第98話 敏腕秘書マリーの苦労
冒険士協会本部の最上階に設けられたVIP専用エリア。
部屋数は会長室と応接室の他に三つと、意外にこじんまりとしたスペースだ。
ただその代わり、大概の用務ならばこの空間だけで十二分に対応できるほど、各部屋ともに設備は充実していた。
会長室を出て向かって右奥の部屋ーーモダンなデザインの食器棚とコンパクトではあるが使い勝手の良さそうなシステムキッチンが設置されたこの給仕室もまた、その内の一つである。
「ええっと、確かこの辺りに入れておいたはずなんだけど……あった!」
戸棚の奥から買い置きしておいたクッキーを取り出し、それを皿に並べながらーーマリーはひとつため息をついた。
「それにしても、本当に驚いたわ……」
度肝を抜かれるとは多分ああいう事を言うのだろう。
『アイツ、ああ見えて実は俺の親父なんだ』
まさか自分より年下だと思っていた少女(見た目が)が、よりにもよって自分の想い人の父親だったとは。
……私たちエルフも“老い”があまり見た目には現れない種族だけど、アレはそういうレベルじゃないわ……
天曰く、それが花村戦との関係をシストに伏せていた理由の一つだという。
『下手にアイツが俺の親父だという先入観を与えちまうと、最悪、おっさんとマリーさんがアイツと遭遇しちまったときに軽い疑心暗鬼に陥ると思ってな』
なるほど。
確かにあんな幼さすら残る美少女(あくまで見た目が)に三十過ぎの息子がいる、ましてやアレが男親の方だと一体誰が思う。
順当に考えて妹か従妹。せめて姉。いくら譲歩しても母親までだ。とにかく『父親』は選択肢の中から除外される。それだけは間違いない。
……天さんの言ったように、いくら独特な刺青をしてるっていっても、最初は絶対に人違いだと疑ってかかる自信があるわ……
うんうんと頷いて。皿一面にクッキーを並び終えたところで。
「はぁ〜〜」
マリーの口から深い吐息がこぼれる。
『仮にも俺の上に立つ男が、そんな甘い考えを口にするな!』
ただひたすらに胸を打たれた。
身も心も溶けてしまうような陶酔をおぼえた。
意気消沈するシストと、そして自分へ送られた天からの叱咤激励の言葉。
『俺への考慮など一切不要だ。覚悟ならとうの昔に決めている』
冗談ではなく、あのとき彼の姿が光り輝いて見えた。
ーー自分は本気で花村天に恋をしている。
今思えば、こんな感情をあの男に抱いたことなど一度たりともなかった。当時、あの男のことを好きは好きだったと思う。だがそれも所詮は寂しさを埋めるだけの関係だ。心から惹かれた瞬間など記憶のどこを探しても見つかるはずもなかった。
……心から幻滅した記憶ならいくつも思い出せるのが、ちょっと哀しいわね……
マリーは心のうちで深く嘆息する。
何故自分はあんな軽薄を絵に描いたような浮気男と付き合っていたのだろうか。
それこそ過ちとしか言いようがない。
ーーしかしだからこそ気づけた事もあった。
やはり男は容姿ではない。より厳密に言えば、本気で相手のことを想っていれば外見など“関係ない”のだ。
それが先ほどはっきりと分かった。
そして同時に、自分がこれまで本物の恋愛を知らなかったことも。
正真正銘これが自分の初恋。マリーはそう断言できた。
ならばーーー
「ーー相手が誰だろうと、絶対に負けないわ!」
花柄のティーポットを片手に、マリーが吼えたところで。
「その意気や良し」
音もなく給仕室のドアを開く。
そこには思わぬ人物が立っていた。
「シャロンヌさん⁉︎」
思わずマリーは驚きの声を上げる。
「マスターの正妻の座を得ようと考えるならば、それぐらいの心構えがないといけません」
メイド服に身を包みながらも女帝の風格を漂わせ、シャロンヌは一歩、二歩とこちらへ歩み寄ってくる。
「せ、正妻って……」
「なりたくないのですか? マスターの正妻に」
「! な、なりたいに決まってるわっ!」
謎の展開に呆気にとられつつも。
マリーはすぐさま再起動を果たし、恥も外聞も忘れて即答した。
「素直で結構」
シャロンヌはにこやかに微笑む。
どうして昨日、天と知り合ったばかりの彼女が、早くもそれらを取り仕切るポジションにいるのか。
言いたいことは山ほどあるが。この際は置いておこう。
「ちなみに、マスターは紅茶よりコーヒー派だと仰っていました」
「!」
マリーは大きく目を見開く。
彼女がこの給仕室にやってきた表向きの理由は、目覚めたアリス王女と側についているカイト、アクリアに出すお茶の用意をする為だ。
ーーしかし、本命は別にあった。
……この人には全部見透かされてる……!
マリーが給仕室に赴いた真の目的ーーそれは、天にお茶のおかわりを持っていくためである。
無論、アリス他二名にお茶を出すついでに、という体で。
だが、実際にマリーの中でどちらが“ついで”かは言うまでもなかった。
「ーーそれでは私はコーヒーの方を用意するので、あなたは紅茶を担当しなさい」
「ッ‼︎」
瞬間、マリーは「やられた」と思った。
悠然と自分の背後を通り過ぎてキッチンに立ったシャロンヌを見て。綺麗すぎるメイドの真意を悟ったのだ。
「早い者勝ちです」
またマリーの心を見透かしたように、シャロンヌはふてぶてしく笑んだ。
……この人、最初から自分が天さんのお世話をしたかっただけなんだわ……!
