刃の先にあるもの(二)
裂海迅彦の名前は今の近衛で伝説的といっていい。
超音速機への対策を創り、若かりし頃の鹿山小次郎と勃興期の共和国と数えきれないほど戦った。シャム王国へ赴き惜しげもなく自らの技を教え、欧州では後の騎士王ジョルジオ・エミリウス・ニールセンの師も務めたという。
近代における近衛師団の基礎を築いたといっても過言ではない。
「おう兄ちゃん、よく来たな!」
品のいい白髪に浅黒い肌、まではいい。
朝だというのに湯飲みに入っているのは冷酒だろう、メザシをかじりながら道場の一番奥で手を振っている姿には眩暈がした。
「お、お噂はかねがね伺っております。榊平蔵と申します。お会いできて光栄です」
「若けぇのにかたっ苦しい挨拶だな。そんなのはいいからこっちに来なよ」
「は、はい」
手招きをされて近くへ行けば、迅彦は隣の座布団を叩く。
ここへ座れというのだろう。門下生全員の視線を浴びながら隣に腰を落ち着ける。
「優呼の代わりに来たって? そいつはご苦労だったな」
「いえ、優呼さんには日ごろからお世話になっています。どれだけできるか分かりませんが、精一杯務めさせていただきます」
「そんなに肩肘張るなよ。疲れるぜ」
ガハハハ、と豪快に笑い、裂海迅彦は座ったまま門下生全員を見渡す。
「役者がそろった。今日は存分に力を尽くし、己の価値を示せよ。それじゃあ、始めな!」
『お願いします!!』
怒号にも等しい門下生たちの声に背筋が伸びる。
「匂坂、峰美、前へ」
咲子さんの声で二人が中央に歩み出る。
小さめの家ならすっぽりと入ってしまいそうな広い道場で試合が始まった。
驚くべきは弟子の多さ、だけではない。誰もが白い筒袖に紺色の袴、足には足袋、額に鉢金という出で立ちで、防具もつけずに木刀で向かい合っている。試合が始まっても直ぐに木刀の打ち合いをせず、互いの隙を窺ってにらみ合いをしていた。
「鋭っ!」
「応っ!」
対峙する間も声だけは途切れることなく聞こえ、
「!」
ある瞬間、示し合わせたように動き、切り結んで勝負が決する。
それはまるで果し合いそのもの。
「あちゃぁ、折れたな。受けがなってねぇからだ」
迅彦さんは門下生たちの打ち合いを冷酒を片手に観戦している。
試合を終えた門下生の中には打ち据えられ、腕や足が不自然に膨らんでいたり、うずくまって動けないものがいても治療にあたるもの以外、周りの誰しも淡々としていた。
「これが裂海」
苛烈だろうとは思っていたが、予想以上だ。
一年に一度、特別な日ということを加味しても、普通は骨折まで許容しない。
「驚いたかい?」
「ええ、そうですね」
迅彦さんに話しかけられて応じる。
正直な本音を口にすれば笑っていた。
「ウチでもこんなに怪我を許すのは今日くらいだ。死なないように伝えてあるから、大事にはならんさ」
「なるほど」
「ふっ、覚えがあるかい?」
「嫌というほどあります。たぶん、優呼に折られてない骨なんてどこにもない」
「そいつは重畳だ」
この苛烈さを体が覚えている。
近衛に入ったばかりの頃、なんの基礎も心得もなかった俺を優呼は強かに打ち据えた。
剣術というと型があるのだろうと高を括っていた俺をあざ笑うように真剣で切られ、叩かれたことを思い出す。
今なら、近衛という非日常に慣れさせるためだったのだろうとわかるが、当時は恨んだものだ。
「よくあの子が話していたよ。弟分ができたってな」
「出来が悪い、と頭にはつかなかったのですか?」
「自分で言ってりゃ世話ねぇ」
「恐縮です」
差し出された湯飲みを受け取り、つがれた酒を飲む。
目の前の光景が、自分に重なるようで面映ゆかった。
「へっ、噂通りだな」
「私の噂ですか?」
「そうよ、あのジョージやナイアンテール、霧姫の嬢ちゃんからは耳にタコができるまで聞いた。優呼も二言目にはヘイゾーヘイゾー。立花の娘はその者武士らしからぬ、しかして武士道に通ず、とまで言いやがる」
「武士らしくないのに武士道に通ずる、というのは意味が分かりません」
「俺もそう思ったよ」
酒を口にしてお土産で持ってきた最中を口にする。
なんというか、つかみどころがない。
立花勝頼といい、裂海迅彦といい、一昔前の連中は本音が見えにくい。
