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サラリーマン流 高貴な幼女の護りかた  作者: 逆波
第六部 前夜

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217/227

刃の先にあるもの(五)


 季節は立春を過ぎて雨水に入り、帝都にも暖かい日が増えて梅の蕾も膨らみ始める。

 昨年末のロマノフ皇女と雷帝の亡命事件以後、比較的穏やかな時間が流れていた近衛も新たな世界の蠢動に危機感を募らせていた。


 それは昨年末に大統領が変わり、対外姿勢を新たにした米国との関係だった。

 これまでの積極的な世界警察としての姿勢を一転させ、格差と分断の広がる国内へ向けての政治色が強くなったことにある。

 米国の姿勢変化は日本の外交問題に直結する。

 様々な問題が噴出し、政治家はおろか外交を担う皇族、それを補佐警護する近衛と、法務省、警察、陸軍の選抜メンバーからなる日本版CIAとも呼べる国家保安局は忙しさに追われている。

この二人はその中心にいた。


「副長、二週間後のライザ大統領補佐官の来日の警護のことで保安局から書類が届いています。署名捺印、警備体制の最終確認をお願いします」

「目を通すからそこに置いてくれ」

「閣僚の外国訪問に同行する人間の選考をいたしましたので確認と承認をお願いします。こちらは急ぎませんが明日までには返事が必要です」

「分かった」

「続いて、第一大隊青山と白凱浬からウラジオストクにおける新生ロマノフ……ソビエト連邦の動きについての報告書が上がってきています。雷帝からも情報要求が来ておりますのでお早めに」

