閑話 あれからの淳
「………………………」
人形めいた美しい顔立ちをした貴族の少年は、ベッドに仰向けになったまま、見慣れた自室の天井を眺めていた。ただじっと。もうどのくらいそうしているのか、少年自身もはっきりとは覚えていない。ただ、これからもこの時間が永遠に続くのかと思うと、少年はたまらなく死にたくなった。
「兄様。今日はお天気も良いですし、カーテンを開けられてはどうですか?」
少年の枕元に座っていた少女が、ベッドの上で静止したままの少年を見てそんな声をかける。
「……」
だが少年は返事をしなかった。意図的に少女のことを無視した。それは少し前の少年なら考えられない行動である。
「兄様。たまにはお体を動かさないと」
「……」
「このような生活を続けていたら、いまに本当に全身が動かなくなってしまいますわ」
「…………いいよ別に」
少年はようやく返事をした。
「今さら右腕だけ動いたところで、それがいったい何になるっていうんだ……」
しかし、それは根気よく話しかけてくれた妹の気持ちに応えたというより、単に泣き言を垂れ流したに過ぎなかった。
「淳兄様のお体は必ず完治しますわ!!」
長い黒髪と白く透き通った細い手足を小刻みに震わせ、少女は涙ながらにそう訴える。
「は、そんなわけないだろ」
されど妹の声が、想いが、凍りついた兄の心に届くことはなかった。
「私は絶対に諦めませんわ! ですから、どうか兄様も希望を捨てないでくださいまし!」
「……」
淳はふたたび返事を拒否した
というより、もはや返事をする気力すら残っていないのだ。希望なんてどこにもない。それだけは断言できる。
何故なら貴族の少年が心の底から守りたかったものは、もうどうあがいても守れないのだから……
「――弥生さ〜ん!」
その時、ドアの向こうから成熟した女の声が聞こえてきた。
「どこにいらっしゃるのですか〜! 弥生さ〜ん!」
言葉遣いは丁寧だが、その女の口調は不機嫌そのものだった。
「いけよ」
淳は顔を背けながら、弥生に言った。
「で、ですが」
「行けって。……でないと、またあの人がここにやってくる」
淳がそう言うと、弥生は躊躇いながらも兄に背を向け、とぼとぼと歩き出した。
「…………あとでまた来ます」
パタンと部屋のドアが閉ざされる音が、静まり返った室内に響いた。
その直後のことだった――
「弥生さん! 今日も彼のところに行っていたのですね!」
「それは……」
「彼の世話など、使用人たちに任せておけばいいのです! 同じことを何度も何度も言わせないでください!」
「……お言葉ですが、妹が寝たきりの兄のお世話をするのは当然のことですわ」
「口答えは認めません!」
「っ……」
「これも何度も言っている事ですが、弥生さんには『一堂家』の次期当主の長女として、もっと自覚を持ってもらわねば困ります」
「……」
「まったく、ただでさえ今は大事な時期だというのにっ! 貴女と殿下の結婚式は、もう来週なのですよ?」
「……」
「貴女が宮廷に入れば、貴女の異母兄である彼にも最高の治療環境を用意する。そう殿下は約束してくださいました」
「……」
「つまりこの縁談をまとめることは、お家のためだけでなく、ひいては彼のためにもなるのです。わかりましたね、弥生さん?」
「……はい。申し訳ございません、お母様」
淳の部屋の前の通路で遠慮なしに繰り広げられる母娘のやり取り。当然、それは部屋の中まで筒抜けだった。
「………………………………クソ」
淳は耳を塞ぐこともできず、ただ呻くように声を洩らす。
「なにが、弥生は俺が守るだよ……っ!」
高い天井に向かって吐き捨てた言葉。
もう何度口にしたか分からないセリフ。
いつも決まって最後には少年自身の胸えぐる、諸刃の呪文。
本当に、ただただ死にたかった……。
「…………あいつだったら、こんな終わりきった状況でも何とかしちまうのかな……」
ふと少年の口から滑り出た言葉は、しかし本人にすら意識されぬまま、独りきりとなった部屋の中に溶けていった。