もう少し探るべく一升瓶を持つと、迅彦さんは湯飲みを差し出してくれる。
「日桜殿下のことは生まれた時から知っている。あの子は体が弱いのに気が強い。何もそこまで陛下に似なくてもいいのになぁ」
「殿下の気性は陛下譲りでしたか」
「少しは弛むことを覚えてもらいたいぐらいだった。だから今の結果に至ったわけだがな。あれは侍従や近衛の責任でもある。日桜殿下をそうさせなかったのはお前さんの功績といっていい」
「以前、優呼に言われたことがあります。近衛は忠言こそしても、主君の意見を変えることはできない、と。皇族はその意思を貫いてこそ皇族であり、そのためならば死ぬことも厭わないというのは、確かに尊くあります。ですが、それゆえの悲しさもある。それを幼い殿下に強いることは呪いに等しい。私はそれが嫌でした」
「……へっ、言うじゃねぇか。孫も孫なら、お前さんもお前さんだ」
「誉め言葉と受け取らせていただきます」
「言の葉は刃なり、だな。ジョルジオ・エミリウス・ニールセンをして相手をしたくないといわせた。北海道の総司の野郎は恩があるといいやがる。オマケに大陸の武官や、あの雷帝まで日本に引き入れやがった。普通じゃねぇ」
「私からはなんとも申し上げ難いものです」
「そんなやつを間近で見れるってのは楽しいもんだ」
年寄りの目が細くなる。
値踏み、ではない。純粋なる興味の目だ。
「ご期待に沿えるかは分かりませんが……」
「ほれ、丁度良く代表も決まりそうだ」
勝ち名乗りを上げていたのは三〇代と思しき男性。
身長は俺よりもずいぶん高く、筋骨隆々としている。手にした木刀も通常のものより太く長い。あれで迫られたら普通は腰が引けるだろう。
まぁ、相手が誰でもやることは変わらない。さっさと終わらせようと座布団から腰を浮かせる。
「あの人が私の相手ですか?」
「ああん? 違うぞ。まだ咲子が残っているだろうが」
からからと笑う迅彦さんが指をさす先に、審判の席から立ちあがる咲子さんがいた。
咲子さんは華奢な、どう見ても体格差が倍近い相手を前に、緊張した様子もない。
「門下生の中から勝ち上がったやつが咲子とやる。勝った方が当主とやって、勝ったやつが当主ってことだな」
「はぁ……」
「まぁ、見てな。すぐに終わるからよ」
座布団に腰を下ろす間に試合が始まる。
浅黒い肌の男が大上段に構えてじりじりと迫り、咲子さんは正眼を崩さない。
数分もしないうちに互いの距離が縮まり、体が触れるまでになる。
「応ッ!」
浅黒い肌の男が取ったのは、大上段に構えた木刀を振り下ろすことではなかった。
武器にはそれぞれ異なった間合いがある。超密着状態では木刀は威力を発揮することができない。男は大きな体を活かし、間合いを殺しつつ体当たりをすることで体勢を崩し、咲子さんを追い詰めてしまうことを考えたのだろう。
しかし、それは咲子さんの放った真上への突きによってあえなく打ち砕かれることになる。
自分に覆いかぶさるような体格差を逆手に取り、体を屈めることで木刀の間合いを作り出し、全身のしなりを駆使し破って見せた。
驚くべきは、その速さ。
早まって立った時、刀を掴んでいなかったら目が追いついていなかっただろう。それほどの速さと鋭さを持った一撃だった。
「腕だけなら俺の弟子の中で一番だ」
「……困りましたね」
「へっ、どうだか。まぁ、やってみな」
手をひらひらさせて見送られる。
立ち上がり歩く間にも、咲子さんからは敵意の籠もった眼を向けられた。
それ以上に、門下生全員の視線が突き刺さる。針の筵もいいところだ。
「まぁ、なるようにしかならないか」
ため息がこぼれた。
一〇〇を超える視線が、鋭いまでの敵愾心を含んでこちらを見ている。
これまでもそうしたものを向けられたことは多少なりともあったが、数が多いとさすがに圧を感じた。
「榊、上着くらい脱いでいけ」
迅彦の言葉で我に返り、スーツの上着を脱ぐ。
深呼吸で自らを落ち着かせ、冷静さを保った。
「……それはそうか」
一人で愚痴るしかない。
彼らは近衛であり、当主でもある優呼の登場を待ちわびていたことだろう。
それをどうしてか弟子を名乗る俺が現れた。道場に顔を出したこともない弟子が、いきなり道場の代表である咲子と戦うともなればこうなることは目に見えている。
