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サラリーマン流 高貴な幼女の護りかた  作者: 逆波
第一部

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20/227

一七話



 時代劇の華は殺陣。

 並みいる敵をバッタバッタと切り倒し、ついには悪代官に迫る。

 おのれ下郎、と刀を抜いた悪代官、最後を飾るのが殿様なのかお供なのか、それとも仕事人かは想像に任せたい。


 真剣での稽古。

 殺陣のように派手な立ち回りを期待した俺の前では静かな戦いが続いていた。


 抜刀状態の雨乞いの太刀を握る裂海と対峙するのは立花直虎。

 名前は厳ついが、黒髪に雪のような肌、清楚可憐な女性。

 こちらは刀を鞘に納めたまま体を捻って腰溜めになる、いわゆる居合いの形。

 手は刀の柄に触れるか触れないかの位置に置き、微動だにしない。

 この状態で早三〇分。見ている方が圧迫される。


「粘るのう」

 

 俺の横では立会人の鹿山翁が欠伸をする。

 座ってみているのだがそのまま寝てしまいそうな顔だ。

 午後、昼食をとってから道場へくると立ち合い稽古をするという二人を見学することになったのだが、勝負は切り合いにはならず今に至る。


「あの、これはどういった状況なんですか?」

「見ていてわからんか?」

分からんから聞いているのにジジイは。


「えー、お二人とも実力伯仲で動けない、とか?」

「節穴だな、お前の目は。優呼と直虎、双方の顔を見ろ」

 確かに裂海の顔には玉のような汗がびっしりと浮かんでいるのに対し、立花姉は涼しげ。

「裂海の方が不利ってことですか? だったら立花のお姉さんはどうして自分から挑まないのですか?」


「戦い方の違いだな。普段ならば積極的に切り込むのが優呼なんだが、今は長大刀を使っていて本来の戦いができん状況だ。下手に仕掛ければ負ける」

「はぁ、なるほど」

「直虎は後の先、現代風にいうならカウンターパンチャーだ。自ら切り込むこともできるが、優呼が消耗を待つ方が勝率が高い。優呼は優呼で間合いを詰めてはいるが、これではじり貧だな」


「間合い、詰まってます?」

 そうはいわれても、さっきから二人とも一歩も動いてない。

「ほんに節穴だのう。ホレ、優呼の爪先を見てみろ」

「爪先?」

 言われて視線を移すと白足袋の先端が微妙に膨らんでいる。


「摺り足だ。足の指だけで少しづつ動く方法、といえばいいか。ああして間合いを取っている」

「普通に歩けば良いのではないかと思うのは素人だからですか?」

「歩くには接地するのが片足だけになる瞬間があるだろう。そんなときに来られたら踏ん張りがきかん」

「まさか、一瞬ですよ?」

「その一瞬、刹那を狙い、狙われている。特に実力が拮抗するほどにな。まぁ、今の優呼と直虎では勝負にならんかもしれん」

 

 ジジイの言葉に、いつまでも続きそうに見えた対峙が突然として動く。

 裂海の額に浮いた汗が一滴となって眉を通り抜けて目に入る。

 裂海は動じず、瞬きすらしない。

 しかし、一秒にも満たない時間視界がぼやけ、遠近感を失ったであろう瞬間を立花姉は見逃さなかった。


「……」

 

 かけ声すらなく立花姉の体が沈む。

 膝を落とし、前屈みになる。

 それでもバランスを崩さないのは畳に足の指が食い込んでいるからだ。

 立花姉は前傾姿勢のまま畳を蹴って弾丸の如く疾駆、同時に柄頭に掌を置く。


「っ!」

 

 裂海は構えた長刀で足下を薙払いつつ跳ね、天井へと着地する。

 勢いを押さえ込むかのように天井で膝を曲げ、雨乞いの太刀を構えた。

 裂海は天井を足場として低い姿勢で迫る相手を正面で捉えている。

 

 まさかの対応、完全に虚を突かれたと思いかけたのに、立花姉は裂海が天井で体勢を整える間に走った勢いのまま体操選手のように手を使わず前方回転、着地と同時に今度は真上に飛ぶ。

 

 思いがけない空中戦。

 剣戟が鳴って、畳に降り立つ二人。


「うむ、直虎だな」

 

 鹿山翁の宣言で緊張の糸が途切れた。

 裂海ががっくりと膝を折って畳に手を付く。

 立花姉は大きな息を吐いて刀を鞘に納めた。


「榊、見てやれ」

「あっ、はい!」

 

 我に返って裂海のところへ行く。

 すると勝負の爪痕がまざまざと見えた。

 胴着のわき腹あたりがざっくりと切られ、腹に巻かれた晒しが見えている。


「大丈夫か?」

「へーきよ。ちゃんと避けたから」

「平気って、切られて……ない」

 

 見たところ出血はない。

 でも左のわき腹から右のアバラにかけて斜めに青あざが走っている。

 確かに切られてはいないようだが痛そうだ。


「直虎、加減したのか?」

「いいえ、とっさに剣線を逸らされました」

 

 振り向いた立花姉の顔、左頬が耳の下あたりから顎にかけて裂け、血が盛大に吹き出している。

 真剣での稽古なのだから血が出るのは当たり前かもしれないが、これは怖い。


「ほう、腹でも膨らませたか?」

「逆です。極限まで引っ込められて刃が上滑りしました」

「ははは、器用じゃな」

 

