刃の先にあるもの(三)
物事でも金銭でもツケは払わなければならない。
後回しにしても必ず巡り巡ってやってくる。
俺にとってそれが剣術だった。
近衛になったばかりの頃はかなり仕込まれたが、ほとんど反則に近い方法で見習いを抜け出し、基本を学ぶ機会を逸した。
この時疎かにした剣術という名のツケは未だに尾を引いている。
いよいよ、それを返す時が来てしまった、ということだろう。
平日の昼下がり、日桜殿下の支度を手伝いながら話を切り出す。
「殿下、午後の視察は同行できません」
「……なにか、ありましたか?」
昼食が終わって公務の準備をしていた日桜殿下にそう告げると、主は可愛らしい顔を曇らせた。
表情がころころ変わるのは良いことだ。
「これからしばらく千葉の裂海道場へ行かなければなりません」
「……しばらく? さくみ……ゆうこのいえ、ですか?」
「実は、迅彦さんに教えを乞うことになりました」
先日の出来事を交えて話をすれば、殿下はすぐに頷いてくれた。
理解が早くて助かる。
「……はやひこにおそわるのは、とてもいいこと、です」
「殿下もそう思われますか?」
「……もちろん、です。さかきのうでがあがれば、けがをすることも、すくなくなります。しんぱいが、へります」
殿下にしては珍しく力強く頷く。
が、こちらとしてはあまり面白くない。
ちんちくりん殿下にまで俺の腕をどうこういわれたくはなかった。
「私の心配よりもご自身のことをお考え下さい。読書はいいですが、あまり夜更かしをすると翌日に差し障ります」
「……だ、だいじょうぶ、です」
「新聞の間に漫画をはさむのは止めませんがこちらもほどほどに。隠さず、堂々となさってください」
「……!」
ちび殿下が顔を赤くする。
近頃の殿下は漫画にご執心。千景から借りてノーラと読み耽っているらしい。
咎めるほどのことでもないが過ぎれば目と体を悪くしてしまう。
「……ど、どうして、しっていますか?」
「あんなに分厚い新聞は世界中どこを探してもありません。ああ、侍従や副長たちも気づいていますからご心配なさらず」
しゃがんでから膨らんだ柔らかい頬を押す。
空気をださず我慢しているあたりに強情さが伺えた。
「殿下、漫画が害だと申しているわけではありません。節度を守ってくだされば誰もお小言など……」
「……さかき」
「なにか?」
「……こっち、です」
殿下が正座をして太ももをぺちぺちと叩く。
しまった、少しやり過ぎたらしい。
「殿下、私は殿下のことを考えてですね……」
「……いいかた、いじわる、でした」
「そんな、滅相も……」
「……わるいこ、だめです」
再度ぺちぺちする。
午後の予定も迫る中で膝枕を賜ってなどいられない。
まだ小さい体を抱え上げ、部屋を出た。
「……さかき、だめ、です」
「殿下こそ予定に遅れますよ」
「……さいきん、こればっかり、です」
ネクタイを引っ張られる。
こちらもこんな役回りが多い。
「やれやれ」
稽古の前に疲れてしまうやりとりだった。
◆
「来なすったな。さぁ、始めようか」
裂海道場で師である迅彦さんから基礎を教わる。
意外だったのはスーツ姿のままでいいということ。曰く、普段の格好に近い方が稽古として有効らしい。
曰く、
「着慣れているのなら無理に変える必要はないさ。それに、スーツってのは隠す場所が山ほどある。ベルト、ペン、カフス、襟や生地の裏もいい。好きなように細工ができる。自分なりに考えてみな」
とのこと。
着流し姿の迅彦さん、筒袖と袴姿の咲子さん、スーツ姿の俺と、三者三様になってしまった。
「まずは投てき術を覚えてもらう」
最初に渡されたのは刀の内側に固定されている小柄、小型の刃物。これを何本も持たされた。
「本来、小手先の技術を鍛えるべきではないんだが、お前さんの場合は特別だな。技量そのものを上げるには時間が足りねぇ、だったら戦い方そのものを教えるしかない」
「それが投てき、ですか?」
「そうさ、これは俺が得意だったやり方だ。みてな」
迅彦さんはそういうと小柄を投げた。
手首の動きだけだったのに、銀色の刃が立てかけてあった畳に深々と刺さる。
人間相手ならこれだけで勝負がつきそうだ。
「コツはいかに小さな動作で投げるか、だ。相手に気取られないように投げ、当てる」
二本、三本と畳に柄の部位分だけが見える形、ほとんど埋没のように刺さる。
「相手が意識する前に投げられたら上等だな。反応が遅れれば弾くか受けるかしかできない。それを近衛の力で投げたら、どうだ?」
「脅威です。私自身がやられたら避けられる気がしません」
「普通の人間相手ならこれで十分だ。そうだな、最初は自分の投げやすい形を探してみることだ。動作を小さくするのはそれからでもいい」
「分かりました」
見本とばかりに迅彦さんが何度か投げてくれる。
畳は人間の皮膚よりも固い。これが実戦なら、自分が狙われる側だとしたら対抗策は一つしかない。
