④
相変わらず塩対応なマスクウェルは嫌々ながらも、何故かブラック邸に足を運んでくれている。
(きっとわたくしが婚約者だから気を遣ってくれているのね……!それか周りの目が気になるのかしら?)
最近では以前よりもずっと長くブラック邸に留まってくれるようになった。
とはいっても、マスクウェルは一方的に話すファビオラの話を不機嫌そうに聞いているだけ。
しかもマスクウェルは「あまっていたから」とお菓子を持ってきてくれたり「たまたま見つけたから」とドレスを持ってきてくれたりと、神に感謝するほどに嬉しいことがたくさんあったのだが、長くなりそうなのでここでは割愛させていただこう。
ファビオラはというとマスクウェルを見ているだけで幸せが止まらないのだが、一度聞いたことがあった。
「マスクウェル殿下はどうしてわたくしに会いに来てくれるのですか?」
「は…………?」
「理由が知りたいなぁ、と思いまして」
「婚約者だからだろう。それ以外に会う理由があるのか?」
低くて怖い声で言われてしまえば、ファビオラは苦笑いしながら頷くしかなかった。
最近、少し仲良くなれた気がしていたが、やはり気のせいだったようだ。
マスクウェルはファビオラを嫌っている。
その考えはいくらファビオラが変化したとしても変わらないのだろう。
(期待しても無駄なのに……わたくしったらバカね)
ファビオラが考え込んでいる間、マスクウェルが頬を赤く染めていたとも知らずに、大きなすれ違いが起こっていた。
年々、顔まわりのキラキラとした輝きが増しているマスクウェル。
ライトゴールドと赤いメッシュ髪は原作とは違い伸ばすことはなく、前髪はセンター分けにしているせいか知的に見える。
実はファビオラがマスクウェルを『可愛い』と言いすぎたため、前髪を伸ばして大人っぽくみせているのだが、ファビオラはそのことに全く気づかずにマスクウェルはどんな姿も美しいと、その神々しさに感動していた。
琥珀色の瞳に見つめられると涎が口端から溢れるし、まつ毛は人形のように長くてずっと見ていられる。
洗練された仕草は惚れ惚れとしてしまう。
紅茶を飲む時に薄い唇がカップに触れるたびに悶えている。
ファビオラは今日のマスクウェルの姿を、目に焼きつけながらも無意識に熱々の紅茶に砂糖を何個も何個も溶かしながら思っていた。
成長してもマクスウェルの美しさは年々増すばかり。
(はぁ……顔面国宝。こんな日々を週に一回も過ごせるなんて、わたくしはどうしてこんなに幸せなのかしら)
会う頻度は婚約してからは月に一度だったのに、それがいつの間にか三週間に一度、二週間に一度となり、そして今は一週間に一回はマスクウェルの顔面を拝めるというご褒美タイムがやってくる。
何年経っても飽きることはなく、例えるなら噛めば噛むほど味が出るスルメのようなマスクウェルの魅力にどっぷりと浸かっていた。
普通なら何年も過ごしていると、ここが嫌だなぁとか苦手だなぁという部分が出てきてもいいはずなのに、彼に関しては顔面は勿論のこと、ツンとした態度も超塩対応も全て好き過ぎて堪らないのである。
このどうしようもない気持ちは乙女ゲームのファビオラと同じものかもしれないと最近、そう思っている。
今なら『ファビオラ』の気持ちがよくわかるような気がした。
けれど原作のファビオラとは違うのは、ド派手な格好をしておらずマスクウェルが可愛いと言ってくれた清楚な格好を心がけて、マスクウェルを困らせるような我儘も一度も言ってないし、マスクウェルに付き纏っていない。
彼から連絡が来るまで待ち続けるという完全に受身スタイルとなっている。
何より女王様になるのは無理だと気づいたし、男性経験も皆無。
今後の自分のためにもいい人になったほうがいいと思った。
(神様、わたくしには悪役令嬢は無理でした……!ですがその分までしっかりマスクウェルを幸せに導いていきますので、どうぞ最後までよろしくお願いします!)