 鹿山翁はケガにも触れず快活に笑う。

 そんな場合じゃないだろう。

 早く手当をしなければ傷痕が残りそうだ。


「あの、二人とも早く医務室へいった方が……」

「この程度ならば問題ない」

「程度って、血でてますよ」

「皮膚を切っただけだ。骨までは達していない」

 

 立花姉はそっけなく言い放つ。

 話しをする間に吹き出していたはずの出血が収まり、傷口が塞がっていく。

 自分のでも見た光景だが、他人のものをみるとやはり気味が悪い。

 傷口を袖で拭う様は、能面のような表情とも相まって戦国時代からきた女武士といった貫禄がある。


「直虎、お主は嫁入り前だ。顔の傷は極力避けろ」

「……善処します」

 ジジイのセクハラにも能面は揺らぐことがない。


「優呼も大事ないか?」

「はい!」

 立ち上がる裂海。

 でも腹の青あざは消えていない。

 視線に気付いて薄い胸を張ってみせる。


「もう、大丈夫よ!」

「ならいいけど」

 元一般人からすれば、女の子の怪我というのはあまり見ていたものじゃない。

「二人とも良い立ち合いだった。榊も勉強になっただろう?」

「……そう、ですね」

 

 ならない。

 まったくならない。

 平面上での戦いかと思ったら、天井まで使った立体戦術を見せつけられるとは考えもしなかった。

 これが覚めたもの同士、異次元の戦い方。気分的にはアクション映画を見ていた感覚に近い。


「翁、そろそろ時間です」

 刀を納めた立花姉が懐中時計を取り出す。

「うむ、わかった。榊、ワシはこれから北へ行かねばならん。しばらく稽古は優呼がつけるから、そのつもりでいなさい」


「へ?」

 いいけど、突然いわれても困る。

「優呼、厳しくするんだぞ。今甘やかすと使えんからな」

「はーい!」

 裂海が手を振る。

 そんなことせんでいい。

 

 途中で視線を感じて振り向けば、立花姉と目が合う。

 青みがかった長い黒髪に、青の光彩を湛えた瞳。

 鋭い鷲の眼差しと、決戦を前にした武士のような気迫がある。

 こんな綺麗な人がゴツくてデカい弟がいるのだから遺伝子というのは気紛れだ。


「新入り、精進しろ」

「は、はぁ」

 激励なのか叱咤なのか分からないが頷いておくのが処世術。

「直虎、行くぞ」

「はっ」


 二人が行ってしまう。

「それじゃあ訓練しましょ!」

「今から?」

「うん!」

 

 神経を削る立ち合いをしたあと休憩もとらず、裂海は帯に刀を差す。

 せめて腹のアザを気にしろ。


「治ってからにしないか?」

「ヘイゾー相手ならハンデにもならないわ!」

「見てるこっちがキツいんだが」


 いくら本人が平気でも、こっちは民間上がりの元サラリーマンだ。

 強いとはいえ、ケガをしている年下の女の子に挑めない。

「あと、着替えないか?」

「どうして?」

 首を傾げるが、これはちょっと言い難い。

 できれば察してほしい。

 

 こちらから見ると裂海の切られた上着の隙間から肌が覗いている。

 腹部から胸元まで晒しで巻かれているとはいってもこれはよくない。

「動きにくいだろ? ヒラヒラしてて」

「全然!」

 

 こいつ、実は分かっているんじゃなかろうか。

 いや、まぁ、それは無いか。が、それはそれで不安になる。

 仮にも年長者だ。

 そこは注意する必要があるだろう。女の子だし。

 息を吸い込み、眉根を寄せる。


「いいか、よく聞け! 年頃の女の子が訓練だからといって肌を見せるのは感心しません。なにかあったらどうするんですか!」

「へ?」

「お前は近衛であるまえに女の子。これは近衛とかではなく年上としての忠告だ。世の中には悪い狼がいっぱいいるんだぞ」

「ぷっ、あはははははっははははは!」

 盛大に笑われた。

 このアッパラパーめ、心配したのに心外だ。


「お、女!」

 終いには転げ出す。

 性別まで忘れたのか脳筋バカが。


「なにが可笑しい」

「あー面白い。私を女扱いしたのはヘイゾーが二人目だよ」

「……一人目は?」

「おじいちゃん!」

 やっぱりか。


「お尻をなでながら安産型だっていってくれたわ!」

「スケベ爺め」

 孫の尻を撫でるとか倫理欠如にも程がある。

 笑っている裂海も裂海だが、これはいただけない。


「ヘイゾーも男の子だね!」

「いや、男とかそういう問題ではなく、倫理の……」


「いいよ、私が欲しければどうぞ」


「はっ?」

 眼が点になる。

 今なんと仰いましたか?


「寝込みだろうとお風呂だろうと食事だろうと、いつでも襲えばいいわ」

「おい、ちょっとま……」

「できたら、ね」

 

 眼が細く、鋭く尖る。

 総毛立つような殺気が放射され、笑ったまま動けなくなった。

 普段の天真爛漫な彼女からは想像もできない、氷のような冷たい瞳をする。


「私よりも強ければいつでも相手をしてあげる」

 眼が、元に戻る。

「い、いったな!」

「いったわ!」

「年上をからかうのも大概にしろよ! お尻ペンペンだ!」

 

 小娘が、手加減無用だ。

 訓練刀を抜いて正眼に構える。

 裂海は両手をだらりと下げて構えすらしない。


「じゃあ私が勝ったら一日お馬さんの刑ね」

「やってみろよ!」

 結果、翌日はお馬さんの日になったのはいうまでもない。


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