「わかっている」

「あとは第三大隊と海軍との合同演習について火器と固有使用の承認を……」

「……直虎、少し多いぞ」

「私もそう思います」


 鷹司霧姫の執務室に運ばれる書類は増すばかりだ。

 近衛は副長である鷹司に権限が集中する一方で、忙しい時には雑務までが集積する。

 これを今は鷹司と副官の立花直虎の二人が何とかさばいていた。


「他の大隊長連中にも少しはまとめることを覚えさせろ。いくら私とお前でも限界がある」

「仕方ありません。皆忙しいのです」

「私も忙しいぞ」

「そこは副長でいらっしゃいますから。諦めていただくほかないかと」


 二人のため息が重なる。

 どうにも疲れて余裕がない。

 それもそのはず、もう何日も紙束と格闘しているのに出口が見えないからだ。


「減らないものだ。先月までは書類も気にならなかったのだがな」

「榊殿がいらっしゃいましたから、何とかなっていました。デスクワークでしたら近衛では右に出るものはいません」

「まぁな。殿下の相手と事務処理に徹してくれさえすれば逸材なのだがな……」


 鷹司のため息に直虎が眼を細くした。


「忙しい、とお伝えになればよろしかったのではありませんか?」

「私が迅彦殿にか? あの人の性格は分かっているだろう」

「そのようなことは……」

「アイツのことを根掘り葉掘り聞かれ、報告書まで用意させられたほどだ。口を出せば逆に煽ることにもなりかねん」

「迅彦殿が榊殿を?」

「近衛に入ってからの実績だけをみれば悪くない。今は静観してやり過ごした方が良い」


 鷹司がひらひらと手を振った。

 諦めの良さに女武士は眉を動かす。

 その結果がこれなのだから、あまり気分は良くない。鷹司はともかく、直虎は主君と過ごす時間も少なくなり、腹に据えかねていた。

 忠義の武士でも思うことはある。


「副長、先ほどからお仕事がはかどっていらっしゃらないようですが……」

「そんなことはない」

「女は素直でないと可愛くありませんよ」

「……直虎、どういう意味だ?」

「お寂しいのではないか、と思った次第です」

「私がか? 冗談は止せ。それに、その言葉、そっくりそのまま返してやる」

「……」

「……」


 しばらく無言で仕事が続くのだが、二人ともほどんど同時にペンの動きが止まった。 

 どちらからともなく視線を遊ばせてから、窓の外を見る。

 陽光は柔らかく、春はもうすぐそこだ。


「……今日も千葉か?」

「はい、先ほど出発されました」

「最近は帰りも遅い、夜中まで稽古をしている割には怪我をしていないようだが、迅彦殿はなにを教えているのやら」

「聞いてみたらいかがですか?」

「自分で聞け。なぜ私に押し付けるのだ」

「疑問に思っておられるのは副長です」

「気になるわけではない。言葉が口から出ただけだ」

「その割には、先ほどから榊殿の机ばかりに目を向けておられます」

「お前に言われたくない」

「……」

「……」

「副長は最近寂しそうです。榊、榊と呼ぶ回数が増えました」

「ふっ、隙を見つけてはヤツのネクタイを直そうとするお前に言われたくはない」

「……」

「……」

「やめよう。不毛だ」

「そのようです。副長もお忘れください。私も忘れます」

「……」

「……」


 妙な空気のまま、はかどらない仕事は続く。



 ◆



 手にした小柄に意識を集中し、投げる。

 弾丸の速度で迫る刃を、咲子さんは手にした愛刀清麿で打ち払った。


「今のは殺気の籠った良いものでした」


 頷き、道場の隅に座っていた迅彦さんを見る。


「咲子、いいのか?」

「毎日鍛錬を欠かさないことを条件にするのならば、合格としてもよろしいかと存じます」

「だってよ、よかったな」

「ありがとうございます」


 拍手をもらい、後ろ頭をかいた。

 毎日できるだろうかと不安になりながらも頭を下げた。


「よし、じゃあ次だな」

「つ、次ですか?」

「当たり前だろ。児戯ばっかり覚えても仕方ねぇ。戦わないためには抑止力も必要だ」

「抑止力、ですか?」


 そうよ、と迅彦さんが立ち上がる。

 咲子さんから清麿を受け取ると腰に差す。

 道場通いからの卒業にはまだ早いらしい。


「いいか、刀ってのは抜いて切ることが仕事だ。鞘のうちに収まったままの刀に価値はない。如何に抜き、構え、切る体勢へ持っていけるかが重要になる」


 迅彦さんが目に見えないほどの速さで抜き放ち、正眼に構えた。

 放たれる殺気、漲る気迫に後ずさりたくなる。


「だが、抜いてしまったが最後、選択肢は戦うことしかなくなる。血を見ずには終われない。相手も腹をくくり、全身全霊をもって仕掛けてくる。お前さんの望むところではないな」

「そ、その通りです」


 刀を鞘に戻し、腰に差すと姿勢を低くする。

 左手は鞘の鯉口辺りを握り、右手は柄に触れるか、触れないかというところで止まった。

 上向きの視線は先ほどよりも圧がある。

 いつ抜き放たれるかわからない刀には怖さがあった。


「お前さんに覚えてもらうのは居合いだ」

「剣術もまともにできない私が居合いですか?」

「だからこそだ。誰も基礎もおぼつかない奴が居合を使うなんて思いもしねぇ。お前さんの場合、できれば相手より先に構える。そして、相手の動きに合わせて反応して見せろ。そうすれば、大概の相手は逃げるだろうよ」


