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サラリーマン流 高貴な幼女の護りかた  作者: 逆波
短編集

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132/227

短編 日桜(前)

 

 国家に友人はなく、外交とは戦略の一環である。

 テーブルの上では握手を交わし、下では拳を握る。笑顔は仮面、世辞は刃で謙遜を盾に火花を散らす。

 

 フランス大統領の来日を控え、国内は慌ただしく歓迎の支度をしていた。

 それは外交における重要な役割を果たす皇族においても例外ではない。


「……う~」


 御所からもほど近い帝国ホテルの一室で日桜殿下は柳眉をひそめていた。

 テーブルに並ぶのはホテル内で店を構えるシェフが作った珠玉ともいえる料理の数々。

 大統領来日の折、食事会で供される予定のものであることは容易に想像がつく。


「はぁ」


 溜息が出た。

 謹慎中の俺がいるのには理由がある。

 

 近衛服に着替えることもなく、スラックスとワイシャツという休日スタイルのまま自室でのんびりとデスクワークに勤しんでいたのだが、帝国ホテルから火急の知らせが届いた。

  護衛をしていた第四大隊、立花の同僚に至急の呼び出しを受けて来てみればこれだ。


「とにかく頼む」


 個室の前にはホテルのスタッフや護衛の面々が列をなして見守っている。

 それもそのはず、殿下は料理に手も付けず固まっているから。

 気に入らないのか、あるいは食べるに値しないのか、誰もが聞けず、誰もが心をすり減らしている。


「謹慎中なんですよ。副長にバレたらどうします?」

「上手くやるさ。それよりも……」


 目配せをされる。

 どうやら本当に困っているらしい。武士というのは堅苦しくていけない。


「食べさせるだけなら鼻つまんで口に放り込めばいいんです」

「貴殿以外、それができる人間はいない」


 やらないだけだ、とは口に出来ず肩を竦めて部屋に入った。


「……! さかき」

「どうも、お呼ばれに預かりました」


 顔をほころばせるちび殿下に目礼して、今にも泣き出しそうな料理長にお辞儀をする。


「側役を務めます榊です。このような格好で申し訳ありません」

「お待ちしていました!」


 伸ばされた手を思わず握ってしまう。

 壮年の料理長でも随分と肝を冷やしたらしい。


「我々になにか不備があったのでしょうか?」

「いえ、そういうわけではないでしょう」


 殿下の胸元には白いナプキンが巻かれていることから食べる気がないわけではないのだろう。

 だとすれば理由があって手を付けないことになる。


「暫しお時間を頂けますか?」


 料理長やホテルスタッフ、護衛の面々まで追い出して個室には殿下と二人。

 二度目の溜息をつきながら横に座る。


「さて、事情を伺いましょうか」

「……ごめんなさい」


 しゅん、とする主に手を伸ばして鼻の頭を人差し指で弾いた。


「察するに食事会で供される候補の試食でしょうか。今のフランス大統領は大変な食通であり、愛国主義者でもあります。今日は試食のためにいらした。そうですね?」

「……はい」


 記憶を引っ張り出しながら言葉を並べる。

 軍部出身者でありながら欧州財界との蜜月を作り上げた切れ者。

 二メートル近い巨体に鋼の信念を抱いた銅像の如き人物だということを思い出す。


「用意された料理もフランスの郷土料理をベースに日本の食材や技法が取り込まれていることでしょう。日仏の融和が見て取れるようなものばかりですね」

「……さかきは」


「はい?」

「……へいきですか? におい」


 本当に困っているらしく、ちび殿下は弱気だ。

 そんなにするだろうかと殿下の前にある海鮮マリネに手を伸ばせば、


「ああ、なるほど」


 理由はすぐに分かった。

 マリネとは酢と油を使った料理。

 