マリーは一旦ポットを置き、半眼でマリーは睨む。
一方、シャロンヌはマリーの恨めしげな視線などどこ吹く風という様子で。給仕室に備え付けのコーヒーメーカーには目もくれず、当然のように新たに湯を沸かし始めた。
「アリス姫とカイトたちの方には私がお茶を運びます。それで勘弁なさい」
主のコーヒーを自分が淹れる代わりに給仕は貴女に譲ってあげるーーというシャロンヌの提案に。
「……分かりました。それで手を打ちましょう」
マリーは渋々頷いた。
「いい香りですね」
そのコーヒーは、普段マリーが入れるソレとはーー正確にはコーヒーメーカーだがーー明らかに異質な存在感を放っていた。
「同じ豆を使ってるはずなのに、どうしてこんなに仕上がりに差がでるのかしら……」
納得がいかない、とぼやくマリーに。
「気になるのなら、今度時間のあるときに淹れ方のコツを教えますよ?」
食器棚から銀のトレイを二枚取り出したシャロンヌが、マリーに背中を向けた姿勢のまま応じる。
「ただ、スキル補正で多少味にムラが出ると思いますが。それでも宜しいのなら」
「是非よろしくお願いしますわ!」
一も二もなくマリーはシャロンヌの申し出を歓迎する。天がコーヒー党ならば、それはマリーにとって絶対に習得するべき必須技能に他ならないからだ。
「それでは、私の淹れたコーヒーをちゃんとマスターへ届けてくださいね」
その代わりに、とでも言いたげに。
シャロンヌは笑顔で手に抱えた銀のトレイを一枚マリーに手渡した。
「くれぐれも頼みましたよ?」
「は、はい」
何やらただならぬ熱が彼女からひしひしと伝わってきた。
マリーには分かった。これは単に天への恩返しというだけでは到底ひと括りにできない。何かその他に特別な感情が、シャロンヌの中には確かにあると。
……まさかシャロンヌさんまで……⁉︎
カタカタと手を震わせながら、天と、そしてついでにシストの分のコーヒーカップを何とか中身をこぼさずにトレイに乗せーーマリーは嫌な予感の答え合わせに踏み切った。
「あ、あの、シャロンヌさん」
「なんですか?」
「その……シャロンヌさんは天さんのことをどう思っているんですか⁉︎」
ややためはあったものの、マリーは一息で訊ねた。
「安心なさい」
まるで女神のような優しい微笑み浮かべて、シャロンヌは答える。
「あくまでも私はマスターに忠誠を誓ったいち従者。マスターのことをこの世の誰よりも尊敬し、敬愛しておりますが、だからといって“そういった感情”が芽生えたわけではありません」
シャロンヌは気品に満ちた所作で、自分のトレイにクッキーの皿とマリーがいれた紅茶を三つ並べいく。
「まず第一に、もし私があなたやアクリアと同じ感情をマスターに抱いているのなら、正妻だなんだと競争相手を焚き付けるような真似をしないと思いますが」
「そ……そうですよね!」
セーフ。
と、マリーが大いに安堵した矢先に。
「ただ私にも、マスターの従者として将来的には、というささやかな願望はあります」
「へ?」
シャロンヌの口からいくつか不吉なキーワードが飛び出た、次の瞬間ーー
「私は、いつの日かマスターの子を産みたいのです」
「アウトーーーッッ‼︎‼︎」
悲鳴にも似た絶叫が給仕室に響き渡った。
「話が違うわ! そ、そもそも、ソレのどこが『ささやか』なのよ⁉︎ ほとんど最終目標じゃないっ‼︎」
「? 私はただ、マスターの人生設計をつつがないものにする為にそのお手伝いをしたいだけです。従者として当然の務めだと理解しなさい」
「アウトアウトアウトアウトーーーーーッ‼︎」
小悪魔めいた妖艶な微笑を浮かべるシャロンヌにひとしきり喚き散らし。
マリーは両手で頭を抱えてしゃがみ込む。
「なんてことなの……よりにもよってシャロンヌさんまで参戦するなんて……!」
「ですから、私は別にあなたの恋敵になったわけではーー」
「おまけにサズナさんまで加わりそうな勢いだし、どう考えても私に勝ち目なんてないじゃない!」
彼女の名はマリー。
世界に名だたる英雄王シストの側近。
到達率五パーセント未満と言われるBランクの冒険士。
文武両道。容姿端麗。強い魔力とエルフ種とは思えぬずば抜けた身体能力を併せ持つ才女。
器量よし、気立てよし、面倒見よし。
少々ネガティブで打たれ弱い面もあるが。
職場では『才色兼備なお姉様』として、皆から慕われている……
そんな彼女だが、
「私の初恋、もうお先真っ暗だわ〜〜っ‼︎」
どうもこの敏腕秘書は、どう転んでも男で苦労する星の下に生まれたらしい。