それに性格を我儘女王様にして髪の毛をツインテールドリルにするのは学園に入学してヒロインが現れてからすればいいという結論に至る。
それにいくら『今日からドリルヘアーにして』と言ってもエマが絶対にやってくれなくなってしまったのだ。
この髪型はエマの協力なしには実現不可能である。
『マスクウェル様のお姿を拝見しやすいようにハーフアップにしますね』
『マスクウェル様を様々な角度から観察できるようにシンプルなドレスにいたしましょう』
そう言われていくうちに、だんだんとエマが言っていることに従っている自分に気づく。
(あれ……?)
彼女に言われるがままマスクウェルを観察する準備は万端で出陣するようになった。
(エマは今日もクール可愛いから……まぁ、いっか!)
ファビオラがエマに小さく手を振ると直ぐに視線を戻すように鋭く睨まれてしまう。
今日もエマはクールで可愛いのである。
最近では「ファビオラお嬢様、少々落ち着きましょう」と優しく声をかけてくれることも増えた。
エマのデレを思い出してファビオラはニヤニヤしていた。
マスクウェルはファビオラのそんな様子を見て、今日も不機嫌そうに紅茶を飲んでいる。
視線を戻すと何故かマスクウェルの機嫌も少しよくなったようだ。
そんな彼を今日もヘラヘラしながら見つめた。
ゲームではいつも笑っているはずのキャラが自分の前だけで超塩対応で超冷たい。
それでも一緒にいられるだけで幸せだと思えるのだから恋とは恐ろしいものである。
(いつもニコニコしている完璧なマスクウェル殿下は、わたくしの前では絶対に笑わない……でもいいのよ!だって愛に生きるって決めたから)
ぽちゃん、ぽちゃんと響く音は、ファビオラが考えている間、ずっと手元から聞こえていた。
それを見ていたマスクウェルの美しすぎる顔が何故か歪んでいる。
それすらも愛おしいのだから、もう末期である。
「ふへへ」
「あのさ、いつまで砂糖を入れるつもり?」
「ぐへへ」
「…………」
「えへへ」
「ファビオラ……砂糖を入れ過ぎだよ」
「……………えっ?」
何となく誰かに名前を呼ばれた気がしたファビオラが手を止めて五秒ほど経っただろうか……そっと顔を上げるとマスクウェルが眉を顰めながらこちらを見ているではないか。
(今、誰がわたくしの名前を呼んだの?)
この場には……この席には二人で座っている。
少し離れた場所では無表情で氷のような視線を向けるエマがいる。
と、いうことはだ。
まさかのまさか……マスクウェルが〝ファビオラ〟と名前を呼んでくれたという結論に至る。
「───ッ!?」
「……?」
あまりの喜びに叫び出したい気持ちを必死で抑え込みながら、ファビオラはブンブンと首を縦に振っていた。
そんな奇行にマスクウェルはいつものようにドン引きしているのか苦い表情を浮かべている。
そして自分を落ち着かせようと目の前にあった紅茶を思いきり飲み込んだ時に衝撃的な事件が起こる。
「ブフォ───ッ!」
「!?!?!?」
砂糖を入れ過ぎて甘くなり過ぎた紅茶が……キラキラと宙を舞った。
視界の片隅に、初めて見るエマの驚いた顔と、すごい速さでファビオラの元に走ってくる姿が見えた。
マスクウェルに紅茶が掛からなかったのは不幸中の幸いといえるだろうか。
そう思ったファビオラの視界が真っ白に染まった。
エマが左手に持っていたナプキンが顔を覆ったのだと気づいてファビオラは思いきり咳き込んだ。
「おうぇ……!」
口元をサッと拭ったエマは、砂糖が山盛りになっていた紅茶のカップを持って音もなく去っていく。
惚れ惚れする身のこなしを見ながら、心の中で拍手していた。
しかし、今はそれどころではないと気付いた瞬間……ファビオラに恐怖が襲う。
チラリとマスクウェルに視線を送ると、そこには…………大きな目を見開いたまま固まる彼の姿があった。
今までにない大失敗に震えが止まらない。
(……わ、わたくし絶対にマスクウェル殿下に嫌われたわ。もう会ってくれないかもしれないっ!やばいやばいやばいやばいやばいッ!)
