榊の顛末書(一一)
物事はいつも唐突だ。
この日も上司である鷹司霧姫に呼び出され、執務室に出頭したところから始まった。
「榊、腹を切れ」
「はい?」
「身に覚えがあるだろう。介錯は私がしてやる。それがせめてもの情けだ」
「おっしゃる意味が分かりません」
ここ最近はいたって平和だ。忙しくはあるが平穏な毎日といえる。
切腹するような不祥事など起こしていない。
「理由を伺ってもよろしいですか?」
「納得したら腹を切ると約束しろ」
「わかりました」
返事をすると鬼の形相が虎くらいまで落ち着く。
鷹司は何度か深呼吸をすると神妙な顔で切り出した。
「貴様、殿下にいかがわしい運動をさせているそうだな?」
「いかがわしい?」
道義上良くない行為という解釈なのだろうか。
しかし、俺が殿下にそんなことをするはずがない。
「誤解です。なにをどう都合よくお考えになったのかは存じませんが、私が殿下にいかがわしいことなど……」
「黙れ、殿下がおっしゃっていたぞ、貴様と大人になるための運動をしている、と!」
「……はぁ」
顔を真っ赤にする鷹司。
逆に俺は力が抜けてしまった。
「言い訳できまい」
「できます」
説明するには少し時間を遡らなければならなかった。
◆
毎日は同じことの繰り返しでも、時間は確実に流れている。
それを実感できるのは若さの特権ではないだろうか。
「……さかき」
五月初旬の昼下がり、昼餉を終えて食休みをしていた日桜殿下が神妙な顔で袖を引っ張ったのは始まり。
「なんですか?」
「……どうしたら、むねはおおきくなりますか?」
言葉に思考が追い付かず、どう答えてよいかわからない。
そうしている間にも、殿下は己の胸元を触り始める。ペタペタと、感触を確かめては落胆する。
「殿下、それはお止しになったほうがよろしいかと……」
「……ちかげちゃんが……」
「千景様が、どうかしたのですか?」
「……むねがおおきくなりました」
男としてはコメントが難しい話題だ。
できれば深入りしたくない。
「……それに、のーらちゃんも」
二人は殿下に近しい間柄。
もともと成長の遅い殿下とは対照的に千景は背も高く、ノーラは外国人特有の柔らかい体つきをしている。
年齢が同じ、境遇も近い二人の成長は殿下にとっても気になることであるらしい。
どう話したものかと迷っている間に殿下はため息をつき、肩を落とす。
「……きりひめも、なおとらも、あさこもおおきい、です」
「そう……ですね」
直虎さんは程よい感じだが、鷹司は大きい。
伊舞は誰がどう見ても大きい。近くにいる女性陣が軒並み大きいとなれば、意識しても仕方ない。
しかし、これだけは確かめておかねばなるまい。
意を決し、できるだけ平静を装いながら聞いてみる。
「殿下は胸が大きくなることをどう思われますか?」
「……むねがおおきいと、おとな、です」
「大人?」
「……はい。じょせいは、おとなになると、むねがおおきくなります」
「なるほど」
理由は分からないが事態は飲み込めた。
殿下は成長の遅い自分が、周囲から置いていかれるような錯覚に陥っているのだろう。
周囲の大人や成長著しい千景やノーラを見てそう思うのは仕方ない。だが、こればかりは人によって違う。だが、違うからと言って多感な年頃に訴えたところできいてくれるだろうか。
どうしたものかと考え、答えを探す。
迷った末に出てきたのは、やはり正論だった。
「殿下、人の成長には個体差があります。自らのことでありますので心配は仕方ないことと存じますが、今しばらく我慢をいただきたい」
「……しかたない、ですか?」
「優呼を思い出してください。一九歳にもなるのにあんなに流線型をしています。育った環境や遺伝もあるでしょう。殿下はまだ一二歳、焦る必要はありません」
「……でも、ははうえ、おおきいです」
そうだった。
母親というのは自分が成長した姿ともいえる。
母親が大きく、自分は小さいとなれば悩むことも仕方ない。
「……ちいさいままですか?」
「そ、そのようなことはありません」
気休めだ。
しかし、ここで折れては公務に支障をきたす。
再び考えを巡らせ、一つの答えを導き出す。
理由がないなら、作ってしまえばいい。
もっともらしいことを並べて納得させてしまうのが一番だ。
「殿下、人間の成長には睡眠が大切だと申し上げましたが、睡眠と同じくらい運動も大切です。適切に体を動かし、筋肉を成長させることも一因となるでしょう」
「……うんどう、していません」
「お忙しいのですから仕方ありません。それに、不慣れな状態から急に始めるのもよくないものです。ですから、簡単なところから始めましょう」
「……はい」
ちび殿下の目が輝く。
まぁ、嘘は言ってない。
「まず手を胸の前で合掌します。この時、手の力を緩めてはいけません」
「……こう、ですか?」
「はい。では、腕に力を入れたままゆっくりと腕を頭の高さまで上げ、また元の位置までもどします」
「……っふぅ」
「ゆっくりですよ」
「……はい」
「腕は胸筋、背筋とも密接なつながりがあります。大きくなるかは分かりませんが、これからのためにはなるはずです」
殿下が合掌したままの手を上下させる。
これは運動というよりもヨガやストレッチに近い。
室内でもできて器具もいらない。サラリーマン時代の同僚がよくやっていた。何よりも胸筋を鍛えることでバストアップを目指せるらしい。殿下にはうってつけといえる。
「これを朝昼晩に一〇回ずつしてください。これに慣れたら次をしましょう」
「……さかきは、なんでもしっているのですね」
「私も会社員の頃はデスクワークが多くて運動不足でした。営業で動き回っても筋肉は付きません。そんな時、同僚が教えてくれました」
「……がんばります」
頷いてくれる。
これで午後からの公務も身が入るだろう。
「……さかき」
「なんですか?」
「これからも、たくさんおしえてください」
「分かりました」
まぶしい笑顔に和み、仕えるというのも悪くない、そう思うことができた。
◆
「こういうことがありました」
「……本当か?」
「殿下に伺っていただければわかります」
鷹司が顔を背ける。
この人は殿下のことになると妙な妄想を働かせることがある。
今後のためにも釘を刺しておきたい。
「副長はどのような運動を想像されたのですか?」
「……うるさい」
「もう少し信用していただいてもいいと思いますが……」
「殿下がお前と胸の大きくなる運動をしていると仰せられたのだ。それ以上の追及などできるか!」
犬歯を剝いて抗議された。
まぁ、字面だけだとそうなるか。
「い、以後気を付けます」
そう答えるしかなかった。
顛末書は今回でいったん終わりです。
今後については、少しお休みをいただきます。
そのあとは、裂海家の中編を一つ上げようかなと思っています。
再開は未定ですが、土曜日更新は変えない予定ですので見に来ていただけたら嬉しいです。
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