 笑われるが反論ができない。


「それで相手より先に構えることが大事になるわけですね」

「居合いは一瞬でカタが付く。血を流し、倒れる自分を想像させることができれば引かざるを得ない、つまりはこういうことだ」

「な、なるほど」

「お手本はここまでだ。咲子」

「はい」

「構えと、実際にやり合ったときの心構えくらいは教えてやれ。見掛け倒しでもうちの流派でやるんだ。無様は困るやな」

「承知しました」

「えっ、構えだけじゃないんですか?」

「当然だろう。お前さんが切られて裂海は見掛け倒しだ、なんて言われたら近衛の看板にも傷がつく」

「うっ……わかりました」


 迅彦さんの言葉に不安が募る。

 大丈夫だろうかと考える間に咲子さんが清麿を刀を腰に差した。


「裂海の居合は速さに重きを置きます。手首と肘は柔らかく、腕全体というよりも腰の動き、足の運び、体重移動、体全体を連動させ……」


 咲子さんが抜き放つ。

 覚めている状態でも銀の光が走ったのが分かるだけ。

 神速とはこれを指すのだろう。


「このようにします。最初は刀を抜くことだけに意識を置かず、疎かになりやすい足運びと腰の動きを……説明を聞いていますか?」

「いえ、最初からこれをやられたら首が飛んでいたと思いまして」

「私は飛ばすつもりでした」

「咲子は冷静じゃなかったからな。まぁ、結果だけ見ればそうさせた榊の勝ちだろうよ」

「お、御爺様! あの時のことは……」

「そうだろうが。筒袖も袴も着ない、スーツ姿で素人丸出しの構え、当人は無意識なんだろうが、気にした方が負けだ」


 物騒なセリフに背筋が寒くなる。

 世の中、何が功を奏するかわからない。


「榊さん、私のことを笑うよりもやって見せなさい!」

「は、はい!」


 怒られ、慌てて咲子さんの動作を真似る。

 が、これがなかなか難しい。


「腰は円運動、手はしなやかな鞭を意識するとやり易い。足は手と一緒に動くのが理想ですね」

「……こう、ですかね」


 教えてもらいながら構え、抜き放つ。

 見ている動作と、自分がしていることがあっているのか、正直不安になる。


「咲子、見ろよ。蛸が踊っているみてぇだ」

「蛸の方がマシです。いくら優呼の弟子でも不器用まで似なくてもいいのですが……」


 辛辣さに泣きたくなってくる。

 この二人と比べたら優呼の方が優しく思えるから不思議だ。

 見られながら刀を振るい続ける。

 やるほどに正解が見えなくなり、よくわからなくなった。


「少し休みなさい。形が崩れてきています」

「……はい」

「できないことは承知しています。急くほどに結果は遠ざかると心得なさい」


 耳が痛い。

 確かに、今日一日でどうにかはならないだろう。

 ため息をつくいていると、迅彦さんが楽しそうにこちらを見ていた。


「へっ、そんな顔をするな。時間はある、ゆっくりでいい」

「早く戻らないと副長と直虎さんが書類で埋まります」

「お前さんを強くする方が重要だ。それとも、二人が心配かい?」

「……あとで私の仕事が増えないかが心配です」

「そのくらいならいいじゃねぇか。投てきも居合いも覚えて損をするもんでもねぇだろ?」

「……確かに、刃を交えずすむのであればそれに越したことはありません」

「そうだろうよ。虚勢が通じて実際の戦いにさえならなければ、引き分け以上に持っていけるはずだからな」

「……そうでもありません」

「へっ、よく言うぜ」


 ニヤニヤと笑う迅彦さんに肩を竦めるしかない。

 誰から聞いたのか、ひどい誤解だ。

 言葉だけで解決できたことなど一度もなく、最後はぶつかり合いになってきた。

 戦いを回避できていたらどんなに楽だったことか。


「咲子、こいつの言い分をよく聞いておきな」

「御爺様?」

「言葉でも刃でも、追い詰めるのは簡単だ。逃げ道を塞いでやればいい。だが、それが解決策かといわれたら、そうじゃねぇ。殺すことも同じだ。そうだろう?」


 振られた言葉に考えを巡らせるまでもなく、言葉は自然に出てくる。


「殺しては、答えがそこで止まってしまいます。解決策というには強引すぎます」

「答えが止まる、か。なかなか哲学的だ。そうさな、強引だろうとなんだろうと、相手の答えを止めてしまうことで自らの事情を優先させる。物理的な解決ってのはそういうもんだ。ところが、お前さんは追い詰めも止めもせず、相手に先を用意する。武士では到底思いつかん」

「殺したとして本人の答えは止まりますが、周囲は答えを引き継ごうとします。それが新たなる引き金となる。勿論、先を用意しても解決しないこともあるでしょう。ですが、相手を殺傷し、答えを止めず、先を用意できたのなら最も強い恨みを受けなくてすむ。恥や屈辱、苦しみ、喜びすら人は等しく忘れることができるのですから、様々なことも時が押し流してくれたらと思っています」