様々な非難の言葉が脳内に浮かぶ。
マスクウェルとの幸せな時間に浸っていた。
無意識に砂糖を入れ過ぎて紅茶を噴き出す令嬢などこの世界にいるはずがない。
(……ど、どうする?どうする!?考えなさい、ファビオラ!)
何か言わなければと必死に言い訳を探すけれど見つからない。
「あ、あの……さ、さ、砂糖がっ!甘くて、びっくりしてしまいっ」
「…………」
「いつの間にか、カップにいっぱいになっていたんですっ……だから、つい!」
いい言い訳を思いつかないまま瞳を右往左往に動かしながら必死に言い訳をしていた。
しかしマスクウェルは片手を口元に当てて、スッと顔を背けてしまった。
(……き、嫌われたあああぁあっ!)
そう思い、心の中で絶望していた時だった。
「ふっ……」
「…………え?」
「ふっ、あははっ……!」
「???」
何故か大爆笑するマスクウェルの姿を見ながら、ファビオラは呆然としていた。
エマがその隙を見計らって新しい紅茶を淹れて、砂糖を二つカップの中に入れてからテーブルの砂糖瓶を持って去っていく。
恐らく、ファビオラが同じ過ちを繰り返さないためだろう。
マスクウェルはテーブルに顔を伏せて震えながらバシバシと足を叩いている。
困り果ててエマに視線を移すが、やはり何も反応を返してはくれない……クールである。
「あ、あの……マスクウェル殿下?」
「ふふっ、……はぁ」
両腕で腹を押さえるマスクウェルを見ながら恐る恐る声を掛ける。
荒く息を吐き出しながら涙を拭う姿を見て、不覚にも心臓が高鳴っていた。
ファビオラの前で無表情を崩さなかったマスクウェルの笑顔を必死で目に焼き付けていた。
けれどすぐにいつもの表情に戻ってしまい「何見てんだよ」と言いたげな鋭い視線がチクチクと刺さる。
「…………」
「…………」
長い沈黙が流れて、紅茶を飲もうとするが先程の出来事があったので中身を凝視してから口をつけた。
温かい紅茶と程よい甘味にホッと息を吐き出した。
「はぁ、美味しい」
「…………砂糖」
「???」
前から声が掛かり顔を上げると、優しげに笑うマスクウェルの表情を見て目を見開いた。
───そして
「入れ過ぎだよ?」
「──ッ!?」
破壊力抜群のマスクウェルの笑みを見て見事に心臓を打ち抜かれて、ファビオラは後ろにひっくり返る。
今度は紅茶を顔に被ってしまい、エマの驚く表情(二回目)を見て、マスクウェルに何度も名前を呼ばれながら意識を手放したのだった。
* * *
(あれ……ここは?)
ファビオラが目を覚ますと、見覚えのある天蓋付きベッドに花柄のカバーが目に入る。
あのまま気絶してしまい、自分の部屋に戻ってきたのだろう。
横からカタンと音が聞こえた。
恐らくエマだろうと、色と怒られる前に言い訳をしようといつもの調子で口を開いた。
「エマ、今日は迷惑掛けてごめんなさい……!でもねっ、でもね!今日はわたくしにマスクウェル殿下がはじめて笑い掛けてくれたの~!これは………こんなことはじめてじゃないかしら。好きな人の笑顔で気絶する日がくるなんて、わたくし吃驚だわ」
「…………」