優呼の真意は見えないままだが、このまま帰るわけにもいかず歩を進めた。
道場の真ん中で咲子さんが待っている。
鋭い眼差しは裂海優呼その人を見てる気分にさせられ、不謹慎にも頬が緩んでしまった。それに気付いた咲子さんの目が一層細くなる。
「着替えなくてもよろしいのですか?」
「私にとってスーツこそが正装です。筒袖も近衛服も馴染みません」
「……そうですか」
正直な返しのつもりだったのに、咲子さんの目から温度が消えた。
俺から視線を外し、さらに後ろを見ている。
「御爺様」
「なんだ?」
「清麿を使いたいのですが、よろしいですか?」
「よろしいも何も、お前の刀だ好きにしな。…………ほれ」
迅彦さんが道場の奥に飾ってあった刀を放る。
真剣を手にした咲子さんは、正に裂海優呼瓜二つとなった。
その姿に近衛に入ったばかりの頃、何度も切られ、殴られたことがよみがえり、思わず笑ってしまった。
「っ!?」
咲子さんの顔が歪み、慌てて手で顔を覆う。
しまった、迂闊だったと思いながらも止められない。
『目を開けて、よく見なさい!』
叫ぶ声が頭の中に響く。
たくさんの困難と相対できたのは裂海優呼の教えがあったからだ。
優呼なら今の状況も、突き刺さる敵愾心や視線も、気にするなというだろう。
「弟子……だな」
自分で納得できてしまった。
誰が何と言おうと俺は裂海優呼の弟子、ならば畏まることもない。
「失礼しました。始めましょう」
「……よろしいのですね?」
「勿論です」
一〇〇名を超えるであろう門下生と、正面で睨む咲子さんの視線を浴びながら防人安吉を抜く。
「参ります」
咲子さんがそうつぶやいた瞬間、その体が消えた。
「!?」
刹那、体に怖気が走って背筋が伸びる。
首筋を何かが走り抜けて正眼に構えていた防人安吉に当たった。
「ま、さか」
右手を首筋に当てると、一瞬遅れて生暖かいものがあふれ出てくる。
それが自分の血なのだとわかった時には二の太刀を放つべく身構えた咲子さんが目の前にいた。
速い。
“覚め”ていないのに体感は優呼を相手にしている気にさせられる。
「鋭っ!」
掛け声とともに切っ先が伸びる。
狙っているのは喉、その奥にある脊髄だろう。“覚め”ているものの弱点が分かっているからこその的確で容赦のない攻撃に、体が反応する。
「そ……な……急かない……でほ、しい」
初撃で頸動脈から喉、気道までを切り裂かれて声が上手く出せない。
だが、この程度ならどうということはなかった。
「もらっ……!?」
必殺の一撃を放った体勢のまま、動きが止まる。
切っ先は俺の喉ではなく、差し出した左腕、掌から肘にいたるまで刺し貫いていたからだ。
「そこ……まで、です」
残る手で刀を突きつけると、その先に咲子さんの驚愕に目を見開いた顔があった。
停滞の時間はわずかな時間だっただろう。
俺の手に刺さった刀を無理やり引き抜き、咲子さんは血と脂のついた鉄の棒を再び構える。
「……まだ続けますか?」
首の傷がふさがり、声が出る。
真剣に刺し貫かれたままの手も急速に治癒が進み、あっという間に血が止まった。
「ば、化け物……」
門下生の誰かがつぶやいた一言が、道場に水を打つ。
「もう一度伺います。どう……」
「っ!」
言葉も待たずに咲子さんが刀を振る。
無数の突きを避けられず体中から血が噴き出す。
速い、どころの話ではない。
俺自身も実戦経験はかなりあるのに、彼女をとらえきれない。
どうにか間を取りたくて流れ出る血を目くらましのように投げつけたのに、咲子さんは止まらない。綺麗な顔を、俺の返り血で染めながら、瞬き一つせず突きを放ってくる。
怒っている、のだろう。
その感情が動きを単純化させ、狙いを明確にしていることに気付いていない。どんなに速くても狙いが分かっているのならば対処は容易いのだ。
無数の、散りばめられた殺意の真意の先は脳。脊髄という狙いが露見したからには、第二目標に切り替える。狙いは一番刺しやすい眉間だ。
「鋭っ!」
正確に眉間を狙った一撃を力任せに防人安吉で打ち払い、咲子さんの眼前に左手を突き出した。
首の前で握る動作をしてみせる。
「な、なにを!?」
