PS・
お父さん、大好きだよ❤
5巻がなくなりましたので次回から本編に戻ります
5巻のデータは2話分以外紛失していますので2話分掲載以降は少しずつ載せていこうと思います