「その顔は対処法を考えているな」
「お分かりになりますか?」
「まぁな。お前さんならハリネズミにされても突っ込む。そうだろ?」
「そうですね。それしか手段がありません」
「腕を盾に、首と頭を守りながら身を低くして突っ込む。勢いに任せて当身をして、そのまま密着状態での殴り合いってところか。へっ、おっかねぇもんだ」
考えていたプランをほぼ言い当てられる。
違いがあるとすれば、血を投げつけて視界を奪うくらいだろう。
「今はそれでもいい。だが、これからはそうはいかない。お前さんは少しばかり派手に動き過ぎた。名のある諜報機関なら戦い方を探ってくる。弱点が分かったら対策を立てられる。立場が逆転するな」
「……それが懸念でした。戦うほどにこちらは不利になります。だからこそ交渉で何とかしたいとも思っています」
「へっ、相手の主戦場に立たないってのも兵法だ。弱点はそういうことも含まれる。相手と交渉するにも相応の実力が必要になるもんさ」
同じだけの脅威を持つことも大事、ということ。
それができないのならば実戦よりも戦術、戦術よりも戦略と、別のステージへ移る必要があるだろう。
「武力も選択肢の一つだ。忌避しているようでは手詰まりにもなりかねない。何をどうしたいのか、どうするべきか、よく考えな」
ガハハ、と笑う。
「前置きが長くなっちまったな。それじゃあ練習だ。刃物はいっぱいあるからよ、好きに投げな。おい、咲子」
「はい」
「練習台だ。そこに立ちな」
「分かりました」
迅彦さんの言葉に咲子さんが頷き、道場の壁際に立てかけた畳の前に立つ。
どうしてだろうか、嫌な予感しかしない。
「あ、あの、これは……どういう」
「いったろ、練習台だ」
目が点になる。
言う方も言う方なら応じる方もどうかしている。
「俺、覚めたままですよ?」
「だからどうした。人に向かって投げねぇと練習にならないだろう。それに、お前さんみたいな素人の投てきなんぞ、いくら速くても避けられる。まぁ、当たったらその時はそれまでだ」
頑張りな。
そう残して迅彦さんは行ってしまう。
残されたのは俺と、冷たい眼差しの咲子さんだけ。
「早く始めなさい。時間がないのでしょう?」
「いえ、そういわれましても……」
手に持った小柄を見る。
刃物を女の子に、それも裂海優呼の姉に向ける、ということに抵抗感があった。
「私の心配なら、それこそ不要です。貴方のような素人の投てきなど動作を見れば予測できます」
「女性に刃物を投げることそのものに違和感がありまして……」
「バカを言いなさい! この世の半分は女です。そのような油断をすると死にますよ」
耳が痛い。
それに、なぜか懐かしさがこみ上げる。
明るい優呼とは雰囲気すら別人なのに、どこか重なる。それが姉妹だからか、同じ師を持つからなのかは分からない。
ここまで来ると、もう腹をくくるしかなかった。
「では、行きます」
「早くなさい」
躊躇いはある。しかし、このままでは何も進展しない。諦めて構えをとった。
まずは知っている投げ方から。ダーツの要領で肘と手首を使って投げてみる。
「……」
咲子さんは避けようともせず、小柄は畳に当たって落ちた。
要領も正解も分からず、とにかく思いついた方法で投げ続ける。
全く上達せず続けているとついに咲子さんの目が見開く。
「どうしてこうも不器用なのですか!」
「す、すみません」
怒られ、反射的に頭を下げる。すると、咲子さんはこちらまで歩いてくると俺の手を取り、姿勢を補助してくれた。
「小柄は中指に添わせるようにして持つのです。刃の部分は手のひら側にくるように、人差し指と薬指で挟み、親指で押さえるのです。これなら多少動かしてもブレることはありません」
持ち方を教わり、続いて姿勢も直される。
「腕は目標に向かって真っ直ぐに振りなさい。刺さるかどうかは刃を押さえている親指を放すタイミングが大事です。いいですか?」
「は、はい」
勢いに頷くしかない。
咲子さんは一通り教えてくれると畳の前まで戻る。
「続きです。投げなさい」
教わったことを確かめながら投げる。
最初は放すタイミングが早かったのか天井に突き刺さり、二度目は力み過ぎて小柄が床に生えたようになった。
それでも回数を重ねるごとに小柄は真っ直ぐに飛ぶ。咲子さんも避けこそしないものの、頷いてくれる。
刃を内側にする投げ方はタイミングを誤るとどうにもならないが、適切であれば吸い込まれるように刺さった。
「っ!」
何十本目だろうか、ようやく咲子さんが顔を逸らす。
ため息が出た。
「安心しないでください。この程度は初歩の初歩、児戯に等しいものです。まったく、このようなことも教えないとは、優呼は何をしていたのですか」
怒りの矛先が俺から離れる。
しかし、そこは優呼を責められない。
なにせ、反則に近いやり方で基礎訓練を抜け出したのは俺自身。いわば、身から出た錆といえる。