 新鮮なタマネギと白身魚の身をベースに、トマトやズッキーニ、ニンジンが華やかさを与えている。

 オイルと柑橘、塩と胡椒とシンプルな料理なのに漂ってくる香りは強烈なココナツのもの。

 確かに初見でこれは抵抗がある。


「日本で強烈な香りのものは使いませんからね」

「……あとは、それも……」

「チーズフォンデュですか?」


 クリーム色のフォンデュ鍋に顔を近づければ、これも強烈だ。

 ニンニクとバターの間に見え隠れするのはキルシュだろうか。

 ナツメグや胡椒とも相まってかなり複雑な香りがする。


「……まだ、あります」


 洋風の茶碗蒸し、プディングからは強烈な土やスパイスにも似た香りがする。これはトリュフだろう。

 魅惑的、蠱惑的と評されるトリュフでも、子供では嗅覚が鋭敏過ぎて不快に思うことがある。


「殿下は頭でっかちですから、考えが先行して手が出なかったのですね」

「……さかきにいわれたく、ありません」


 頬を膨らませて抗議される。

 否定はしないが俺なら使命感が優る。殿下は未経験からの嫌悪感が優ったのだろう。

 今は試食なのだから言えばいいのだろうが、それもどう言葉にして良いか分からなかったといったところか。


「では、改めて試食とまいりましょう。毒味は私がします」

「……はい」


 ようやく笑顔が戻る。

 まったく、世話が焼ける第一皇女殿下だ。


「前提として苦手なものを口にする必要は……ないわけではありませんが、控えた方が無難です。どうしても態度に出ますし、相手にも伝わります。ですので、このマリネは召し上がらずとも結構です」

「……よいのですか?」

「心配なら私が食べますよ」


 皿を手に取り、フォークで口に運ぶ。

 かなり強烈なココナツの香りは俺でも抵抗がある。

 フランスは南に植民地を持っている。そのあたりの影響もあるのかもしれない。


「……おいしい、ですか?」

「悪くはありません。お子様には少し早いですね」

「……うそです。かため、とじました!」


 マリネを一口でやめ、黄金色の揚げ物に手を伸ばす。

 ピンポン玉くらいの大きさで見た目は小さなコロッケだ。口に入れれば、白身魚が香る。


「ああ、これは良さそうです。中身は魚ですよ。妙な臭いもしません」

「……ほんとう、ですか?」


 餌付けのように小さな口へ押し込めば、もぐもぐと咀嚼する。

 こうした姿は小動物を彷彿とさせる。


「……おいしい、です」

「中身は鱈でしょうか。季節のものですから揚げても美味しいですね」

「……はい」


 これを一品ごとに続けていく。

 舌平目のムニエルは文句が出ないほどで、殿下も満足げだ。が、バターが若干強い。

 食事会ではレモンを効かせてもらうよう要望しよう。

 

 ブイヤベースは香辛料が前面に出ている。

 サフランの甘い香りは日本人、殿下には馴染みが薄いので料理長に相談しなければならない。

 