「問題の先送りとは考えねぇんだから面白い」

「恐縮です」


 迅彦さんが笑い、咲子さんは難しい顔をする。

 こうした問答は実際に命のやり取りをしないと分からない。


「だが、お前さんの致命的な部分がある。それは未だ民間人気取りで武士の気概がないことだ。これからはそれが弱点になる」

「私はこれでもいい、と思っていますが……」

「精強であるはずの近衛の中に、民間人が渡世人まがいのことをする。それも、日桜殿下のお気に入りだ。周辺国からすればこれほど狙いやすいものはない」

「渡世人……ですか?」

「そうよ、商売往来にない稼業で世渡りをする、義理と仁義が信条だ。お前さんにピッタリじゃねぇか」

「でしたら、近衛そのものが渡世人ではありませんか?」

「そこを分けるのが武士という気概だろうよ」


 迅彦さんが笑う。

 奥歯が苦虫を噛んだような気がした。


「武士と渡世人のなにが違うのか。答えは主君がいることだ。親分や大将じゃねぇぞ、主君だ。武士は職業じゃねぇ、生き方ってことも大事だな」

「主君はいますが、職業ではないとは言えません。一応給料が出ていますので」

「口が回りやがる。そこまで分かっているのなら、俺が言うことも理解できるだろうに」

「……」

「己が武士であるというのならば主君を護り、己も守る。生ある限り主君を支え続けるのが役目だ」

「……それでは主君に負担を強いるだけです。今は主と共に目指す先を思う必要がある」

「おっと、ずいぶんと高いところに居やがる。だったら、その死にたがりを止めな。やるだけやって、自分だけ楽になろうなんてずいぶん虫がいいじゃねぇか」

「死にたがっている、というわけではありませんが……」


 誰から聞いたのか、的を射ていて反論が難しい。

 話の出所が騎士王なら次に会ったときにでも釘を刺しておかなければならない。


「日桜殿下はよい主君だな」

「はい」

「好意を寄せられるのは苦手か?」

「……そうですね」

「そうか、まだ受け入れる覚悟がねぇんだな。それはまぁ、あれだな同情しよう。いくら好き者でもあんな小さな御方をどうこうってのは鬼畜のすることだ」

「! 怒りますよ」

「冗談だ、最後まで聞けよ。キッパリ断ることも、一つの手段だ。その上でどうするかは向こう次第だろうよ。それともなにかい、この国をどうこうしたいわけじゃないんだろ?」

「……私はただ、恩返しがしたいだけです。我欲だけの私を肯定し、受け入れてくださった。お役に立てるだけでいい」

「へっ、与える方が楽でいいやな。だが、この先も今のままで続くとは思わないことだ。覚悟を決めろ、腹をくくれ。面倒なら咲子か優呼、どっちでも貰っていいんだぜ」

「……いいんですか?」

「二人とも武家の娘だ。嫌とは言うまい」

「考えておきます」


 売り言葉に買い言葉、老練な口車に乗せられ、気付けば後の祭りだ。

 しまった、と思いながら咲子さんの方を見れば、眉間にしわが寄っていた。


「榊さんが、日桜殿下の御寵愛を?」

「は?」


 いや、御寵愛など受けていない。

 どういう聞き方をすればそんな考えに発展するのだろうか。


「貴方は優呼だけでは飽き足らず、親愛なる日桜殿下にまで手を出しているのですか?」

「ご、誤解です。優呼にも殿下にも手は出していません」

「では、御爺様の言っていたことを否定されなかったのはどういう理由ですか?」

「色々複雑な事情がありまして。説明には時間が……」

「心配ありません。裂海流居合い術の習得には時間がかかりますよ」


 冷たい笑顔のまま咲子さんが刀を構える。

 どうにも想像たくましい人だ。


新作の「実践的聖母さま!」を毎日掲載しています。

こちらもどうかよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] >「へっ、与える方が楽でいいやな。だが、この先も今のままで続くとは思わないことだ。覚悟を決めろ、腹をくくれ。面倒なら咲子か優呼、どっちでも貰っていいんだぜ」 「……いいんですか?」 「二人と…
[一言] そうですよね…。殿下からのご寵愛は受けてるとは思うんですけどそれは近所の面倒をよくみてくれるお兄ちゃん的なやつですよね…。恋愛感情が無いとは言えないけどメインではないし…。女性陣にとって榊が…
[一言] 殿下に手を出したというか出されたというか…通い稽古が落ち着いたら、榊分が不足した女性陣に色々されて、稽古先でまた女を引っ掛けたのかって怒られそうだ…
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