「それについて、彼女に代わり弁明をさせてください。悪いのは私です」
「……どういうことですか?」
「実は……」
入隊してからと、基礎訓練、そして金をチラつかされてからの顛末を話せば、咲子さんの眉間にしわが寄っていた。
「ですから、この状況は私自身が招いたものです。優呼……さんばかりを責められない」
「色と心理学、そうですか」
ふと、咲子さんの顔に優しさが滲んだ。
遠くを見ているような目に興味をそそられる。
「当時の優呼……さんはとても戸惑っていました。感覚が狂うことに慣れていなかったのでしょう。今では通じないですね」
「そうでしょう。あの子は不器用です。訓練と同じことしかできません。そこに異物や経験したことがないものが入り込めば戸惑うのは目に見えています。まったく、目だけに頼るなとあれほど……」
「心配、されているのですね」
「当然です」
鋭い目を向けられる。
思わず諸手を上げそうなほどに。
「剣の才も並み、身体能力も特筆すべきところはない。なのに、覚めてしまったというだけで当主となり、血を流す。人並みの幸せも、親に甘えたい時間も訓練にすりつぶす。どれだけ辛かったことか……」
咲子さんの言葉に二年近く前の記憶が呼び起こされる。
俺も、同じ言葉を彼女へ向けた。そして、返ってきた言葉はとても冷酷なもの。
「人の価値観は育った環境によって決まる。自らの犠牲すら、幸福に思う。自分もそうありたい」
「……!」
「優呼が俺に語ったものです。彼女は今もその言葉通りに生きている」
「だから、心配なのです!」
何も言えない。
皇族という生き方も辛く大変だが、武士という生き方もまた辛い。
「才のないものが戦い、勝つには無理を押し通すほかない。あの子の固有は体を害す、それをこの二年間で二回も使っている」
「……」
二回、とはどちらも俺がかかわった事件だ。
言葉が見つからず天を仰ぐ。
「あんな優呼を、初めてみました」
咲子さんが指すのは雷帝との戦いの後、優呼が集中治療室に入ったことだろう。
固有を限界まで使い、ロマノフ親衛隊と雷帝の相手を同時にしてくれた。
そのあとも、俺を担いで武官たちと一緒に船まで戻ったと聞いている。それがどれだけ大変だっただろうか。
「貴方の首を飛ばしてやりたい。今でもそう思います」
「反論の余地はありません。私の首でいいのならば差し上げます。ただし、今はご容赦願いたい」
「……」
「優呼が、なぜ私をここへ導いたのかは分かりません。ここへ来れば少しは分かるかとも思いましたが、疑問はそのままです。ですが、一つだけ分かったことがある。アイツは、咲子さんが思うほど子供でも、弱くもない」
「貴方に、何が分かるというのですか!」
感情が溢れ出す。
俺は戦友でしかなく、家族以上には分からないかもしれない。しかし、戦友だからこそ分かることもある。
「事実を受け入れるのは大変です。家、血筋、逃れられない理由もあったでしょう。ですが、優呼はいつも笑っています。真夏の太陽よりもまぶしく、真っ直ぐに立つ向日葵と同じです。自らの運命を呪い、不幸であったなら笑えたでしょうか」
「……笑っていた」
「私は優呼の笑顔に何度も救われました。肩を叩き、励まし、いつも手を伸べ、真っ先に心配をしてくれるのは彼女です。自らを不幸と呪うものができるものではありません。アイツはすべてを受け入れ、真っ直ぐに歩いている。そして、一人ではありません。近衛という組織が、優呼を一人になんてさせない」
「……貴方もその一人であると?」
「勿論です。戦力にはならないかもしれません。ですが、肩を貸すことも、一緒に歩くこともできる。首は、私が歩けなくなったときまで待っていてください」
頭を下げた。
なぜか殿下の顔が脳裏を過ったが、首の譲り先くらいはいいだろう。
「……」
「……」
無言の時間が続く。
どれだけ経っただろうか、ため息が聞こえた。
「分かりました、首と覚悟を受け取りましょう」
「ありがとうございます」
「受け取りましたが、それにしても榊さん、人の妹を優呼優呼と呼び捨てというのは気に入りません」
「あ……いえ、それは……」
しまった。
途中から面倒になってさんを付けるのを忘れていた。
「それに、優呼とはどのような関係ですか? 弟子とは聞いていましたが、今のお話からはそれ以上のものを感じました」
「そ、そんなことはありません。だいたい、あの扁平にこれ以上のどうこうなんて……」
「扁平」
売り言葉に買い言葉、気が抜けてしまったのもあるが、今日は失言が多い。
これも咲子さんが優呼に似ているからだ。
「榊さん、少しお話があります」
あまりの迫力に降参するしかない。
どうやら近衛寮に戻るのは遅くなりそうだ。
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