「私がその気になれば貴女の首はなくなります」
「あ、貴方になど捕まりません!」
咲子さんが叫んだ刹那、俺の前に湯飲みが落ちた。
投げたのは、言うまでもない。
「勝負ありだ。咲子、引け」
「御爺様……ですがまだ!」
「お前の負けだ。それが分からないのなら、師範代も降りろ」
「っ!?」
師であり、近衛だった迅彦さんの言葉に、咲子さんは黙るしかない。
しかし、
「師範! これはどう見ても師範代の勝ちです!」「その通りです! 師範代は一太刀も受けていません! コイツは傷だらけです!」「咲子さんの勝ちです!」「そうだ!」「異議があります!」
門下生たちが口々に騒ぎ出す。
彼らの指摘に自分の体を見れば、スーツのあちこちが裂けて白いシャツに血が滲んでいる。
それに引き換え、咲子さんは無傷。言いたくなる気持ちもわかるが、師は容赦がなかった。
「お前ら、文句があるやつはここを辞めな」
迅彦さんが冷たく言い放ち、門下生たちは黙るしかない。
「咲子は強い、それは俺も認める。だが、こいつ相手じゃ勝負にならない。何しろ、恐怖心がない。切られても突かれても、顔色一つ変えようともしない。それが何を意味するか分かるか?」
「……御爺様」
「咲子、お前はあのまま戦っていて、自分が勝てたと思うのか?」
師の問いに、咲子さんは俯いた。
こちらとしても、あのまま続けたとして負けはしないだろうと思っていた。だからあえて勝負を急がなかったこともある。
どこか、咲子さんに疲れが見えたところで刀を取り上げてしまえばいい、くらいのプランだったのだが、迅彦さんにはそれが余計だったらしい。
「お前ら、文句があるなら榊と戦ってみな。そのかわり挽肉になっても知らねぇぞ」
「!」
今度は門下生たちが顔を見合わせて青くなる。
誰一人口を開くものがいなくなって、裂海家の行事は幕を閉じた。
ぞろぞろと道場から引き上げる背を見送りながらため息をつく。
務めは果たせただろうか。
「しかし、お前さん無謀だな。腹は据わっちゃいるが戦い方がまるでなっていない。渡世人と同じだ。破れかぶれで見ていられねぇ」
門下生たちがいなくなってから迅彦さんが笑う。
咲子さんはまだふさぎ込んだままなのに、気遣う様子はなかった。
「……申し訳ありません。基礎よりも実戦が多かったものですからこうなってしまいました」
「聞いてるよ。大陸の虎に、騎士王、筆頭武官、それに雷帝だ。まともにやって勝てるはずもない。それを素人同然の人間がやるんだ。荒れて然るべきだろう」
騎士王の一言に咲子さんが顔を上げ、こちらを見た。
驚きを通り越し、呆れたような顔をしている。
「お恥ずかしい限りです」
「死んでいればその通りだが、一概にそうも言えねぇ。何しろ、お前さんはまだ生きている。強敵と刃を交えてもこうして五体満足だ。勝頼は足を失って、俺はこれだっていうのによ」
そう言って、迅彦さんは自身の手で右目を引っ張り出す。
精巧な義眼だ。
戦いつづけるということは、こういう結果が待っているのだろう。
俺も固有がなければ色々なものを失っていたはずだ。
「運が良かっただけです」
「運も実力のうちだろうよ」
「……恐縮です」
迅彦さんが俺と咲子さんを交互に見る。
どうしてだろうか、いやな予感がした。
「よし分かった。お前さん、しばらくここへ通いな」
「か、通う? 裂海道場へですか?」
「勿論だ。優呼が教えきれなかったものを俺が叩きこんでやるよ」
「い、いえ、ご厚意には及びません。それに、私にも仕事が……」
迅彦さんの言葉に首を振るが、
「霧姫の嬢ちゃんには俺から話をつけておく。心配するな」
「そ、それは……」
逃げ道をふさがれてしまう。
上司の渋面が脳裏を過り、諦めるしかなかった。
裂海迅彦という名前が如何に強いものであるかは知っている。そして、あの人は立場と性格上こうした無理難題を断れない。
「お、お世話になります」
「おう、よろしくな!」
住み込み、といわれないだけマシなのかもしれない、と自らを慰める。
頭痛と眩暈、胃の痛みに苛まれながら天を仰ぐしかなかった。
新作始めました。
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