 トリュフ入りのプディングは慣れが必要だ。

 あとは少し冷ましてから出してもらうか、冷製であればここまで香らないはずだ。


「問題はこれですね」

「……うぅっ」


 殿下が顔を背けるのは独特の臭気を放つチーズ。

 フォンデュにそのままスライスされたもの。

 クリーム状のディップと種類も豊富にある。


「これは……強烈ですね」

「……これ、たべるのですか?」

「納豆やくさやでも外国人は同じことを言いますよ」


 手のひらサイズのものから丸い木箱に入ったもの、表面がオレンジ色であったり、断面から青い斑点が見えるものなど、見た目の種類も様々ある。


「これはカマンベールでしょうか。青かびはロックフォール、大きめのものはブリー。このオレンジ色で木箱に入ったものは……っ!」


 顔を近付けたところで刺激臭が鼻を刺す。

 思わず苦笑いを浮かべ、丸い木箱を殿下に近付ける。


「……っ!」


 普段のおっとりした動作からは想像もできない速さで顔を背け、自分の鼻をつまんでいる。

 残る手は嫌々と左右に振られ、体はテーブルから限界まで離れようとしていた。


「足の裏、それも蒸れたブーツの中でしょうか」

「……くさい、です」

「同感です。これを食べる、というのは厳しいですね」


 蓋を閉じてテーブルの端へ置く。

 次に手に取るのは日本人にもなじみ深いカマンベールチーズ。表面が白カビに覆われたコンビニでも売っているメジャーなもの。

 見た目は日本のものと大差ないのに、包装紙を剥がせば臭気が漂ってくる。


「うっ、これも凄い。本場フランス産はこのような臭いがするのですね」


 サラリーマンの頃、コンビニやスーパーで買ったカマンベールチーズにこんな刺激臭はなかった。

 これが輸入物、産地の味ということになるのだろう。

 渋面を隠すこともできないまま口にすれば、今度は口腔を通り抜けて鼻から抜ける臭いで咽せ返りそうになる。


「……だいじょうぶ、ですか?」

「味は悪くありません」

「……それ、ごまかしています」


 指摘は間違っていない。もう一口、とは思えないからだ。

 しかし、ダメでは済まされないのが外交というもの。

 食事を一緒にするというのは極めて重要な役割を果たす。


「フランス料理にチーズは必須。食事会でも同じはずです。避けては通れないところですが……」

「……たべたく、ありません」


 怯えてしまっている。

 殿下の食生活を鑑みると、普段は栄養や熱量を計算して食べているものの、乳製品は乏しかったように思う。せいぜい牛乳かヨーグルトだ。

 解決策としては国産品を用意することだが、もしも大統領がお土産として持って来たら食べないわけにはいかない。


「ふむ」


 殿下はすっかりチーズに苦手意識を持ってしまった。

 綺麗な顔で嫌がってみせる様は嗜虐心すら煽ってしまう。

 これをフランス大統領の前でしたら国際問題になるだろう。


「今日はここまでとしましょう。チーズの件やフランス大統領のことももっと調べてからでなくては結論が出せません」

「……ごめんなさい」

「殿下が謝る必要はありません。誰にでも好き嫌いはあります」


 どうしようか、と考えが巡る。

 謹慎中とはいえ、鷹司からは大量の事務仕事を押し付けられている。しかし、殿下の方が問題だ。

 面倒だと思う反面、解決方法を模索し始めていた。



     ◆



 師走の空は真っ青に晴れ渡り、白い雲が鮮やかさを際立だせている。

 東北自動車道は急なカーブが少なく、見晴らしが良いのも気に入っている。


「~~~~♪」


 隣ではちび殿下が歌っている。

 BGMとしては悪くない。


「今のところ車酔いは大丈夫のようですね」

「……じょしゅせき、はじめてです!」


 車の助手席でちび殿下がはしゃぐ。

 やはり後部座席よりは視界の開けた助手席が酔い難い。


「あまり下を向かないでください」

「……だいじょうぶ、です!」


 黒いカシミアのセーターにプリーツスカート、それに黒いストッキング。今風にいうならシアータイツという鷹司の趣味丸出しの服装なので少々汚したところで気にならないのだが、戻ったら俺が怒られそうだ。


「……なんですか?」


 視線に気づいた殿下が微笑んでくれる。

 黒を基調とした今日の装いは凛々しさを際立たせるようで悪くない。


「今日のお洋服もお美しいですよ」

「……! ありがとうございます。さかきもかっこ、いいです!」

「恐縮です」


 俺はというと白いワイシャツに黒のスラックスという普段のスタイル。

 日差しがあるのでサングラスをしているが、別段褒められるところなんてない。


「殿下、コーヒーを取って頂けますか?」

「……どうぞ」

「ありがとうございます」


 サービスエリアで買った缶コーヒーの蓋を開け、一口含んでドリンクホルダーに置く。

 普段乗っている黒塗りの国産車もいいが、鷹司が用意してくれたスポーツタイプも悪くない。

 さすがは鷹司本家の所有物だけあって手入れも行き届き、内装の趣味もいい。


「……さかき、わたしもさんぐらすほしい、です」

「眩しいですか? ダッシュボードに予備がありますからお好きにどうぞ」


「……ありました。……どう、ですか?」

「お似合いです」


 横目を向ければ小さな顔に大きなサングラスというミスマッチな殿下がいる。

 鼻で笑い、アクセルを踏み込んだ。


「……おそろい、です」


 なにやら嬉しそうなちび殿下と一緒に向かうのは栃木県の奥地、那須高原。

 なぜ那須なのかといえば直通の高速道路があり、行き来が容易であること。

 あとは御用邸もあるので遅くなったら泊まることもできる。実に利便性が高い。


 那須高原での目的は牧場とチーズにある。

 フランス大統領との食事会を控え、やはりチーズの克服が不可欠という結論に至った。


 理由は大きく分けて二つ。

 一つ目は大統領はかなりの愛国者で自国の農産物やチーズ、肉などを積極的にお土産として国外に持ち出していることが判明した。

 

