とあるフリーのクリエイタは憂鬱だった
「トウコー? 入るぞー」
二人がコンビを組んでから、一ヵ月が経ったある日の朝。レーナ・シシザカは、合鍵を使ってトウコの自宅のドアを開け、中を覗き込んだ。
「いないのか?」
時刻は既に正午を回ろうとしているが、返事はないし、カーテンも閉められたままらしく、部屋の中は暗い。もしかして、まだ眠っているのだろうか。
「お、タラミじゃねぇか。トウコはどうした?」
代わりと言わんばかりに現れたのは、猫のタラミである。トウコによると、人見知りらしいが、一週間もしないうちに、彼女はレーナに懐いた。玄関付近に置かれた透明の魔石を横目で確認しつつ、タラミを抱きかかえ、部屋の奥へ進んだのだが……。
「ひぃっ!?」
かつて魔王を撲殺したことで知られる最強勇者のレーナが小さく悲鳴を上げる。彼女は見てしまったのだ。暗い部屋の隅で、瘴気を吐く呪いの塊らしき何かを。
「なぜ、こんなところに呪物が!? まずい、解呪のスペルなんて覚えていないぞ!!」
即死級と言える呪いの塊。さすがのレーナも動揺していると、タラミが彼女の腕からするりと抜け、黒い瘴気の方へ歩いて行った。
「馬鹿、タラミ! そんな呪物に近付いたら即死だぞ!!」
レーナはタラミを捕まえようとするが、一足遅かった。彼女はぴょんとジャンプして、呪物の上に乗ると、その黒いオーラをぺろぺろと舐め始める。
「あ、あ、あ……。すまねぇ、トウコ。私が付いていながらタラミが……。ん??」
即死級と思われる呪物に触れても、タラミは死にそうにない。むしろ、親しみを込めるように体をこすりつけているではないか。何が起こっているのか、と目を凝らしてみると……。
「じゅ、呪物じゃない! トウコじゃねぇか!!」
そう、瘴気をまとっていた不気味な物体は、レーナの相棒であるトウコ・ウィスティリアだった。なぜ、そんな見間違いがあったのだろうか。それは、トウコが黒髪に黒いメガネをかけているからではない。単純に、即死級の呪いに等しい暗黒オーラを放っていたからだ。
「あぁ、レーナちゃん? おはよう……」
目の下まで真っ黒なトウコは、人間よりも魔族に近く見えた。
「お、お前……そんな不気味な姿になるまで何をしていたんだ?? 今にもコア・デプレッシャになりそうな顔じゃねぇか」
買ってきたミネラルウォーターを手渡すが、それはトウコの手から滑り落ちて、床に転がってしまう。
「ぜんぜん、作業が進まないの。新作……一ヶ月で完成させるつもりだったのに」
どうやら、眠りもせずに魔石をいじっていたらしい。しかも、一晩かけて何の進展もなかったようだ。
「私とミナトくんの件をネタにすれば、さくさく作れそうだって言ってたじゃねぇかよ」
レーナは飽きれつつ、床に転がったミネラルウォーターを拾い上げ、子どもの面倒でも見るように、トウコの口元に運んでやる。どれだけ水分を取っていなかったのか。トウコは物凄い勢いでそれを飲み込んで行く。
「ぷはぁー。いやいや、レーナちゃん。違うんだよ。イメージはいくらでも浮かぶけどね、いざそれをメヂアに落とし込むってなると、大変な作業なんだから。丁寧に組み立てようにも、矛盾ばかりで、つなぎも上手く行かないし、表現も盛り上がりに欠けることもあれば、イメージの美しさを再現できないこともざらにあるし。自分の納得できる形を目指すとなると――」
「分かったから、まずはこれでも食っておけ」
水と同じく、出勤前に買ってきた肉まんをトウコの口の中へ突っ込む。この一ヵ月で、トウコの愚痴は散々聞いているので、うんざりだった。
「あと、ここに来るまで、魔石を取ってきてやったぞ」
レーナは午前中に一人でクエストに参加して、獲得した魔石を並べると、トウコは無理やり肉まんを飲み込んでから目を輝かせた。
「うわー、こんなにたくさん!? さすがレーナちゃんだよ!!」
そう言って、ひとつひとつ手に取り、質を確認するトウコだったが、目の輝きが次第に失われていく。
「やっぱり……ダメか?」
「……うん。これだと、シアタ現象は起こせないかなぁ。ごめんね、せっかく取ってきてくれたのに」
「だよなぁ。私のガードランクが最低だから、良いクエストを紹介してもらえねぇんだよ。このままだと、仕事どころかメヂア一つ完成しねぇよな」
「いいんだよ、ランクについてはレーナちゃんの実力ならすぐ上がるんだから。でも……せめて、私の方で良いイメージが浮かべば良いんだけど、どれも作品として魅力が足りないものばかりでさぁ。自分の貧しい想像力に落ち込むばかりだよ」
レーナはソファで、トウコはデスクで項垂れる。
(やっぱり、私には結婚しかねぇ。こんな稼げない商売は、やるだけ馬鹿を見る。はぁ……何か奇跡が起こって、タイヨウが迎えに来てくれないかなぁ)
二人がメヂア製作の仕事を始めてから、もちろん依頼は一つもきていない。レーナはさっそく別の人生を模索し始めていたが、トウコはそれを察知すると、再び瘴気を放ち始めた。
「ねぇ、レーナちゃん。いま男の人のこと考えてなかった?」
「か、考えてねぇよ」
細いのに、どうしてこれだけ殺気を放てるのだろうか。トウコが放つオーラは、今まで出会ってきた強敵とは、違った恐ろしさを感じる。それでも、使いやすそうなマッチングアプリをこっそりと探していたのだが……。
ピーンポーンッ。
インターホンが鳴り響き、二人は顔を見合わせる。
「まさか……お客さんかな??」
二人は競うように玄関の方へ向かい、勢いよくドアを開いた。
「はい! ウィスティリア魔石工房です!」
立っていたのは、スーツ姿に几帳面そうな面持ちの男性である。どこか他人を見定めるような鋭い目線で二人を見た後、その彼は言った。
「どうも、お世話になります。私、こういうものです」
男が差し出した小さな紙切れは、どうやら名刺らしい。トウコがそれを受け取り、書かれた名前を読み上げる。
「株式会社MSエージェント。ゼノア・ミタカさん?」
男は頷く。
「はい。魔石販売の仲介をメインに、工房さんのコンサルなんかも請け負っています。良かったら、お話だけでも聞かせていただけないでしょうか?」
スーツ姿の男、ゼノアが浮かべる貼り付けられたような笑顔を見て、レーナとトウコは心の中で呟く。
(なんだ、客じゃなくて……ただの営業か)
しかし、これが大きな事件の始まりであった。
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