第118話 談判②
「…………」
「…………」
純白の世界に漆黒色の衣装姿で、静かに佇む男女。
その二人を目にした瞬間。
花村天は直感的に悟った。
――こいつらは危険だ!
長年の経験からくる勘が。
当代一と謳われた格闘家としての嗅覚が。
激しく自己に訴えかける――
――この二人は、絶対に仲間達に近づけてはいけない!
天は身を焼くような焦燥感に駆られた。
と同時に、彼は確信する。
――間違いない。
今、自分の眼前にいるこの者達こそが、争いの民の最高戦力――『統括管理者』に違いない、と。
……正直、舐めていたな……
天は即座に自らを短慮と断じ、猛省する。
考えが甘かった。どこかで高を括っていた。所詮は魔力が高いだけの、戦いのど素人の集まり、どうせ上の連中も中身のない張り子の虎なのだろうと。
――だが違った。
――少なくとも目の前にいるこの二人は。
「……」「……」
完全に転移を終えた男女を、天はふたたび観察する。しかして、やはり結論は同じであった。
『今のカイト達では、どちらにも全く歯が立たない』
それほどまでに、かの二者から漂うオーラは、他の『高位等級使徒』たちとは“質”が違う。
――特に『女』の方がやばい。
おそらく、単純な身体能力ならば、三柱の筆頭眷族である『黒光』の方が上だろう。
しかし、総合的に危険度が高いのはどちらかと問われた場合――
「……」
迷わずこの女を選ぶ。
どちらとも面識は皆無だが、天ははっきりとそう断言できた。
――例えるなら、格闘技の世界チャンピオンと超一流の殺し屋。
こちらの世界においては間違いなく初めて出会った、ある種の異常者。
その女からは。
父、花村戦と同種の……“死”の匂いが感じられた。
◇
《闘技場・二階観客席》
「ば……バカな……!」
大きく目を見開き。
ワナワナと全身を震わせ。
驚嘆に彩られた呻き声を発し。
義の英雄シストは、激しい動揺を見せる。
――まるで、あり得ないものでも目撃したかのように。
「ぁぁ、あの御方は……っ」
それは普段の彼を、英雄王シストを知る者たちからすれば、想像すらできないほどの、度を失った狼狽ぶりであった……。
◇
「……戦様、ここはいったい……」
天の前に現れた二人のうち、先に口を開いたのは――眼鏡をかけた男の隊員の方であった。
直後。
「黙って」
戦は間髪を入れず、男の口を手のひらで塞ぐ。
「事情は後でちゃんと説明するから、しばらく人形に徹してくれるかい?」
そして静かにこう続けた。
「じゃないと、僕はキミを殺さなくちゃいけなくなる」
「……!」
戦は本気である、その事を瞬時に悟ったのであろう。男は目礼し、すぐさま無言の了解を返した。
戦はにっこりと笑う。
「あ、そうそう、あっちにキミ達の大将が居るけど、別に平伏とかしなくても全然大丈夫だから♪」
「「――」」
次の瞬間、二人の部下は思考回路の一時停止を余儀なくされた。
一方、戦はそんな部下達に意地の悪い笑みを向けながら、飄々とその神さまを指差し。
「キミ達。アレのことは単なる空気だと思って、普通にスルーしちゃってね。キャハハハハハ♪」
「ッ――‼︎」
反射的にそちらを見てしまったのが彼の不幸だろう。途端に黒装束の男は、天地がひっくり返ったかのような驚愕を知的な風貌に貼り付ける。
まあ、己の主神はおろか敵陣営の主神たちまで勢揃いなのだ。この状況下で驚くなという方が無理だろう。
むしろそんな衝撃を受けながらも発声を抑えつけた点は、評価に値する。
一方――
「……」
黒のヴェールから覗くその表情は、僅かな動揺すら見せず。
女はかすかに首を傾けてシナットに会釈をした後、平然と沈黙を守っていた。
その姿はまさに物言わぬ人形。まさしく上司の注文通りの姿勢と言えた。
戦は満足げに彼女を見やる。
「キミもいいね?」
「……」
念押しという意味での戦の確認の言葉に、女は無言で小さく頷いた。
「よしっ」
パンッ――。
と、ひとつ柏手を打って、戦は皆の注目を集める。
「じゃあ時間も無いし、そろそろ始めよっか♪」
「……」
正直、この時点で天の嫌な予感は、とてつもなく嫌な予感に変わっていた。――が、もはや後の祭りである。
「改めて紹介するね、天天」
にっこり無邪気に、戦は言う。
「彼らは、僕の忠実な部下の『二番ちゃん』と『六番くん』。二人ともうちの部隊の期待の新兵だよ♪」
「……随分と斬新な名前だな。二人揃って」
「ねぇ〜、こっちだとそういうのが流行りなのかな? キャハハハハ!」
「ぬかせ」
十中八九、本当の名ではないのだろう。
自分から紹介したいと言っておきながら、随分ふざけた話だが。
――しかしこれは戦争なのだ。
ならば、戦争のプロたる花村戦が、余計な情報を相手に提示しないのは至極当然のことでもあった。
……恐らく、この顔合わせも目的は逆にあるんだろう……
平たく言えば、花村天という超危険人物の情報公開。天に部下を紹介したのではなく、部下に天を紹介するのが真の目的。天はそう結論付けた。
――だが、それだけではない。
他にも何かある。何か別の目的が……。
あの父親が、それだけで大事な部下を危険な目に遭わせるはずがない。こんな敵地のど真ん中に連れて来るはずがないのだ。
――何よりも。
天の第六感が、先刻から絶えず警報を鳴らしているのだ――こいつらを早く帰せ、これ以上の深入りは止めろと。
「……親父。これでもう用は済んだはずだ」
相手に自分の心の内を悟られぬよう、天はつとめて自然に声を出した。
「満足したなら、部下共を連れてとっとと帰れ。繰り返すが、仲間を待たせてるんだ」
「まぁまぁ、そう慌てなさんなって」
戦は全てを見透かしたような目で天を見ると、不敵に微笑んだ。そして次の瞬間……
「ねぇ、天天……僕と『取引』しようよ」
ドクンッ、と。
不穏な予感に、天の胸は大きく轟いた。
「取引、だと?」
「うん」
天がやっとの思いで言葉を絞り出すと、戦は不敵な笑みを顔に刻みつけたまま、談判を始めた。
「こっちのカードは、この僕――『花村戦の対処法』の開示」
それはまさしく、悪魔の囁き。
「これから先、僕はこの世界の全人類に対して先手を譲る。つまり、僕に攻撃を仕掛けない限り、僕は相手を攻撃しない。僕に敵意や殺意を向けない限り、僕は決して相手を殺さない」
それはあたかも、地獄の鬼の甘言。
「だけど、その代わり……」
そのとき。
鬼の左肩に刻まれた赤い髑髏のしるしが、からからと笑った気がした。
「天天はこの先――『二番ちゃんと六番くんに手を出しちゃ駄目』ね♪」
それは天にとって……およそ最悪の提案であった。