 そうなれば当然、食事会にも持参するだろう。

 お土産を受け取るだけで食べない、という選択肢はない。

 

 二つ目は持ち込んだお土産を切っ掛けに話題作りや外交問題に切り込んでいくスタイルだということ。

 このあたりに巧妙さと強かさが伺える。


「さて、今のうちにチーズについておさらいをしておきましょう。知識があれば苦手意識の払拭もしやすいですよ」

「……はい。おねがい、します」


「諸説ありますが、チーズの源流は遊牧民が反芻動物の胃袋で作った水筒に乳を入れて持ち歩き、振動と攪拌で乳脂肪分が固まったものだとされます」


「……はんすう、どうぶつ。うしややぎ、ですね」


「その通りです。あとは羊や鹿、ラクダも反芻動物です。反芻とは一度咀嚼した食べ物を胃に送り、一度消化したものを口に戻して咀嚼することを指します。これを繰り返すことで消化を促進し、植物の栄養素を体内に取り込むわけです」


 ここで哺乳類や反芻動物について詳しく知る必要はない。

 概要だけでいい。


「胃袋は伸び縮みするので先史時代から盛んに利用されてきました。チーズの生産には反芻動物の子供の胃にあるレンネットという酵素が不可欠ですので、必然ともいえるでしょう」


「……れんねっと」


「チーズの製造過程では乳脂肪分と水分を分離する必要があります。レンネット以外でもレモンに代表される植物性の酸、醸造酢に代表される酢酸も同様の効果があります。こうして出来上がったものがカード、チーズの原型となります」


「……べんきょうに、なります」


「チーズの種類は原料、製造法、そして熟成方法で分類されます。先日の強烈な臭いのするものはエポワス。牛乳を使って作られ、長期熟成をします。あの臭いは発酵から生まれるものです。過程だけならば日本の納豆や味噌、醤油とかわりません」


「……おなじ」


 ちび殿下が眉根を寄せる。

 味噌や醤油は毎食といっていいほど口にする。

 

 納豆もそれほど好まないが食べられる。

 乱暴な言い方ではあるが、微生物を用いて加工するものであるということが伝わればいい。


「ご存じの通り、納豆は日本人でも好みが分かれます。外国の人間からすれば味噌や醤油も不快なものかもしれません。殿下が……いえ、私もですがチーズに抵抗感を抱くのも無理からぬことだとは思いませんか?」


「……はい」


「結構です。食とは経験と蓄積、苦手はこれから克服すれば良いだけですよ」

「……できるでしょうか?」


「そのために那須まで行くのです。まぁ、殿下の気分転換も含まれますが。最近はお忙しかったようですし、私も謹慎中でしたし」


 殿下の気分転換もだが、俺自身のことも含んでいる。デスクワークばかりでは気が滅入る。

 実際に殿下の御供という大義名分ならば外出も容易だった。


「……さかきのこころくばり、みにしみるよう、です」

「左様で」


 妙な感銘を受けて頷いている。

 無意識のうちに右手をぺしぺしし始めたのは間違いなくアレの前兆だ。

 どこかのパーキングに止めろといわれる前に誤魔化す必要がある。


「殿下、あと一時間ほどで到着します。少し眠っておかれると後が楽ですよ」

「……よいませんか?」


「音楽をかけますので、耳に集中なさってください。波の音、水のせせらぎ、木の葉の揺れ、虫の音、なんでもありますよ」

「……でしたら、さかきのおはなし、きかせてください」


「私の、ですか?」

「……はい。なんでも、かまいません」


 微笑みを向けてくる。

 まぁ、俺の話でいいなら手間はない。


「では一つ小話を。あれは私がサラリーマンだった頃、ある得意先でのクレーム処理をしていた時のことです。相手先へ納品されたものにかなりの不良品が……」


 他愛もない話をする。

 ちび殿下の吐息はいつの間にか安らかな寝息へと変わっていた。



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